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サピアウォーフ仮説について教えて欲しいです。言語が違えば考え方が異なるという説なのでしょうか?

A 回答 (2件)

私も説明出来るほど知らないし。

りーちょばさんが、どの程度言語を操るのかもわからないので、手がかりだけを示すと、

「考え方が違う」というのは、どのようなことをいうのかから考えた方がいいように思います。 今から何をしますかと質問しても、聞かれた3人は違うことを返事した場合に、3人の考えは違う、考え方が違うというのか。 食事と観劇とデートとプレゼントのどれがいいですかと聞かれても、音楽鑑賞、アニメを観る、筋トレする、勉強するの選択でも、考え方の違いはでるでしょう。 日本の神社で参拝している人に「神様って厳しいですか」と質問した場合、カトリック教会でお祈りしている人に「Is God Strict?」質問した場合、たぶん、だいぶ違う思考がなされるでしょう。 それは、使用される言語が起こしている現象ではないでしょう。
和装に詳しい方ならば、ちょっとした言葉からぱあーっと明確なイメージを思い浮かべて適否の判断もされることがあるのでしょうが、私など何を言われれているのかさえわからないのでイメージも出来ないし選択の良否・適否など思い浮かべようもないです。 服装や美容の関係だけでなく、スポーツ競技やゲーム、ITの技術でも、調理や料理でも、マーケティングでも、疾病に特有の症状や状況変化に関する言葉でも、知らない・詳しくない事柄については、思考しイメージすることも出来ないです。 使用言語、母国語が違うということは、文化習慣にも大きな違いがあるってことでしょう。 農民と牧畜民、軍人、商人や貿易業者、船乗り、木材加工、織物業、製陶業では、それぞれの生活で重要なことに関しての用語は強い意味を持っていても、自分たちにとっては話題にさえもしないような言葉が引き起こす(感覚、感情、意思、思考)はほとんどないでしょう。
例えば、性差別がハッキリ根付いて家督は長子相続が基本になって、嫁取りや奉公人として働くことが常識になっている社会で中流家庭であれば、長男と三女という言葉が引き起こす思考は、長子相続制になってもなく、妻問婚の社会の貴族の長男と三女の言葉が引き起こす思考とは異なります。
まして、ムスリムとイヌイットのような関係であれば、何が、思考の違い、考え方の違いを生じさせているのかを見るのは難しいです。
現代の日本語の動詞には英語やフランス語のような「時制による活用」というものがない。過去の出来事を表すには、「書いた、話した、観た」などのは過去の助動詞タをつけることだが、過去形と完了形の区別も日本語にはない。さらに、今のことなのに「彼女が来たよ」のようなことを言うし、これからのことであるのに、「明日、買い物に行ったときに」とか原形のまま、「テストを受ける、試合がある」と未来のことをいう。 英語を母語とする人の思考・考え方と、日本語使用者のそれとは違っているはずと言えるのか。

《言語が違えば、考え方が異なる》という事実があるのかを確認するのは、とても難しいです。

https://liberal-arts-guide.com/sapir-whorf-hypot …

こっちも参考に
https://www.crimsonjapan.co.jp/blog/grammatical_ …
https://www.crimsonjapan.co.jp/blog/gender-langu …
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思考に使用言語が干渉する、したがって使用言語の構造で思考を使ってしまうという判断ですね。

けれど、フランス構造主義哲学からの見解は、言語で思考している、あるいは言語によって思考させられてる、というパラダイムシフトが起きています。りーさんのような考え方はフランス構造主義哲学に重なると思います。英語でflat fish 日本語ではおひょう、ひらめ、かれいに相当します。英語ではソテー料理としても、日本語でのそれらは、英語での認識に違って、おひょう→かまぼこ、ひらめ→刺身、かれい→煮付け、というように見分け、調理分け、味分けしています。それぞれの言語というソフトに応じて、主体=思考の認識、行動、思考、文化そのものが再編成、再加工、再出力されてる、と言うことが解ります。
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