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平安時代の貴族は漢文が必須ですが、なぜですか?

※できるだけ長文でお願いします!

A 回答 (8件)

世界共通語だからです。

今の英語のポジションですよ。

漢文で書けば中国の人も朝鮮の人もベトナムの人も日本の人も、同じ文章を読むことが出来るという素晴らしいものなのです。ちなみに中国って言語が中国語の1つだと思われがちですが、実は13くらいの全く別々の言語が使われていたりします。それを1つにまとめているのが漢文って感じです。
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先端的政治文化や技術の基盤が中国文化だったからですよ。

そういう先端文化を学ぶのに漢文が必須なのは当たり前。
今は米国などの先端文化・技術の基盤が英語なので、外国の先端文化を学ぶのに英語が必須なのと同じことです。

※文字量が足りなかったら、後は適当に埋めてください。
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朝廷の公式文書が漢文だからです。

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中国文化が上位という了解だったから。


たとえば漢詩と和歌では漢詩の方が上だった。
正式なのは漢文、それ以外は私文扱いだった。

それと、ひらがなやカタカナは平安中期に成立した。
平安成立時には存在しなかった。
かな交じり文を書こうとしても万葉文字しかなかった。

ちなみに、江戸時代も公文書は漢文だった。
江戸武士が藩校で四書五経を学んだ理由の一つである。
僧に頼むこともあった。
「国家安康」で有名な方広寺の鐘の漢文も、豊臣の意を汲んで僧が作ったものである。
豊臣が威信をかけて作る寺であれば正式な文である漢文でなければならず、格の劣る大和文は考えられなかった。

日本の役所が漢文から解き放たれるのは明治維新以後である。
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奈良時代から、朝廷の公文書は中国との関連で、漢文が基本だからです。


カタカナ、ひらがなが生まれたのは、平安時代の初期と言われてます。
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元々日本には文字が無く、中国の文字である漢字を使いました。


そのため、公文書は漢文で必ず書くものだったのです。ですから、支配階層は漢文の読み書きができるのが当たり前なのです。
とは言っても、例外は必ずいます。勉強嫌いの貴族もいました。有名なところでは藤原道綱。あの藤原道長の異母兄で、生母は古文の授業でも出てくる、才女として有名な「道綱の母」。道綱は、当時の公家社会で最高の知性と呼ばれた藤原実資からボロクソに貶されていて、「アイツはいい歳こいて自分の名前しか読み書きできない」と日記に書かれるほどでした。
道綱は、道長のライバルになり得なかった事と、馬が合ったことから、道長の引き立てで結構出世しています。
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当時の貴族は支配層であり、土地登記・徴税、裁判の記録などを残す必要がありましたが、文字を持たなかったので漢文を大急ぎで輸入したわけです。

都合の良いことに漢文は行政の仕組みをすでに確立していた漢の行政制度を背景にしていましたから進んだ行政テクニックを含んでおり朝廷の行政を進化させるのにも好都合だったのです。
学習が進むと、実用ばかりではなく漢詩のような文学から斬新な美意識にも目覚めていき、漢文はセレブに必須な教養ともなったのです。子弟の教育のため大学も作られましたが、そこでの主要な科目は漢文でしたし、公務員試験でも漢文漢詩の力が試されました。現在のまたは未来の一家の長たる男子は猫も杓子も、という感じで漢文を学ばざるを得ません。

現在は、英語にとって代わられましたが、当時はそれが漢文だっただけのことです。
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知識は中国から来たから。



長文失礼いたしましたッ!
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