プロが教えるわが家の防犯対策術!

目に前で人が暴行されてて、止めないで見て見ぬふりは情けないといってる人が、息子には目の前でそういったことが起きたら何があるかわからないから関わるなと言うのは、話の整合性とれないですか?

A 回答 (26件中1~10件)

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大事なのは話の整合性を取ることではないと思います。

実際に他人を助けない人を目の前にして、情けないという評価を与えておきながら、自分の子供には、危ない場面では関わるなと教えるわけですよね。まあ、親が子供の安全を第一に考えるのは当然としても、他人はどうでもいいとい屈折した倫理観を持ってしまうのではないかとおもいます。確かに安全を維持できるかもしれませんが、結果的に取り返しがつかないほど信頼を失うこともあり得ると思います。もちろん危険なこともあるので勇気の問題もありますが、もちろん強制されるものではありません。他人が助けを求めてるときに助けなくて他の人に助けてもらった。自分の友達や恋人があなたを助けれくれなくて、後であなたが助けられなかった相手の言い分を100%受け止められるかと言えば、そんな人はいないと思います。そもそも人を評価しながら、立場が変われば考え方を変えてるのだから整合性が取れるわけがありませんよ。実際にどうするかまではわからないにしても考え方としては確実に矛盾してるので子供は簡単な判断に流れるでしょうね。親が殴られて何もできない子供だとそれも困るしある意味不幸です。すぐ110番するとか、周りに助けを求めるとか、いろいろ方策を考えるって方向とかいろいろ思考しないといけないのかなって思います。
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そういう指摘ってくだらないな。



自分の安全を確保しながら、できる限り人も助ける。

そんなことは、自明の話です。
だから、

・力のない子供には、関わるなといい。
・協力すればなんとかできたはずの大人が傍観していたことが批判され。
・でも、犯人が、ナイフでも持っていたら、誰も手がだせないし。
・それでも、ブドウの達人なら、戦うだろうし。

原則をもとにしたとき、まるで自動的に行動が決まるかのような考えこそあらためるべきかと。
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整合性は取れていない。


そして、回答を読んだら、情けない回答ばかりで日本人の民度の低下を痛感する。「義を見てせざるは勇無きなり」という思いを持ってる人はほとんどおらず臆病な卑怯者ばかり。

私自身は揉め事が起きてるときに声をかけたことは何度かある。声をかけたらそれで収まった。勇なき者にはなりたくないものだ。
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整合性はそれぞれの人が自分の中で取るのだと思いますよ。


長いのでお暇なときにでもどうぞ。

ご質問の内容については私も不整合であると思いますよ。
ただ、現実にはそんなに立派な人はあまりいないと諦めています。
以下は質問者さんへと言うより、私たち大人はどう考えて何に気を
付けるべきかという趣旨に変えてお答えします。

誰かを助ける事と自分の身を守る事の二つの目的があったとき、ど
ちらかしか達成できないなら、自分の身を守るべきです。

「そういう(事態を想定して準備していなかった)自分は情けない」

と感じなさいという事です。

現実にそうなった場合。
嫌でも自分の行動と良心の間で悩み。
自分の正しさについて心の整合性を取るしか無いんです。

上手く行動できなかった時、親や他の大人の指導を引き合い出して
心の葛藤を鎮めようとしても楽になるとは思えません。

既に回答がありますが、他に助けを呼ぶという事はできますよね。

「ああ、そうすれば良かったんですか?」

「まあ、それが出来たかは分からないよ。
 私は話を聞いて想像しただけだから。
 だけど、君。それは何年前の話なんだい?
 そうか・・・いまも苦しいんだね。
 何とかしてあげたいけど、俺も似たようなものだし。
 気の毒に。」

あの時はこうすれば良かった。
こんなことを思い出すことになるでしょう。
そういう人生になってしまっても、誰かが苦しみを取り除くことは
出来ないんです。親や他の大人の言う事に矛盾をついて何の意味が
あるんでしょうか。

ただ単に、

「あいつは自分の心と戦えていないんだな。」

と思われるだけです。
他人の批判をするときは、誰かを心配しているとして話の趣旨を作
るしかありません。どんないい方であれ、誰かを救いたいという内
容を含まない批判は八つ当たりとして受け取られます。

日常の中で自分の姿を選ばないといけません。

・無謀をして傷つく愚かな人
・準備不足でパニックを起こして何もできなかった情けない人
・良心の呵責や恥ずかしさに耐えられずみっともない行動を取る人
 (=責任転嫁をする。自分の正当性を主張する。誰かの失敗を攻
   撃して憂さを晴らすなど)

三番目だけは自分で止めれるはずです。余計な懲罰を自分に課すの
は損をするだけです。

そうしませんと、

「やっぱり他の人の方が立派に見えて仕方ない。
 全然、楽に成らないじゃないか。」

と思えるようになります。心の傷が慢性化するというわけです。
この人は次の衝動にあらがえなくなります。

「立派に見える人にも情けない所があると知りたい。
 そういうシーンを見たい。
 それを見れば自分も先に進めるかもしれない。」

と小さな悪意が芽生えます。こうなるともう危ない。
最初のうちは偶然を期待します。
次は意識的、そして恣意的(扇動し始める)に行動するようになる
でしょう。俗に言う、生きていて意味が無いというのはこういう状
態です。けっしてそう成らない様に気を付けましょう。

結果として、

「良心の呵責と戦っている人を更に攻撃し、泣き崩れる姿をみたい
 という自分になってしまった。」

この様に自分が変質するからです。
物語に出てくるような卑劣な人物ですよね。
そうなった人がこの先の人生で自分を好きになれるとは思えません。

多くの人は、

「力が無かったので仕方ない。俺は情けない。」

と感じて日々を過ごしているものですよ。

「だけど、この良心の呵責。恥ずかしさとの闘いからは逃げない。」

と正しい答えを見つけているはずです。
ここからも逃げようとした人が卑劣な人物へ変質するという訳です。

「現実である自分の身を守れたんだから、恥ずかしいという気持ち
 くらい仕方ないとして受け入れなさい。それも嫌だというのは我
 慢が足りなすぎる。大人としてみっともないぞ。」

としましょう。

情けない大人は沢山いますよ。
そこからみっともない大人に成ったり、悪人になったりしなければ
良いと思います。それは全く別の人生になってしまいますから。

よく、

・「・・・は間違っていますか?」
・「・・・はどう思いますか?」
・「・・・には耐えられません。どうして・・・なんですか?」
・「・・・と言っておきながら、実際は・・・です。矛盾していま
  せんか?」

と言う質問があります。

こういう時は相手の方の年齢によって答え方を変えないといけない
と思っています。

若い方はこれから立派に成っていくわけですから、その方向で考え
ます。もう充分に大人である方なら、

「子供じゃないんだから。我慢しなさいよ。
 みっともないから、それは辞めなさい。」

と言うでしょう。

先ほどの質問例は、

「自分より強いと思われる人にしか出来ない質問」

であるという事に気づいておりますでしょうか。
そういう負け犬的な気持ちが自分にあると気が付いて、恥じ入る事
も大事です。習慣にするとよいですよ。

また、不用意に世の矛盾や他人の矛盾について指摘し、悦に入ろう
とすればコンプレックスを持っていると多くの人に告白してしまい
ます。コンプレックスだけではなく賢くないというのもアピールし
てしまいますよね。余計な災難です。

「こいつらに俺の悩みを話してもなあ。」

と諦められるくらいが幸せなわけですよ。

「これくらい言っても大丈夫だろ?」

と思った段階で甘えているわけですよね。
ここで一呼吸おいてみましょう。そのまま発言してはいけません。
その自覚にあわせて、外への態度もあわせると綺麗に進みます。

「・・・と思い、情けなかったです。
 恥ずかしいとは思いますが、皆さんはどうしていたんですか?」

と質問すれば、

「俺の若いうちは、こんな言い方で出来ただろうか。
 今の若い人は素直だなあ。」

と感心されると思いますよ。

子供の頃には正しさと言う概念を学びますよね。
しかし、これだけでは解決できないシーンに遭遇します。
こんなときは、五つのポイントでチェックし、それぞれについて分
解して整理すると心が落ち着きますよ。

・思いやりのある行動であったか
・自分も含め周囲の人を正常な日常へ戻そうという意思はあったか
・失礼は無かったか?伝統や慣習を軽んじていなかったか
・誰もが損をする結果を導いていなかったか、他の案はなかったか
・未来の成果や損ばかりを気にして行動に遅滞がなかったか

遭遇するシーンによって大事になるポイントが変わってきます。

「ちょっと・・・なんでそんなことするの? 他に方法は・・・
 いやいやまてまて。このシーンはそれじゃない。
 ぐっとこらえて、思いやりを使おう。
 ああ・・・そう・・・こういう気持ちになってたのか。
 だとしたら、
 『びっくりしたんだね。怖かっただろ?』
 と語る方が良い未来になりそうだ。」

こんな感じです。

時には同情や共感が意味をなさず、解決のアイデアの方が効果があ
るでしょう。五つのポイントのうちどこにウェイトがあるのか、自
分で判断をして対応していくしかありません。

長くなりましたのでご質問のご回答に戻ります。
私が思う所で文章を補足します。

「自分の体と心は自分で守れるようになって欲しい。
 もし双方を守れないなら、体を守り心は犠牲にしなさい。
 生き延びて安全になった後は心が痛むだろう。
 そんなときに自分は正しかったと主張すると痛みが長引くから辞
 めておきなさい。周囲の人も何となく不快に思って、君を許さな
 いだろう。そうなれば過去の事案であっても別のトラブルに結び
 ついて余計に損をするよ。
 そんなときは、恥ずかしさや良心の呵責から逃げず、
 『俺は情けない人間だ』と一言で決めてしまいなさい。
 責任転嫁は第三者への攻撃でしかないからね。
 仕方ないと言い訳しても責任逃れに見えるんだ。
 恥ずかしいという気持ちは、情けないという気持ちに変えなさい。
 こちらの方がしっくりくるだろう。君の救いになるはずだ。」

という所じゃないでしょうか。

平時であれば「情けない」と言う表現は悪い方に捉えられます。
しかし、「恥ずかしい、自分は悪人だ、生きている価値が無い」と
苦しんでいる時は「情けない」と評価することで楽に成るんです。

これから自分で自分を守り生きていくお子さんがいるのならば、何
があるか分かりませんから、自分の守り方、凌ぎ方を教えておくの
は大事でしょう。

動物の親と言うのは正しさを教えるではなく、
生き残り方を教えるものです。

正しい事をして守ってもらうというのは子供の生き残り方です。
次のステージでは生き残った結果をもって正しいとするんです。
しかし心に苦しみを伴うようでは人生を楽しめません。
こんな時は正しさ以外の観点で人の行動を評価し、現実が自己責任
で変えられるものだと自信をつけることです。

過去の想い出がいまも自分を苦しめるようになってはいけませんよ
ね。誰かに守ってもらうのが当然だと思い込むとそうなります。

自分の身を自分で守っていくことになる子供に向けて、
生き残りの道具をあたえる立場としては、
それぞれのシーンでの発言は整合しているという訳です。

以上、ご参考になれば。
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自分の身が一番大事。


傷ついたり、命を落としてまで親のDVに耐えたり、上司や教師のモラハラに耐えたり、仕事をしたりする必要はなく、下の方が言うように助けを求める(通報する)ことをすればいいだけのことです。

自分を大切にできない人間が他人を助けることなどできません。

私も背後から刃物で」首を切られたことがありますが、その時、通りかかった早稲田の女学生が110番してくれて助かりました。

その人の名前もどこで何をしているかもわかりませんが、今でも感謝しています。
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それが日本人ですのでOKです。



日本は大陸でなく島国なので適当でいいんですよ

他人より自分や身内を守って下さい。
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そっと通報しましょう‼️

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そういった時は「人殺しー!」と何度も叫べ、と教えましょう。

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未成年の息子さんだと怪我したり命の危険もあるので心配なんですぞよ

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