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何故中ソ対立の時、アルバニアだけヨーロッパなのに中国側にたったのですか?

A 回答 (3件)

想像ですが、ラテン民族またはロマンス民族(ヨーロッパにおいてはイタリア人、フランス人、スペイン人、ポルトガル人ルーマニア人など)に対しても、ゲルマン民族(ドイツ人、オーストリア人、オランダ、イギリス、デンマーク人、スウェーデン人など)、敵対的あるいは距離を置きたいような心情があるのではないでしょうか。

 スラブ系にも同じようなスタンスでしょう。

https://www.gale.com/jp/c/albania-records-of-the …
アルバニアは、第二次大戦後、社会主義圏の中で生きることになっていて、アメリカを核とする資本主義の体制ではなく、東欧に属し、西欧との間には線もありました。

ドロシー・ギルマン(アメリカ合衆国の推理作家)の[おばちゃまは飛び入りスパイ(1966発行)]の舞台はアルバニアです。その中で、トルコ、イタリア、ソ連(ロシア)、中国が、アルバニアを支配したと秘密警察の大佐に言わせています。(この小説の訳者は、ホジャではなくホクサーとHoxhaのことを表記しています)  1950~1965年頃のアメリカ在住の作家にとっては、アルバニアは、各地の強力な勢力に利用され辛酸をなめさせられ続け、生き残るために風見鶏になったり、なんとか存在し続けるために政治的にもなると見えていたのでしょう。

中国は、国力をつけるに従ってソ連と対立し、独自性をだし、米ソのソの一員という状況から独自性を目指し第3極としての存在になろうとし、中ソ対立だけでなく、中南米、インド、アフリカにも独自の影響力を出せる手を打って、その一環で、アルバニアに目をつけたのです。 ホクサー(Hoxhaホジャ)も自立路線に役立つと、積極的に中国を受け入れたのです。 当然、やがては、中国の巨大化影響力行使が目立って、中国とも対立するようになります。
http://www.y-history.net/appendix/wh1603-048.html
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%A2%E3 …
中国は世界戦略・としてアルバニアも影響下に置こうという気を今も持っています。 https://japanese.cri.cn/2022/07/24/ARTIITzFtoXJI …
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アルバニアは、フルシチョフのスターリン批判に激怒してソ連と縁を切った。

中国もそうだったので、共産圏での同胞として中国がアルバニアを支援した。

当時のアルバニアは原理主義的な共産主義信奉国だった。中国とは関係なく、修正主義に転じたソ連とは対立しただろう。
アルバニアが中国側に立ったというよりも、同じ立場に立った中国がソ連に代わってアルバニアに支援を始めたということだろう。
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指導者であるホジャは、スターリンを崇拝していました。


1956年にソ連がスターリン批判をしたのに反発、1960年代にはワルシャワ条約機構を脱退し、ソ連と断交します。そして親中路線に転換するのです。

もっとも1971年の突然の米中対話で衝撃を受け、毛沢東死去後には中国とも対立を深め、鎖国路線をとることになります。

ホジャ(ホッジャ)
http://www.y-history.net/appendix/wh1604-021_1.h …
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