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佐藤良明『英文法を哲学する』(㈱アルク 2022.1.24 ) で次のような品詞観が提示されています。

   ==========〔引用開始〕
「SVO のどこに来るかで品詞が決まる」(p98)

  He ―― hit ―― two singles.  彼は2本の単打(シングルヒット)
  N     Ⅴ     N     を打った。

と、今度は single が名詞になって、復数形の s も付きました。

 品詞とは、その語句の構文上の位置によって決まる。やや難しい言い方になりますが、
 
 単語は最初から、ある品詞に属しているわけではない。関係性の構図の中で、それぞれの「持ち場」に収まることで、動詞や名詞や形容詞になっていくのです。
   ==========〔引用終了〕

これは、ソシュールの構造言語学的な形式主義的発想の誤りです。 単なる結果論であり結果の解釈に過ぎません。話者が何故、この単語を選択したのか、使用したのかは全く問題にできていません。というか、問題にできない言語観であるということです。

言語は、

対象→認識→表現という過程的な構造を背後に控えています。この話者の認識を捉えることができないために、単に結果と対象を直結し解釈する他ないことになります。

この対象→認識→表現という過程を媒介するのが言語規範であり、この言語規範により決められている品詞としての単語を話者は使用します。

「単語は最初から、ある品詞に属しているわけではない。関係性の構図の中で、それぞれの「持ち場」に収まることで、動詞や名詞や形容詞になっている」のであれば、話者は何を根拠にこの品詞を選択したのかは全く不明で、混沌から単語が生まれたことになります。

事実は、話者の対象の認識から生まれた概念に対応する品詞の単語を規範に従い選択したということです。
同様に、4-7 「am/are/is は be とは違う」 (p157~)では、グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』から、

そうすればどんな生徒だって、「”行く”は動詞である」という文がどこかおかしいことに気づくはずだ。

という一節を引用し、

     ==========〔引用開始〕
たしかに。Go is a verb.と言うときのgo は名詞です。辞書に単語として掲げられているすべての単語は、見出しである限りは名詞です。動詞が動詞であるためには語の連なりの、しかるべき位置でしかるべき機能を担っていなくてはなりません。
    ==========〔引用終了〕

と、当然ながら前項と同じ誤った品詞観、辞書観を展開しています。辞書が見出しとして示しているのは文字表象でしかなく、解説部分でその規範としての意義の説明が示されています。

この見出しを言語とするところに、ラングを言語とするソシュール言語観の誤りが露呈しています。

文と話者の認識との関係、語の形式と内容の相対的独立という言語の本質が正しく理解されていない限界を露呈しています。

残念ながら現在の言語学、英語学はこうした言語の本質を捉えられないレベルにあります。

このような世界の言語学、文法論の現状を諸賢はどのように理解、判断されていますでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 補足すると、

    ラング(規範としての語)をパロール(言語)と取り違えているために、文中の語はパロールですが、これをラングとし、辞書の見出しはラングの形式の表象であるが、これをパロール(言語)と見なし、辞書には言語がのせてあるという誤解を示しています。

    このように、ラング(規範としての語)とパロール(言語)に対する両面の誤りを露呈しています。■

      補足日時:2022/11/24 15:48
  • 話者の認識を捉えることができない不可知論のパラダイム思考に呪縛されているということになります。■

      補足日時:2022/11/30 09:48

A 回答 (4件)

あなた自身も別の投稿で、ソースの大切さを強調していました。



>>内容が不明な書籍を紹介されても、意味不明の念仏サイトを紹介されても、具体性がないので何もわかりません。
読みもしないで「内容が不明」というのが意味不明です。単に己の不勉強を晒しているだけですね!

日本大百科全書を提示されても、

>中学生向けの日本大百科全書の記述のが紹介が正解とは見識を疑われますが?

などと言ったことをよく反省しましょう。
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この回答へのお礼

コメントを有難う御座います。

相変わらず、日本大百科全書の記述のレベルに何か意味があるとお考えのようですね。

レベルの異なる問題で、ソシュールパラダイムの限界と、その意義を正しく理解しましょう。■

お礼日時:2022/11/30 23:15

>ラング(規範としての語)をパロール(言語)と取り違えているために、文中の語はパロールですが、これをラングとし、辞書の見出しはラングの形式の表象であるが、これをパロール(言語)と見なし、辞書には言語がのせてあるという誤解を示しています。



何を言ってるのやら。
あのさあ、専門家が集まって作った日本大百科全書とまったく違うこと言ってたら、間違ってるのは自分だと普通は思うぞ。せっかく正解を教えてあげてんのに、それでもそんな頓珍漢な誤読を主張して一体どうしたいんだ?
原典を読めば、日本大百科全書の記述のほうが圧倒的に適切なのは明白だから誤読を晒すのはいい加減にしなさい。
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この回答へのお礼

毎度コメントを有難うございます。

>>せっかく正解を教えてあげてんの

えっ!

中学生向けの日本大百科全書の記述のが紹介が正解とは見識を疑われますが?

大丈夫ですか???

お礼日時:2022/11/24 21:05

日本大百科全書にソースなしで反論するのはねえ…。


日本大百科全書の圧勝!
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この回答へのお礼

コメントを有難う御座います。

でも、いつも通り中身がありませんね!

どうして中学生向けの日本大百科全書の話しか出てこないのでしょうか??

お礼日時:2022/11/24 21:02

>対象→認識→表現という過程を媒介するのが言語規範であり



ここから誤っています。まずは、ランガージュ/ラング/パロールの意味を理解しましょう。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%8 …

mixiスレをソースに日本大百科全書に反論するのはさすがに恥ずかしいので止めましょう。
また、原典をコピペしても、理解している証拠にはならないので、それも止めましょう。日本大百科全書に書かれているレベルの用語すら理解できていないのだから、原典をコピペしても理解しているアピールにはなりません。
さらに、時枝・三浦がソシュールを間違って理解したと書かれている論文は、むしろあなたの主張が不当であることの根拠になるので、それを貼るのも無意味です。

ソシュールを理解していないのに、ソシュールを批判するのは的外れです。
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この回答へのお礼

うーん・・・

早速の応答を有難う御座います。

残念ながら中学生相手の日本大百科全書をこの世界レベルの議論に持ち出すのは無理筋です。

まずは、原典とその批判の歴史を学び、さらに言語事実との照合、批判ができる理解力を付けた上でコメントできるようにして下さい。

中味の無い戯れ事、妄想は芳子さんにして下さい。

しかし、毎回恥ずかしげもなく日本大百科全書を引用されるその見識には恐れい入ります。

まずは応答に対する御礼まで。

お礼日時:2022/11/24 14:19

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