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私は東京の人間です。
昔から神戸が大好きで、今でも毎年必ず行っています。
10年前の阪神淡路大震災のときには、義援金を送る以外自分にできることが何もないのがひどくもどかしかったものです。
そんな中、震災で亡くなった方のお名前が刻まれた場所が神戸市中央区にあると知り、そこへ行って黙祷を捧げたいと思うようになりました。
物見遊山ではありません。
地元の方には到底かないませんが、神戸を愛する気持ちならば、ただ好きなだけの人には負けません。
しかし、母が「そこは震災で家族や親しい人を亡くした人が故人との想い出に浸る場所で、いわゆる戦没者の名前が刻まれた石碑なんかとは性格が違うみたいだから、被災者でもないあなたが行くのはよしなさい」と言ったのです。

阪神淡路大震災で被災された方にお聞きします。
いくら神戸が好きでも、被災者でもなければ神戸に親戚がいるわけでもない「よそ者」が黙祷に来るのは避けてほしいと、心の底ではお思いでしょうか?
例え私が純粋な気持ちでも、傷ついた心を荒らされるようにしか地元の方に思っていただけないのでは、行く意味がありません。
私にとって厳しい意見でも大歓迎です。
被災された方々の本音を教えてください。

A 回答 (3件)

阪神大震災を経験した者です。


家はかろうじて半壊、不幸中の幸いでした。家族もみな無事です。経験者はそれぞれに色んな被災をしたので、語ると長くなってしまいますが。今でも涙が流れてしまいます。

場所は神戸市役所南にある東遊園地内にあります。是非行って黙祷を奉げてあげてください。
毎年12月に、神戸ルミナリエを開催している場所でもあります。
何度か、希望の灯火のガラスが若者に壊されたこともありましたが、現在神戸は復興し、元気になってきています。

私は部外者でも『来てくれてありがとう』と言いたいです。
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この回答へのお礼

被災者の方であられるとのことで、今さらながらお見舞い申し上げます。
亡くなった方のお名前が書かれた場所が具体的にどこなのかはっきりとわからなかったので、教えていただきありがとうございます。
そこへ行ける日が来たら、言葉にはできない思いを込めて黙祷を捧げてきます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/22 07:41

大阪市内在住ですので、ぎりぎりタッチの差で、直接的な被災からはまぬがれました。


しかしながら、10年過ぎた今でも、阪神大震災の映像は冷静な気持ちでは見られません。

さて本題です。
いらしていただけるのならば、ぜひ黙祷していただきたく思います。
亡くなった方の無念さと、復興に努力する方々の話など、機会があるのなら聞いてほしいと思います。

>傷ついた心を荒らされるようにしか地元の方に思っていただけないのでは

そんな事はない、と断言いたします。
少なくとも、あなたのような方は人の心に土足で踏み込むような事はしない、とわかります。
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この回答へのお礼

私もいまだに、あの震災の映像は冷静な気持ちでは見られません。
実は当時、憧れの著名人(一般の方です)が神戸に住んでいたので、ニュース映像を見るたびに「あの瓦礫の下に彼がいたらどうしよう」と気が気ではありませんでした。
縁あってその方とはそれからお知り合いになり、今では神戸に行ったときに会ってお話をしたりするまでになりましたが、やはりよそ者が踏み込んではいけないと思い、震災のことは口に出さないようにしてきました。
被災者でもない自分が震災のことを詳しく知った気になってはいけないように思っていたのです。
しかし回答者様のご意見を拝見して、いたずらに震災の話を避けるより、むしろ震災や復興について正しく知る方が「神戸に思い入れのある者」として大切なのではと思えてきました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/22 08:08

 私は被災者ではありませんが、阪神・淡路大震災には少なからず影響を受けた人間です。


 先日、神戸へ10年ぶりに行って、東遊園地内にある「慰霊と復興のモニュメント」へ行ってきました。
 通勤時間帯に行ったこともあって、周りには誰もおらず、被災者でない人間が入っていっても特に問題はないと思いますよ。
 名前が記載された場所は、半地下のようになっていて、周りからは見えないようになっています。

 鎮魂の気持ちがあれば、地元の方も喜んでくれるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

被災者以外の方が入っていかれた実例を示していただき、感謝いたします。
名前が記載された場所がどのようになっているかは、テレビで見て知っていました。
周囲から見えない屋内のような場所だからこそ、屋外の慰霊碑などとは一線を画するものではないか、よそ者が入っていいのか、と不安に思っていたのです。
もし行ける日が来たら、そのときだけは「よそ者だから」という迷いは捨て、鎮魂の思いのみで胸を満たしていたいと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/22 07:51

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