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小田原北条氏と三河・浜松に拠点に置く徳川ではどちらが強いのでしょうか?
関東平野を統治する北条氏が強いのかな(憶測)。
みなさんのifでは采配はいかに。

A 回答 (2件)

強さでは圧倒的に北条。


しかし、北条は成り上がり者特有の弱点がある。それは結束力が弱いという点。
北条は年貢を安く据え置くなどの善政を敷いていたが、それはひょっとしたら自らの弱点を補うためであったかもしれない。

ただ、両者とも単体では相手を倒す決定的な強みはなさそう。外征は大きな出費を伴うが、両者は財政基盤が弱い。大規模な長期外征が難しくては相手の領土に簡単には攻め込めない。

この時代に頻繁に外征を繰り返せたのは、金山を持つ武田、重要な港湾都市を抱えて流通利権を握っていた織田、港湾都市に加えて高級繊維産業育成に大成功して上方に売りまくっていた上杉の三家くらいだ。
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小田原城は、総構えの城で、軍事と商業の両立を目指した物で、織田信長


の楽市楽座より、早いのです。
伊勢新九郎(北条早雲)は、税制の優遇措置など、領民が喜ぶ政策を
行い関東の領民の支持を得ました、関東管領の上杉家が敗れた大きな
要因です、その後を継いだ上杉謙信は何度も小田原を攻めましたが、
駄目でした。
防御力に加え、領民が支持している小田原城は、負けないのです。

徳川家康は江戸城を造るのにあたり、総構えの小田原城を大いに、
参考にしました。
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戦いは、領地獲得の為に、するものです、ゲーム感覚ではしません。
三河、遠江、駿河の領主・徳川家康は、領地経営で手一杯で、
戦する余裕は、無かったと思いますよ。
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