ショボ短歌会

日本海海戦で、対馬沖で日本艦隊はロシアの艦隊に接近して行きます。
このまま行けば、南下している日本艦隊の左舷と、北上しているロシア艦隊の左舷が対向して、砲撃戦になるはずですね。

司馬遼太郎の「雲の上の坂」から引用します。

東郷平八郎が指揮している旗艦三笠上で、安保砲術長が、

<「―どちら側で戦さをなさるのですか。」
と、どなった。
左舷か、右舷化、どちらであるかを決めてもらわねば射撃指揮の準備ができないのである。>

通常では、(すなわち、当時の常識はずれの敵前回頭が考慮されていません、東郷の頭の中にあるだけですから)自然、日本艦隊は左舷からの砲撃になるはずですね。

質問は、なぜ、砲術長は射撃が左舷・右舷からになるかついて悩んだのでしょうか?

A 回答 (5件)

No.2 tukachanです。


>いつごろから、敵前回頭を(単なる研究でなく)構想していたか、
戦況は千変万化ですね。背負う任務、指揮官の性格などでも戦況は変わりますね。
その中で、敵発見前に敵前回頭の戦術で戦おうという想定をするのは無理だと思います。

連合艦隊はバルチック艦隊と遭遇したときには思いも掛けず接近していて、俗説のT字戦法みたいな敵の進路前方に立ち塞がるような起動は出来ない状態でしたね。
バルチック艦隊も戦闘隊形に移行し損ねて、二列縦隊で連合艦隊に突っ込んでくるというミスがありますね。

敵味方、思いも掛けない状況で進む中、東郷司令官は自分の任務達成のため、戦況を考慮しながら、最善のタイミングで最善の決断をしたと言うことじゃないでしょうか
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この回答へのお礼

再三の御回答ありがとうございました。
<考慮しながら、最善のタイミングで最善の決断>になりますね。
丁字作戦を調べた結果です。
1904年1月に東郷は丁字作戦を含んだ作戦案を作成している。
黄海戦にて、東郷は3回丁字作戦を実施しようとしたがいずれも失敗、日高は成功。
対馬沖戦で、14時2分にT字作戦を採用するつもりで変針。
14時5分、大回頭(T字作戦)を実施。
13時後半ころ、進路が変わり、砲術長には、反航・並航かがわからなったのでしょう。(T字作戦に移行するとはおそらく思わなったのでしょう)

お礼日時:2022/03/03 11:11

No.2 tukachanです


日本海海戦に夢中になって、回答になって無くてごめんなさい。

帆船時代の海戦などでも、艦隊の指揮管や艦長が、船の航路を指示するのと同時に、戦闘の前に「左舷、砲撃戦準備」というように、左右どちらで戦うのか命令を出してます。左舷、右舷のどちらで戦うかは、司令官や艦長の判断で、砲術長はその判断を聞いて部下に命令をして居るみたいですよ。

ご質問にある砲術長は、どちらか悩んだと言うより、敵が迫っているときに、司令官や艦長に判断を出して欲しかったということかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございます。
私が疑問に思っていることは、いつごろから、敵前回頭を(単なる研究でなく)構想していたか、ということです。秋山たちの参謀は、「東郷ターン」をも検討していたとは思いますが、東郷自身が状況によっては実際に採用しょうか、と思い、周辺に伝えていたのか、です。

お礼日時:2022/02/28 18:25

No.2 tukachanです。


日本海海戦の動画を見てました、名場面なので東郷ターンが描かれてます。
ドラマ「坂の上の雲」

映画「日本海大海戦」
https://www.youtube.com/watch?v=SfKfpRkK-ps

ターンが終わるまで日本側は敵に撃たれっぱなしですね。この危険を冒して勝利を収めたんですね
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2022/02/28 18:17

添付した図が、世界の海戦史上、「東郷ターン」という有名な移動。


敵を発見して接近。その後の艦隊運動が二つあります。

1つは互いにすれ違いながら、全砲火で敵をたたく。この運動のメリットは初期から敵と全砲火で戦える。デメリットはすれ違い終わった後、Uターンして敵を追いかけなければならないから、的を取り逃がす可能性が高い

2つめは図にあるように敵前で回頭して、敵と併走しながら砲撃戦。この場合は敵と併走しながら砲撃戦をするので敵を取り逃がす可能性が少ない。デメリットとしては、敵は日本艦隊が回頭しているポイントに全砲火を集中して砲弾をたたき込めば、砲弾が降り注ぐポイントに日本の艦が通過していくからロシアにとって有利、日本にとって非常に不利

常識的には、2は危険すぎるので1の移動をします。この時には東郷司令官は、敵を殲滅しなければならないという自分の任務、敵味方の距離や速度、熟練度などの要素を加味して2の移動が最大限の効果があると判断したのですね。

砲術長が右舷か左舷を気にしたのは、司令官が判断する艦隊の移動で、1のパターンで敵を左舷に見ながら戦うのか、2のパターンで敵前でターンして敵を右舷に見ながら戦うのかを尋ねたのだと思います。
「日本海海戦の対馬沖の戦さで、なぜ、三笠の」の回答画像2
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
東郷周辺の参謀以外にも、砲術長も、<2のパターンで敵前でターン>することが起きえる、ということを知っていたのですね。
巷では、東郷がとっさに<2のパターン>を選択した、といわれていますが。

お礼日時:2022/02/28 18:16

砲台の回転(180度?)には、時間が掛るので。


(数分程度かな?)

砲台の向き変更に時間が掛り過ぎるとと、射撃する時間が遅くなりますよね?
戦闘で、敵から先に撃たれて被弾する可能性が高くなりますよね?

昔の軍艦砲は、撃つ方向変えるのに、物凄く時間かかったと思いますよ。

(ド素人の推測です)
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
端的に質問をします。
何故、左舷側で準備しなかったのでしょうか?

お礼日時:2022/02/28 16:33

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