希望是本無所謂有、無所謂無的。這正如地上的路、其実地上本没有路、走的人多了、也便成了路。この読み方を教えて下さい。

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故郷 魯迅」に関するQ&A: 魯迅の故郷の一文

W 読み方」に関するQ&A: B&Wの読み方

A 回答 (1件)

外国語のカテの方がすぐ解答が来そうな質問だと思いますが…


とりあえず読み方ピンインですw

xi1 wang4 shi4 ben3 wu2 suo3 wei4 you3,wu2 suo3 wei4 wu2 de.
zhe4 zheng4 ru2 di4 shang4 de lu4,qi2 shi2 di4 shang4 ben3 mei2 you3 lu4,
zou3 de ren2 duo le,ye3 bian4 cheng2 le lu4.
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大変参考になりました。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/05 20:39

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Q魯迅の故郷について

魯迅の故郷について

魯迅の故郷の中で、『厳しい寒さの中を、二千里の果てから,別れて二十年にもなる故郷で、私は帰った』とあるのですが、その故郷の場所というのはどこになりますか?

多分中国のどこかになるのは分かるのですが、魯迅の故郷の場所が載っているサイトありましたらおしえていただきたいです。

また、魯迅についてのサイトがありましたら、教えて頂きたいです

宜しくお願い致します

Aベストアンサー

魯迅の故郷は「紹興酒」で有名な「紹興」という街です。
今なら、杭州から高速道路で1時間ほど東に行けば到着します。
魯迅の生家は今は「魯迅故里」として、紹興では一番の観光地になっています。
http://www.geocities.jp/torabane/btrip114.htm
http://www.geocities.jp/ktpjh362/shanhai/rojin.html
http://www.city.sendai.jp/kikaku/kokusai/city/shao_xing/shao_xing.html

Q源氏物語で光源氏の没年齢

タイトルの通りですが、光源氏の没年齢は何歳でしょうか。
41巻『幻』での年齢は52才となっていますが、
それは出家するときの年齢だと思います。

いろいろ調べましたがわかりません。
わからないというのが正解かもしれませんが、
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
原文テクストは無論、翻訳テクストも見つからないので、記憶を元に、勝手な推測をしてみたく思います。

おそらく、死亡年齢や年代を明示的に記述する文章はないと思います。しかし、色々な状況から、ある程度推測できるのではないかと思います。

「幻」の最後で52歳だとすると、紫上の逝去からかなり経っていることになります。紫上は37歳で亡くなったはずで、源氏は、上より七歳か八歳年長のはずです。女三宮が落飾したのは、紫上の死の前のはずで、この時、すでに薫は生まれています。また匂宮も生まれています。

源氏44歳の時に、薫1歳とすると、「幻」の最後では、薫は9歳になります。宇治編の最初は、話の時間が少し錯綜しているのですが、薫が侍従であって、宮仕えをはじめた頃の話があります。侍従は16か15歳のはずです。すると、「幻」の最後と、宇治編の始まりの時間とで、6年か7年しか経過していないことになります。

冒頭の「匂宮」は、薫が侍従であったときより数年後の話とすると、話の時間が、十年後程度ということで数字が合ってきます。しかし、薫が侍従であった時の話の段階で、すでに源氏や六条院の栄光は、はるかな過去のことで、記憶の向こうのような書かれ方がされていたはずです。

わずか数年前、源氏が薨去し、六条院の人々は悲嘆にくれ、散り散りになってしまったという感じではなく、それはもっとはるかな過去のことのような感じになっています。

本編の物語と宇治編を分けるため、こういう風に作者がしたのかも知れませんが、時間の経過関係は、書かれていなくとも、計算して行くと、矛盾したものがないのが、「源氏物語」です。

宇治編では、光源氏が、ほとんど話題に昇りません。源氏があればこその薫であり匂宮のはずですが、何故か、無視されています。作者が意図的に触れなかったとも云えますが、作品のなかの時間で、源氏が無関係と思えるほどの時間が経過したのではないかともいえるのです。

夕霧は、別腹とはいえ妹の明石が中宮で、その息子が東宮で、更に、三人目の息子である匂宮を、次の東宮に立てようなどと画策しています。ところが、夕霧は、宇治編で、右大臣です。太政大臣には、黒髭がなっていたとしても、黒髭も、すでに逝去しています。父親が太政大臣、しかも准太上天皇、院で、母親は、太政大臣と降嫁内親王のあいだの娘の葵上です。

東宮の伯父であり、次の東宮の伯父にもなり、中宮の兄で、しかも、経歴からも血筋からも、彼に匹敵できる者はいないはずなのです。冷泉院はまだ元気で、夕霧が兄だと知っているのですから、何かおかしいと思えるのです。

つまり、源氏が、もう少し長生きしていれば、息子の夕霧を太政大臣に就ける算段をしていたはずだと思えるのです。晩年の源氏の悲嘆などは、内面的なもので、世間体は作っているのであり、源氏は、権力の絶頂にいたとも云えます。

夕霧が、予言通り、太政大臣になっているならともかく、何時までも右大臣なのは、影響力のある源氏が、その力を発揮する前に亡くなったのだと考えるのが妥当でしょう。夕霧も四十を超えていますから、年齢的に太政大臣は無理とはならないはずです。

これらを考えると、源氏は54歳頃に薨去したと考えるのが妥当なように思えます。源氏は、出家して、仏道の修行も立派に修めて亡くなったとされますから、「幻」の直後、出家し、三年ほど修行に励んで、薨去したと考えると、相応に修行もし、また、薫たちが成人となった時、すでに十年近い過去の人となっていたとも云えるのです。

53歳では、修行が二年で短く、55歳だと、五、六年前の人、ということで、まだ記憶に残っているでしょう。従って、55歳あるいは56歳以降まで生きたとは考えにくいということです。

59歳まで生きていたとすると、薫が侍従の時、まだ存命ということになりますが、そんな風にはとても思えません。すでに、この時、「過去の人」になっています。

(54歳で亡くなっても、「過去の人」というには、最近亡くなった人という時間になるのですが、源氏と紫上の年齢差が九歳か十歳だとすると、源氏52歳で、薫7歳になり、時間が整合して来ます。

あるいは、紫上の亡くなったのが、37歳でなく、39歳とかの場合も、似たことになって整合します。この辺りの年齢関係は、テクストの出来事の順序から表まであるはずですから、確認できるはずです)。

54歳という薨去年齢は、宇治編では、「過去の人」となっているため、源氏は、可能な限り早く死んでいなければならないのと、仏道修行も勤め上げたということのための時間で、3年は必要だという判断から出てきた年齢です。
 

 
原文テクストは無論、翻訳テクストも見つからないので、記憶を元に、勝手な推測をしてみたく思います。

おそらく、死亡年齢や年代を明示的に記述する文章はないと思います。しかし、色々な状況から、ある程度推測できるのではないかと思います。

「幻」の最後で52歳だとすると、紫上の逝去からかなり経っていることになります。紫上は37歳で亡くなったはずで、源氏は、上より七歳か八歳年長のはずです。女三宮が落飾したのは、紫上の死の前のはずで、この時、すでに薫は生まれています。また匂宮も...続きを読む

Q魯迅に関する論文検索について

国内で発表された魯迅の古典研究に関する論文を探しています。
もともと、古典研究に関する論文は少ないらしいのですが、現時点で探し出せたのは、小川環樹先生の「魯迅の古典研究」と林田慎之助先生の「魯迅のなかの古典」の2つだけなのです。
このように魯迅関連の論文を国内で探す場合、どのような方法で探すのが一番良いのでしょうか?
京都大学の『東洋学文献類目』などをあたってみるのですが、(当然そうなりますけれど)国内外の論文が多く、なかなか思う所の論文を探し出せません。
魯迅関連の論文目録のようなものは、国内では刊行されていないのでしょうか?
もし、ご存知の方がおられましたらご回答願います。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

以下のようなデータベースを見つけました。
収録雑誌は次のようですので、なにか参考になるのでないでしょうか?

  『新文学史料』(2000年4期まで)
  『魯迅研究月刊』(2000年12期まで)
  『中国現代文学研究叢刊』(1983年1期から2000年4期まで)
  『中国現代文芸資料叢刊』(1-8期:1962-1984年)
  『文学評論』(1978年1期から2000年6期)
  『出版史料』(1982年12月から1992年4月)
  『魯迅研究資料』(1-24期)


中国近現代文学関係雑誌記事データベース
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~ozaki/

Q目出度さも中くらゐ也おらが春

こんにちは。

小林一茶の俳句ですけど、
ここで季語は<おらが春>ですか?それとも<春>ですか?
おらが春と言ったら私の春の意味ですか?
参考書には<おらが春ー新年>と書いてあります。

では。

Aベストアンサー

学校では、おらが春=正月と習った記憶がありますので
「おらが春」が季語だと思います。

Q添削お願いします(魯迅について)

魯迅についての中国の人の意見に興味があり訳しています。添削お願いします。

・曾借了<<魯迅全集>>準備全面了解先生的文章、誰知如先生看<<二十四孝>>只看到“食人”、我看他的作品、ye看到“罵人”。かつて「魯迅全集」を全体的に理解するつもりで借りた、先生が「二十四孝」を読んでただ「食人」をみつけたように、私は彼の作品を読み、「罵人」が目に入ったとは誰が知ろう。

・了解魯迅之偉大是因為他的年代没有像他到処罵人。
魯迅の偉大さを理解したのは彼の時代には彼のようにいたるところで人を罵る人はいないからだ。

・他曾経帯給中国人民的精神財富。彼はかつて中国人民に精神の財産を与えた。

・記憶頗深的是銭先生対先生的所謂“無物之陣”的深刻解釈、先生描写的是毎一個個体在無物之陣中的zhengzga。かなり深く覚えているのは、銭先生が先生に対してのいわゆる「無物之陣」の深い解釈だ、先生の描写は?。

・不知道這是否ye是一種伝承。?一種の伝承だ。

Aベストアンサー

原文の素材を壊さないように気をつけて改修してあります。
*は原文の私の添削です。**はこのように修正した方が良いなぁと思う参考文です。
標点符号に気をつけてください。

>・曾借了<<魯迅全集>>準備全面了解先生的文章、誰知如先生看<<二十四孝>>只看到“食人”、我看他的作品、ye看到“罵人”。

**曾借来的<<魯迅全集>>準備全面了解先生的文章,誰知如先生看<<二十四孝>>里只看到“食人”的文章,而我看他的作品,也看到“罵人”的文章。

>かつて「魯迅全集」を全体的に理解するつもりで借りた、先生が「二十四孝」を読んでただ「食人」をみつけたように、私は彼の作品を読み、「罵人」が目に入ったとは誰が知ろう。

**かつて総体的に魯迅先生の文章を理解するつもりで「魯迅全集」を借りてきたが、誰が知ろうか如先生は「二十四孝」の中でただ「食人」の文章だけを読んだが、私は彼の作品を読み「罵人」の文章を読んだ(読んでしまった)。

看:見る。読む。← この両方の意味が有ります。ここでは"読む"のほうがふさわしいのでは・・・?。"見る"がご希望なら"読んだ"をそのまま"見た"と置き換え可。
--------
>・了解魯迅之偉大是因為他的年代没有像他到処罵人。
**据了解魯迅之偉大是因為在他的年代里没有人敢像他那様到処罵人。
>魯迅の偉大さを理解したのは彼の時代には彼のようにいたるところで人を罵る人はいないからだ。
**(読んで)理解したところによると魯迅の偉大さは彼の時代には恐れずに彼のように至る処であのように人を罵るような者はいなかったことである。

敢:恐れずに。思い切って。
--------
>・他曾経帯給中国人民的精神財富。
*他曾経帯給中国人民精神財富。
**他曾経給中国人民帯来了精神財富。
>彼はかつて中国人民に精神の財産を与えた。
*彼はかつて中国人民に精神財産をもたらした。
**彼はかつて中国人民に精神の財産をもたらしたことであります。

給~帯来~:~へ~をもたらす。
--------
>・記憶頗深的是銭先生対先生的所謂“無物之陣”的深刻解釈、先生描写的是毎一個個体在無物之陣中的zhengzga。
**記憶頗深的是銭先生対先生的所謂“無物之陣”的深刻解釈。先生描写的是毎一個個体在無物之陣中的zhengzga。
>かなり深く覚えているのは、銭先生が先生に対してのいわゆる「無物之陣」の深い解釈だ、先生の描写は?。
**とても深く覚えているのは銭さんの先生のいわゆる「無物之陣」に対する奥深い解釈であります。先生の描写されているところは各個体は無物之陣の中のzhengzgaであります。

zhengzga:真假 zhen1jia3 ですかねぇ?
--------
>・不知道這是否ye是一種伝承。
**不知道這是否也是一種傳承。
>?一種の伝承だ。
**これもまた一種の伝承なのかどうか知らない(判らない)。

傳承:口傳、傳説のことですね。
--------
魯迅短編『孔乙己』もきっと感動を覚えますよ(^^♪。

原文の素材を壊さないように気をつけて改修してあります。
*は原文の私の添削です。**はこのように修正した方が良いなぁと思う参考文です。
標点符号に気をつけてください。

>・曾借了<<魯迅全集>>準備全面了解先生的文章、誰知如先生看<<二十四孝>>只看到“食人”、我看他的作品、ye看到“罵人”。

**曾借来的<<魯迅全集>>準備全面了解先生的文章,誰知如先生看<<二十四孝>>里只看到“食人”的文章,而我看他的作品,也看到“罵人”的文章。

>かつて「魯迅全集」を全体的に理解するつもりで借りた、先生が「...続きを読む

Q起承転結って生成文法ですか?

起承転結って生成文法ですか?


コントや小説や有名人の講演とか
言葉を使って何かを表現したり、
述べる文化に起・承・転・結があると
自然としっくりくる
ないと不安定(逆にそれを狙った作品もあると思いますが)
に感じるのは何故でしょうか?
最近生成文法という言葉を知ったのですがこれもその一種ではないでしょうか

Aベストアンサー

No1さまがおっしゃっているように、起承転結は生成文法ではないです。
なぜなら、生成文法はあくまでも言語(文法)に関するものですから、起承転結のように物語(narrative)に関する物事に関しては使用できない概念だと思うからです。
(生成文法的に(あるいは、生成文法を応用して)物語を解釈する、のように援用することはありうるかもしれませんが、一般的には別物だと思います)

質問者さまが、両者に近しいものを感じていらっしゃるのは、おそらく両方とも「構造」に関わるからではないでしょうか。
もともと生成文法は構造主義から派生した考え方だったと思いますし、
起承転結も、筋のあるお話(=物語)が、どういう構成になっているのかに着目したものだと思いますし。

なので、「起承転結も生成文法の一種」なのではなく、
「起承転結も生成文法も一種の構造」なのではないかな、と思います。

Q魯迅の経歴

魯迅の「故郷」の中で、楊おばさんが、「わたし」のことを「知事様になって」と言う場面があります。
(1)魯迅は知事だったのでしょうか。
「故郷」の主人公「わたし」が魯迅と同一人物かどうかもわかりませんが、なんとなくそう読んできました。フィクションならフィクションでもよいのですが、もし、実際の体験をもとに創作したものなら、本当に知事だったのかどうか、教えて欲しいのです。
(2)もしそうだとしたら、日本の知事と同じような地位と考えてよいのでしょうか?
どなたか教えて下さい。

Aベストアンサー

 参考URLをご覧ください。

参考URL:http://tb.sanseido.co.jp/kokugo/kokugo/j-kokugo/hotline/3rd/kokyo.html

Q笛吹きの成方と名器「大丸」の訳

十訓抄の、笛吹きの成方と名器「大丸」の訳が分かる人がいましたら教えてください!「初めはゆゆしくはやりたちけれども、つひにい出し抜かれにけり。」の所までです。

Aベストアンサー

以下のURLを参考にしてみてください。

http://gocco.jp/pc/book_page.do?book_id=40364&book_chapter_id=131992&page=2&ts=1209371623691&hash=b7ec0f

Q魯迅は故郷を再び訪れたか

魯迅に『故郷』という小説があります。
この作品の内容は、作者本人が経験した出来事が元になっていると聞いたことがあります。
とすると、魯迅の実体験として、自分の故郷で容易には変革できない中国の厳しい現実、もしくは人と人との心の壁を感じ取ったのだろうと類推されます。
文学テキストと現実を同列に語ることができないのは承知していますが、自分の生まれ故郷でそうした苦い体験をした魯迅が、その後再び故郷を訪れたことがあるのか、ないのかが気になります。
ご存知の方がいらしたら教えてください。
「ある」「ない」だけでもかまいません。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私の手元に、旺文社文庫の「阿Q正伝・狂人日記」という1970年に発行された文庫本がありますが、その最後のほうに魯迅の年譜があります。
日本に留学した1902年からほぼ、毎年の事が記載(量は少ないですが)されています。

それによると、やはり1919年12月(38歳)に故郷に帰っています。理由は、故郷の家を整理するのと、母親と末弟(建人)らを北京に呼び寄せるためで、12月末に北京に帰っています。以後は、亡くなるまで故郷へ帰ったという記載はありません。  1921年1月(40歳)に「故郷」を出版。

私見ですが、魯迅の行動記録を見ると、とても帰郷する時間は取れなかったと思いますし、彼自身も心情からすれば、帰る気にもならなかったと思います。
ですから、1919年12月が最後の帰郷だと思います。

Q神成文吉ってどう読むの?

「八甲田山死の彷徨」で有名な青森歩兵第五連隊の大尉です。正しい読み方教えて下さい。

Aベストアンサー

「かんなり ぶんきち」です。
ご自分でgoogleなど検索なさってはいかがですか。
「答えさえわかればあとはしらんぷり」式の無礼をはたらくぐらいなら。

参考URL:http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ka/bunkichi.html


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