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仏教は自らの悟りを求める宗教であったから、死者供養は少なくともその中核に位置しえなかった、ですね。
しかし、現在は葬式仏教と揶揄されるようになってきました。

この思想的根拠は何でしょうか?

A 回答 (6件)

思想的根拠って、なぜ葬式仏教になったか、ということですか?



一つは日本に伝わったのが大衆救済を目的とする大乗仏教だったこと。
本地垂迹思想により、仏教が神社と祖先崇拝思想を取り込んだこと。
江戸時代の檀家制度を敷いてすべての家を寺と結びつけ、寺は過去帳で住民管理をした。
以後、寺の主たる業務は葬式を通じて住民(家)を管理することになった。

こういう経緯で日本の仏教は「葬式仏教」になっていったのだと思います。

江戸は250年続いたので、人の意識の中でお寺=葬式という図式が固定してしまったのです。
明治政府は神社とお寺を切り離しましたが、仏教が死後の世界を扱うこと、つまり葬式仏教として存在し続けることには大した関心を払わなかった。
むしろ、寺を通じた共同体に国民が取り込まれている檀家制度も、明治政府にも住民統治の観点から都合がよかったのでしょう。
お寺はお寺で、檀家制度により経済基盤が保証される。

「葬式仏教」で政府もお寺も国民も安定が得られたのです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<本地垂迹思想により、仏教が神社と祖先崇拝思想を取り込んだこと。>ですね。
もともと神道が古来より持っていた先祖崇拝思想を吸収してしまったのですね。

お礼日時:2022/08/30 15:27

早速の御回答ありがとうございます。

」←質問を思いついたから 質問した・・と 俺には思えるが?

このまま 現在の様に墓地を作って行けば 未来の子孫の住む場所も 遊ぶ場所も狭くなる・・

何処かで 死の本当の意味を知り 墓などの少ない地球にしないと子孫が困る・・

・・・・・・・って部分まで 自分で考える事が出来る様に なって下さいね
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2022/08/31 10:15

日本では民間信仰に 全ての宗教は飲み込まれていく傾向が強い。


これは広く慕われる宗教ほどそうなる。
道を歩くときに挨拶する感覚で 「神様仏様」と出来るものが好まれる。

結局 偉い人が壮大な神社や寺を建てて祀れば 人はお参りをする。
だが教義には それほど興味を示さない。
「とりあえず有難い」程度だ。

そんな中 冠婚葬祭など「式」の時だけは 日本人は「形式」と「流儀」を大事にする。
どのような心持で 何を大事に 順番や方法に則って 執り行う事を良しとする。
これは 信仰は人のものだが 式は神や仏のものだからだ。

仏教で式と言えば もう葬式しか出てこないが 結婚式も仏前式というのはあるにはある。
しかし華やかさで 教会式や神式に劣るので 選択されない。
結果的に 坊さんが生き残るためには 葬式に力を入れていくしかない。

それと浄土真宗など 死後の幸せを求める流派が 日本人気質に合っていたためもある。
「南無阿弥陀仏」と唱えれば 死後も安らかに暮らせると 苦にあえぐ者達の多くが真摯な祈りをささげた。
これらの 「供養」「死後の平安」の図式が 現在まで仏教が総指揮に大きな湯区割りを持つ所以だろう。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<「南無阿弥陀仏」と唱えれば 死後も安らかに暮らせると 苦にあえぐ者達の多くが真摯な祈りをささげた。>に由来しているのですね。

お礼日時:2022/08/30 15:29

すみません、


供養が中核でない根拠はありますか?
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/08/30 13:49

其処?・・



もう少し考えてみれば?
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/08/30 13:49

根拠になるサイトとかありますか?

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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。

お礼日時:2022/08/30 13:46

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