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仏教を学んでいて疑問が出てきました。
「原因に縁って結果が起きる」という法則を縁起と呼ぶそうです。
良いことをすれば良いことが起きて、悪いことをすれば悪いことが起きる。
それはそうだと思ったのですが、例えば通り魔に襲われた人、無謀な運転をしている車にはねられた人などは何があってあのような目にあうのでしょうか。
このような点について仏教はどのように解釈してるのでしょうか。

A 回答 (8件)

仏教を学んでいて・・・・?


縁起の法は、仏教を学ぶ上での初歩的な知識です

原因・理由のこと。果を生じる内的な直接の原因を因といい
、因を助けて果に至らせる外的な間接の原因を縁という
。因と縁が合わさって(因縁和合)、果が生まれ報となって現れる。
仏法の生命論では、一切衆生の生命にそなわる十界のそれぞれが因で、
それが種々の人やその教法にふれることを縁として
十界のそれぞれの果報を受けるとしています

現在の姿には、過去の“原因”による“結果”があらわれます。
車ではねられた人も此の法理に当てはまります

「縁起」 が、縁りて起こると書くように、人間界であれ自然界であれ、単独で存在しているものはなく、
すべてが互いに縁となりながら現象界を形成している。
すなわち、事象のありのままの姿は、個別性というよりも関係性や相互依存性を根底としている。
 一切の生きとし生けるものは、互いに関係し依存し合いながら、生きた一つの コスモス(内的調和)
、哲学的にいうならば、意味連関の構造を成しているというのが、大乗仏教の自然観の骨格なのであります

縁起の法 ・・・ 参考
http://rokusann.sakura.ne.jp/sub4.htm
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ネットで検索すると、


浄土真宗本願寺派 https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/words/000252 … 
「これある故にかれあり、これ起こる故にかれ起こる、これ無き故にかれ無く、これ滅する故にかれ滅す。他の多くのものの力、恵み、お蔭を受けて、私たちは生かされているという、仏教の基本的な教え」ということで、吉凶のことではない。 
日蓮宗  https://www.nichiren.or.jp/glossary/id152/
「此れ生ずるが故に彼れ生ず、此れ滅するが故に彼れ滅す」 〈苦〉の原因には〈無明〉が存在します。〈無明〉とは自己中心性、自分の事しか見えていない、視野が狭い状態。 〈無明〉を抑え、他者への共感性、慈悲を持つことで、結果的に〈苦〉を滅する事ができる、この考えが〈縁起〉です。
真言 https://www.kichijyoin.jp/column/faq/faq-21-6.html
花は種がなければ咲くことはできない。土や水や温度や光がなければ、花を咲かない。種を「因」、水や光などを「縁」、花が咲くことを「果」と呼びます。このように縁って起こる法則を縁起と名づけた。縁起の法は「これがある時、それがある。これが生じる時、それが生じる。これが無い時、それが無い。これが滅する時、それが滅する」と言い表わす。あらゆる物事はすべて因果関係で成り立っている、物事はそれ自体では存在しない。思いどおりにならない苦しみから抜け出すには、渇愛、執着を捨てる。
wiki https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%B5%B7
種々の縁起説は、〈煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)〉を骨格とするが、無明を根本原因とする12の項目からなる縁起説(十二因縁)が次第に定着した。

吉凶や運不運、災害や犯罪被害、戦闘/暴力行為/テロ、白馬の皇子や玉の輿、ロトや宝くじ、株価や為替相場のこと、老病/勝敗などのことには関心が向いていないです。
惑いや懐疑、逡巡などで、自分のやることに生じるなにかが、自分の気持ちに苦悩を起こす。 迷いや懐疑、逡巡、欲望、執着を捨て、精一杯にやることで、自分の気持ちに充足が起きるということではないでしょうか。
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例えば通り魔に襲われた人、無謀な運転を


している車にはねられた人などは何が
あってあのような目にあうのでしょうか。
 ↑
前世の行いが悪かったのです。



このような点について仏教は
どのように解釈してるのでしょうか。
 ↑
説明が出来ないので、苦肉の策とし
前世、という概念を作りだしたのです。

仏教に限らず、宗教てのはこういう
ものです。

俺は悪い事をしていないのにどうして
死ぬのだ。
大丈夫、悪い事をしていなければ、天国に
行けるから。



キリスト教でも同じです。

全知全能の神がいるのに、どうして
この世は矛盾に満ちているんだ?

説明に難渋すると、偉大なる神の
御心など、人間に判るはずが無い。

と、説明します。
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「良いことをすれば良いことが起きる」と言うのは


「悪いことは起きない」と言うことではありません。
そこから先は「運命」の守備範囲です。
そこで良い運を呼び込もうというのが宗教です。
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>>例えば通り魔に襲われた人、無謀な運転をしている車にはねられた人などは何があってあのような目にあうのでしょうか。



まあ、被害者が、通り魔が居るような、あるいは無謀運転に出会う場所にその時間に居たということに、なんらかの原因、理由を求めるか?ってことにですね。
まあ、この世ベースで考えたら、「偶然」の一言で終わるのかなあと思います。
でも、中には、天の采配によって、その被害にあう場所に導かれたということもあるでしょうし、逆に、天の采配(というか守護霊等)によって、「今日はそこに行くのやめたほうがいいよ」という警告を感じて難を逃れた方もいると思います。

ま、当人があの世にいけば、それが偶然か?、予定されていたことか?が明らかになるでしょうけど、この世に生きている限りは分からない。

仏教の「原因に縁って結果が起きる」ってのは、そういう偶然かも?的なレベルの事象ではないと思いますよ。
日頃、夫が妻や子供を虐待しているとか、泥棒を生業にしている、金儲けばかり考えていて、他人のことは無視している、などの行為(原因)によって、悪い結果が生まれるってことでしょうね。
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良いことをすれば良いことが起きる、悪いことをすれば


悪いことが起きる
それだけが真実なら、みんな良いことだけをすれば幸せな
人生を送れます

それだけではなく、何も悪いことをしてないのに犯罪の被害者に
なったり自然災害に会ったりします。
そういう時のために宗教があるんです。自分で解決しようがない
悩みや苦しみを和らげるために、仏さまにおすがりするんです
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こういうのを「屁理屈」と言い 宗教を学ぶ人にとっては 一番 考えない方が良いだけの事

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素人ですが


お釈迦様が縁起を解いてるのは
精神的な話ではないでしょうか。
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