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アラフォー男です。人生に悩んでいます。絶望しか見えません。

偶然ですが、先ほど武田邦彦氏の、35才脳死説、というのをyoutubeで見ました。


上司から言われてきたことのみを行なってきて、自分が管理職になることを想定して努力を怠ってきた人間は、物事から逃げるようになり、脳が死んでしまうのだと。
自分のことを言われているようで、辛くなりました。

働いていく中で、業務に必要と思われるものは資格を取るなり、勉強してきたつもりでした。

しかし、それは与えられたテーマを勉強していただけで、自分の頭で考えて選択、判断をしていたのかというと疑問です。

今の職場(転職2年近く)でも上司には、自分の頭で考えていないといわれます。

言われたことをやるだけでも必死なので、なかなか自分の頭で考え、アウトプットを出すと言うことが出来ません。

武田邦彦氏は言います、35才になると、会社からの要求は急に高くなり、それに追いついていく準備をしていなかった人間は現実が辛くなり、考えることをやめる”脳死”の状態になるのだと。

資格の勉強など、新しい知識をとることにはまだ貪欲なので、脳死だとは思っていなかったのですが、、、間違ってもいいから自分で考えていたかというと、疑問です。

教授とはいえ人の言うことを鵜呑みにする時点で、自分の頭で考えていないと言うことなのですが、真実、少なくとも今の私の現状、およびその原因を見透かされているようで、辛いです。

もう終わってしまったという感じが拭えません。

どうすればいいでしょうか。絶望感とどう向き合えばいいのでしょうか。

A 回答 (3件)

落ち着きましょう。


まあ人生長いんですから。
向き合っていくしか無いですよ。

とりあえず本当に「自分で考える」とはどのくらいのレベルである
のか説明したいと思います。長いのでお暇なときにどうぞ。

かなり前ですが特許を幾つか取ったことがあります。
特許と言うのは大変でして、野球で例えるとプロ野球の世界リーグ
(あればですが)みたいなものです。それと比較すると学会と言う
のは甲子園みたいな感じですね。学生時代に学会で活躍していた人
も社会人になり、学生の先輩として活動し続けます。つまりプロな
わけです。なので学会で論文誌に乗るより大変です。ライバルは卒
業生を含むすべての人類です。

特許は学会発表されていれば取れません。審査官は学術論文を調べ
たり、知り合いの研究者(学者さん)や研究機関に相談したりしま
す。10年近く審査される場合もあります。世界各国の政府が税金を
使って専門家に調査させるんです。間違って認めてしまえば国家の
威信に関わります。特許の内容を見せて、その国の限界はこれであ
る(うちの国のチャンピオンはこの人)と示す意味もあります。
ショボいものを認めるとこれも威信が傷つくわけです。
そのため私が知る中で最も厳密な審査をされる世界チャンピオンと
思っています。これに比べると民間競技での世界一は本気度合いが
劣ると思います。訴訟にも発展しませんしね。

では発明するというのはどういうことなのか?
まず人類の歴史上はじめてであるという事。
そして「人類を進歩させたと」その道の専門家が認める事です。

しかし、それを為す個人はどういう感覚になるのか?

「誰か先生について勉強をするってのが出来ないんだよなあ」

です。

先生「俺が知っている事は教えられるが、それって人類初なの?」

考えて見れば当たり前ですよね。
そのため本を読んで勉強する事も出来ません。

例えば、歴史上有名になった数々の学者さんがおりますよね?

「おまえ、こいつら全員ぶっとばせ。
 じゃないとお前が人類発の世界一じゃないよな?
 過去の人に負けてたら笑いものだ。」

と言う話なんです。自分がそれをやり遂げるんですよ。
これを言われたら腰が引けるでしょう?

「ええと、長く専門分野に従事していると土地勘みたいなのが
 出来て、その中でポロっと出るんじゃないんですか?」

と思う人が大半でしょう。
そんなわけがない。
誰かに聞くってことが出来ないんです。

例えば、
その分野の世界一であると言う学者さんが居たとします。
この人に聞いても無駄です。

「あなたに教えて欲しいです。」

「いや、それ、俺も分からないよ。
 分かったら発表してるし。
 だから僕と勝負だ。」

となるだけです。

つまり、土地勘なんて全く関係ないんです。

「そんなの無理だあ」

というストレスが日常を支配します。きついですよ。
全く先が見えません。無理ゲー感が凄いんです。

「お、君は技術者として機械に詳しいらしいね。
 じゃあ、今度は医者やってみない?
 いまから勉強してさ?」

と言われる方がまだ勝率があるんじゃないでしょうか。
専門家に聞いて学べますしね。

研究者をやって幾つか成果を出すと、感覚がマヒしてきます。

「それって君が初めてやったの?
 そうじゃないなら誰でもできる事でしょ。
 なんで自慢しているのか理解できない。」

こんな事を平気で言い放ちます。

実際に私が特許を取った分野は、自分の学生時代とは全く無関
係の分野でした。当然、別の学会があり、沢山の学者さんがい
ました。この方々が無理だと諦めていたものを、初心者からは
じめて3か月で突破します。彼らの数十年を3か月で無益にする
という事です。

本来の”自分で考える”とはこれを言いませんか?

つまり、

「本当に自分で考えているのか?」

については誰もが怪しいという事です。
なので本気にせずに元気を出しましょう。
もっと別の事を言いたかったんじゃないでしょうか。


次にご質問へ答えていきます。
私が言う無理ゲー感といったものは、
貴方が抱えている絶望感と同じだと思います。

異分野へチャレンジするときは強烈な絶望感が伴います。
凄い人たちが何百年も研鑽してきた世界です。
これに対して初心者から初めて(過去の歴史上の偉人を含めて)
全員倒すんです。

大分前になりますが音痴を治したことがあります。
当時私は音痴だったらしく、カラオケに行けば歌わないで良い
と言われる始末。しかし音感が無いので自分では分かりません。
自分で分からないのに、自分で治せるわけがありませんよね。
趣味の範囲ですから逃げる事も出来ます。逃げてましたし。

ある時、さきほどの初心者から初めて世界一みたいな話を知人
にしたんです。そんな漫画見たいな話しがあるわけないと信じ
てくれませんでした。彼は歌が得意でかなりの上級者でした。

そこで、

「3年で、
 この人程度(音楽CDを聴きながら)にはなってみせる。
 それで証明する。これが出来たら漫画みたいだろ?」

と宣言しました。

すると慌てたのは彼の方でした。

「やべえ、俺ってば相当な音痴らしい。まじか・・・」

と思いましたね。
本気を出して取り組んで、段々と高い壁が見えてくる。
強烈な絶望感です。

結局はいくつかのブレークスルーを出して成し遂げました。

そして、
私がやったのは単なる「音痴を治す」ではありません。
「音痴がプロ歌手程度に上手くなる簡単な方法・手順」を作っ
たんです。ほんとに漫画みたいですね。

では、漫画と実際に違うところはどこでしょうか?
その知人は、

「これ聞いたら(私の歌唱)自分の知っている人は泣くと思い
 ます(プロを目指していて断念した人を知っている)
 この手順を外に出したら、多くの人が泣くと思います。」

と言いました。

こういった理由から、
私は学生時代から未発表の発明を沢山ストックしています。
これは私だけでは無いと思いますよ。

では次に、何故そのような成果を成し遂げられるのか?
を説明します。

簡単に言えば、

「人は心配をしている対象を超えられる。」

という事です。

私たちには、
潜在能力や無意識の能力があるのはご存じだと思います。
脳の構造は誰もが同じで、人間が出来る事は予め脳に埋め込
まれています。単に封印されており、使う許可が降りないと
いうだけです。課金しないと機能が全部使えないお試しアプ
リみたいですよね。
つまり、偉人も聖人もその能力は元々誰もが持っています。
許可が降りていないんです。

このスイッチのON・OFFを制御しなければ、とても発明
などできません。思いつめてノイローゼになり、日常が壊れ
てしまうでしょう。

そしてこのスイッチが、

「対象について思いやり心配する」

です。

音痴を治したくて仕方なく、音楽史から調べ、音楽に従事す
るひとすべてを思いやって心配しました。すると、彼らがう
っかり取りこぼした部分が見つかったんです。

自分より強いと思う人について心配できない人は無能になる
しかないという事です。

絶望感から初めて思いやって心配するようになる。
この心の調整期間が突破までの期間なんです。
コンプレックスがあれば数年かかるかもしれません。

自分で考えるというのは、あれこれと相手を心配するという
事です。お客さんや上司の心配をしても、偉人の心配が出来
る人は稀でしょう。

そのため、世間で優秀であるという人と、世界で活躍されて
いる学者さんに分かれてしまうという事です。

どんな相手でも思いやって心配出来れば何でも出来ます。
そしてこの訓練を成し遂げた人が聖人と言われており、その
人の智慧が全ての人を上回っているのは当たり前なんです。

自分より劣ると思う人を見て、

「ああ、この人まったく他人の心配してないよな。
 だからか・・・」

と当てはめて見ると良いでしょう。

そして思いやって心配するのも訓練が必要なんです。
早く始めたほうが良いと思いますよ。

これが道徳の五常(仁義礼智信)で言う、
「仁」と「智」の関係です。

誰かを憎むというのはその逆にあたります。
その対象のレベルが低かったら、それだけ自分が底辺をさま
ようことになります。その相手を愛して心配出来た時、超え
られます。因果応報ですね。

まとめますと、

・頭の良し悪しを日常で悩むのは愚かである(五十歩百歩)
・自分が心配し思いやることが出来る対象がいた場合、それ
 よりわずかに優れているあたりが自分の限界である
 (ペットにしか優しく出来ないとなるとヤバいという事。
  動物より少しマシなレベルという事。)
・自分の能力をあげるためには相手を心から心配するしか方
 法が無く、過去に遺恨があると不利に働く
・ハンデを減らすためにも恨んだり憎んだりという気持ちは
 使わない方が良い。

質問者さんは、対象について思いやりや心配が足りないと思わ
れているという事です。

そしてそれが出来ない理由として自分の不満や怒りがあるはず
です。それを誰にも言わず我慢している。相手を信用し相談も
していないという事です(五常で言う「信」)。

身近な人から初めて見ましょう。
その対象の人について心配出来る様に成ったら、もう大丈夫な
はずです。心が晴れると思いますよ。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になりました。

今の私には自分のことしか見えていなく、自分のことは心配(分)を抱きますが、相手を思いやるということを意識できませんでした。

自分より上位の人を思いやる、心配するというのが私に出来るかどうかわかりませんが、意識はしてみたいと思います。

お礼日時:2021/12/31 12:25

すっからかん頭の武田邦彦にしたら少しは実のある事を言ったようですね。

珍しい。
言われたことだけかもしれないけど、それをこなしてるんならきちんとアウトプットしてるじゃないですか。会社に利益を出してるわけでしょ。
研究職か何かで、ほんとに自分だけで何かを生み出さなきゃならないならちょっと困った状態なのかもしれないけど、出世しにくいだけでしょ。
とにかく自分のしたことが会社の利益になってればそれでいいんじゃないかなあと思いますが、どうでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私は現在、お金を稼ぐ部門(製造業等で言えば営業に当たります)にいますが、自分のコミュ障気味の部分もあり、クライアントにうまく提案等出来ず。。。

結局、社内の手続き業務を行なうことが多く、それは現在いる部門では全く評価されるものではなく、、、誰かがやらなければいけない仕事できちんとアウトプットを出しているという部分では有りますが。。。。

お礼日時:2021/12/31 09:37

武田邦彦氏は奇を狙い、極論で聴衆を集める面があります。



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「自分の人生は35才で終わってしまったのだ」の回答画像1
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

武田邦彦氏には書かれているような面もあるのですね。

カーネギーの本、読んでみたいと思います。

お礼日時:2021/12/31 09:31

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