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死の恐怖、あって当然です。

克服するのは何ですか?

A 回答 (4件)

死が恐く思えるのは、自分自身の一番大事な『生命の源である、自身の生命の働き=仏性』と仲違いしている事を意味します。



その反対の場合が、死に往く人が豊かに微笑んだままの姿で逝く場合です。

この場合での違いは、簡単に説明出来ます。自身の脳内に二つの命、或いは二つの人格が存在していて、その二つの人格が争っているのか、或いは仲良く出来ているのかの違いです。

生きている時人間が如何して苦しむのかの原因が、自身の心の矛盾とか心の争いとか、心の分裂と云った、心の中での在り方が原因となっています。

その反対が『自身の心の中が平和になって、争いが無くなって、静かになった状態=涅槃』という事を意味します。

仏教での教えにその事が書いてあるようです。人間の苦しみの原因はその本人の中に在る。自身が自身を苦しめている、という理由=『無明の故に』という事の様です。

そうしてその根本的な解決方法、自分自身を知る事=『見性=自性の徹見』=『悟りを開く』と書いている様です。

キリスト教に於いては『神と(出会って)和解する』そうして、神の後をついて行く、という状態です。

結論から言うなら、天国の住人になる事が大事という意味です。

キリスト教に於いては『天国に近い存在は幼子』と説明しています。

仏教に於いては『嬰児』です、その理由は、命の働きと自我意識が一つの者として機能しているからです。

思春期頃に脳の機能が二つの者として働き始めるからです。心が見ている自分と見られている自分とに分かれてしまって、心の矛盾から始まって、対立や分裂が始まるからです。

此処での分岐点から、失楽園が始まる事になります。それ以後人間の心には休まる事が無くなってしまって、自分は何者か?と云った疑問に苛まされる事になるからです。

心を病む事に対しての完治という事を学ぶ事が無かった人間が、完治を手にする事は、釈迦の教えの中に在る様です。

心の癒しの最大の療法が、釈迦の教えの中に在る事を知っている人は余りにも少ないかも知れません。
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動物は死を予期できないので恐怖は感じません、死を避けようとする本能があるだけです。

人間も動物なので死ぬことを頭で色々と考えなければいいのです、死ぬ時がきたら死ぬと思っておけばいいだけです。
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この回答へのお礼

痛い苦しい死だけは避けたいです。

朝起きたら死んでいた…
↑これが僕の理想です。

お礼日時:2022/10/02 09:14

認知症は、神が与えた恐怖を克服する病とも言われています。

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この回答へのお礼

それ良いですね

お礼日時:2022/10/02 09:13

死の恐怖を克服するのであれば、死にかけることですかね。


ただ、それがトラウマになり、もっと死の恐怖に陥るかもしれませんから、ご注意を。
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