最速怪談選手権

神なる言葉が全ての鍵を握っているのではないのか❓

「「神」の精神病理学的見地、及び、哲学的見」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    天国の門は閉ざされた・・・❓

    「「神」の精神病理学的見地、及び、哲学的見」の補足画像1
      補足日時:2022/12/02 06:41
  • どう思う?

    高校は理数科卒で、大学は機械工学科卒だ。


    慶大の合格発表日、昭和天皇陛下の大喪の礼の日だった。平成元年のことだった・・・。

    私は偶然しか信じていなかったが・・・。

    出会いは必然でしか、出来上がっていない・・・。

    こばと。

    「「神」の精神病理学的見地、及び、哲学的見」の補足画像2
      補足日時:2022/12/02 21:51
  • うれしい

    【Wizardry 外伝】五つの試練 ★★龍の邂逅★★ 2022/12/04 (日) 07:15 現在

    「「神」の精神病理学的見地、及び、哲学的見」の補足画像3
      補足日時:2022/12/04 07:24
  • HAPPY

    Ashita karu hi Kobato Song HD (sub español + Romanji + kanji)

    「「神」の精神病理学的見地、及び、哲学的見」の補足画像4
      補足日時:2022/12/04 07:28

A 回答 (9件)

№8よりのつづき



6. 西洋哲学における真理の諸説を検証批判したい。

◆ (ヰキぺ:真理) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%90%86

§ 1 西洋哲学における真理論

真理とは何か、についての研究を真理論という。以下に代表的な説を挙げる。

A. 真理の対応説(correspondent theory of truth):「思惟」と「事物」(羅:res、レス)が一致ないし対応していることが真理であるとする。

アリストテレス、トマス・アクィナス、イマヌエル・カント、カール・マルクス、バートランド・ラッセル、前期ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、アルフレッド・タルスキ、カール・ポパー


B. 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。
    
中期プラトン、ライプニッツ、スピノザ、ヘーゲル

C. 真理の明証説:意識に対して明証的に現れるものを真理とみる。
    
ルネ・デカルト、エトムント・フッサール

D. 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。
    
フリードリヒ・ニーチェ、ウィリアム・ジェイムズ

E. 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。
    
チャールズ・サンダース・パース、ユルゲン・ハーバーマス

F. 真理の定義不可能説:命題 P は命題「命題 P は真である」と同値であるから、真理の概念は定義不可能であるという立場。
    
フレーゲ

G. 真理の余剰説(redundancy theory of truth):命題 P は命題「命題 P は真である」と同値であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。
    
フランク・ラムゼイ

H. 規約主義:真理はその言語体系における規約に依存するという立場。
    
アンリ・ポアンカレ、デュエム、オットー・ノイラート
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

7. ◆ B. 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。
☆ にちなんで言うとすれば 大前提を《公理》ではなく 《想定》とするとよいのだ。これは 仮説演繹法によって 公理としてではなく仮りに想定した大前提を 後追いしつつ〔その現実性をかすめ取り得たならそれによって〕証明していくやり方です。

7-1. 言いかえると 経験合理性を超えた絶対的な整合性の世界――それは 人間には《分かるか分からないかが分からないナゾ》である――を 真理として想定しますよというかたちを採るはずである。

7-2. これによって 絶対性(真理)と相対世界(主観真実なる有限性のわれわれ)との関係――すなわち 両者の間の絶対のへだたりや それでもひょっとしての(霊性や仏性における? 可能性としての)つながり――をあきらかにして捉えようとしているはずである。


8. 《イデア》では ダメである。いや 真理と想定したものを《イデア》と名づけたというだけなら よいのである。つまり イデアなる絶対真理の世界からこの仮象の経験世界のものごとをそのまま《演繹》して来ては ダメである。

8-1. その演繹の仕方では 絶対性(イデア)と相対性(経験世界)とが――人間の思考において/によって 隔たりを難なく超えて――つながったことに成ってしまう。人間が勝手につなげたことになる。自然の驚異かつ脅威は 神の神性そのものであり怒りを込めた天罰だという説をみちびく。


9. 経験合理性による《整合性》だけでは ダメなのである。なぜなら想定によれば 真理は 人知を超えており 人間に理解しうる整合性から自由であるのだから。

9-1. ものごとの有無を超えており 因果関係から自由であり 善悪の此岸ではなく彼岸であり 或る意味で人間の判定する真偽をも超えている。これが 真理。




10. ◆ B. 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。
☆ だから これはマチガヒである。《いくつかの命題》を 経験世界において並列させても それらを真理は超えており それらから真理は自由であるのだから。


11. 言いかえると 経験事象にかんしてさまざまな認識をおこない命題(その判断)として提出する。そのとき 命題の真偽がどうかという問題は 相対的な真実を問うている。絶対としての真理ではない。

11-1. 相対的な主観真実は 互いに認知し共同化し得て多くの人によって共有され得る。ときには 真理へとみちびく補助線と成り得るほど とうといけれど。



12. まづ 《事実》について人は認識する。これを自己表現する。その命題について まづその当人にかんしては 《明証性》があるなら おのれの主観真実であると見なすようだ。――これが:
◆ C. 真理の明証説: 意識に対して明証的に現れるものを真理とみる。
☆ であり これは 厳密な定義としては 真理ではなく 相対的な真実のことである。


13. すなわち ここから《明証性に立つ主観真実》が その認識内容として《事実》と合っているなら それは一般に《事実認識》として認め合われる。(ただし 真理ではなく 真実である)。すなわち:
◆ A. 真理の対応説(correspondent theory of truth):「思惟」と「事物」(羅:res、レス)が一致ないし対応していることが真理であるとする。



14. そのことをもう少し具体的に細かく見てみよう。この一人のひとの主観真実が 当の事実と照らし合わせてほかの人たちによって検証される。やはり同じくそれぞれ自己の主観において真実として見解を同じくするなら そこでは 主観の共同化が成る。


15. この主観共同化が 地域を超えて歴史を超えて共有されるなら――たとえば意志自由とその相互尊重にもとづく民主制なる理念など あるいは 自然科学の仮説理論―― これは 共同主観(コモンセンス)と呼ばれる。

これは 或る程度普遍的な真実であると見なされる。すなわち 次の説に相当する。(ただし 真理ではなく 真実である):
◆ E. 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。


16. 地域や民族の文化などによってその普遍性が狭(せば)まれたなら 共同主観は 部分的な真実となる。(ただし 真理ではなく 真実である)(つまり 次は 一地域・一時代にとっての実用・有用を実際には言っている。さもなければ 実用性や有効性は 時空間による制約はない):
◆ D. 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。
 
16-1. 箸が食べものを口にはこぶのに有用であるからと言って ことさら真理だとは言わない。

17. 民族(≒その一定の言語)の文化をさらにその独自性において重く見る立ち場では この《部分真実》をさらに限定するようである。(ただし 真理ではなく 真実である):
◆ H. 規約主義:真理はその言語体系における規約に依存するという立場。


18. この部分真実を けっきょく一人の個人(つまりその人の主観)にまでもう一度収縮させたものが 次の見解である。

われが思えば・われが言葉で語るならば それが《真実》である。のだから それの共同化などは 問う必要はないと。(ただし 真理ではなく 真実である):
◆ G. 真理の余剰説(redundancy theory of truth):命題 P は命題「命題 Pは真である」と同値であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。


19. それではあまりにも独りよがりではないかと批判されたときには ふたたびのようにこの相対世界をあたかも超えて 絶対の真理なる理想郷(=《定義不可能》)を提示する道にのがれる。:
◆ F. 真理の定義不可能説:命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は定義不可能であるという立場。

19-1. これは《真理》を言おうとはしているのである。真理をこの目で見たいとは言っている。つまりむしろ[7-1]に戻って 真理を 《非知――知り得るか知り得ないかが人間には知り得ないナゾ――》として想定すればよい地点に立ち戻って来ている。

20. ザッカ―は 落ち着く結論として D 真理の実用説を採るらしい。

▼ (植 野 仙 経:『精神病理の形而上学』へのいざない) ~~~
https://www.gakuju.com/%e3%80%8e%e7%b2%be%e7%a5% …

ザッカーは、その状態をある疾患としてまとめて扱うことは何に役立つのか、その有用性を支持する証拠はあるのかといったプラグマティズム的な観点から問いを立てることを提案する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 形而上学――神論ないし真理論――との関係をしっかりと明らかにしてほしいというのぞみが われわれに ある。

プラグマティズムは 神論に対して 無記(問わない・答えない)だろうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

助かりました

私が小松製作所に入社したのが、平成五年のことです。

繰り返すようですが。

来年は令和五年なので。

56歳で没したのは、ヒトラー、ニーチェが世界的には56歳で没しています。

山本五十六連合艦隊司令長官は、59歳で没しています。

来年、日本は戦争になる❓

国家神道の神も知る❓

平成五年から令和四年まで、私は「イエス・キリスト」でしたが幻覚は完全に消失したと思われます。

来年から、私は唯の人になるのだと思えますけれど。

お礼日時:2022/12/05 09:25

1. ここでは 《真理》論を展開します。



2. なぜなら 次の理論に接したからです。

▲ ピーター・ザッカ―:『精神病理の形而上学』
https://www.gakuju.com/n431/

Peter Zachar:A Metaphysics of Psychopathology
植野仙経、深尾憲二朗、村井俊哉、山岸洋 訳 2018

▼ (関連資料:同上サイト掲載)

村井俊哉 「難解な精神医学書を読む」歓び
植野仙経 『精神病理の形而上学』へのいざない
深尾憲二朗 精神医学の哲学と精神病理学
山岸 洋  かろやかに読んでみよう

▼ (別種論文)
後藤真理子:精神医学における社会構築主義と実践種
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pawj/28/0/2 …


3. 精神病理学についてまるっきりの素人ですが 《形而上学》とあるので食いつきました。まさに:
★ (趣旨説明欄) 神なる言葉が全ての鍵を握っているのではないのか❓
☆ の問題です。

4. 形而上学とは 神論のことですが 認識論としては 《真理》の問題です。

たとえば こうなる。:
▼ (植野仙経:『精神病理の形而上学』へのいざない) ~~~
ザッカー・・・形而上学的立場
たとえば、ザッカーは真理の整合説をとる。

真理の整合説とは、しかじかの信念が真であるか否かは他の真なる信念の集まりとの整合性によって決まるとする説である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 真理についての或る説が 世界のものごとの説明と整合的であるかどうか。またほかの真理説とのあいだの食い違いをどのように整合的に説明するか。これらの結果で その説が 妥当であるならそのように共同主観的にみとめられる――といった恰好である。

5. ということで 取りあえずこの前提となる領域としての《真理》論を考えてみたい。《神論》でもある。

投稿を分けます。

☆ なおあらかじめながら ザッカ―は この《真理の整合説》から あとで触れることになる《真理の有用説》へと移ったらしい。

つづく
    • good
    • 1

間違ったのも何も、天国が私に映ったから。



クリスチャンではないですよ。

私はね。」←クリスチャンではないですよ。

私もね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとう

私ね。

祖母が平和憲法公布日生まれでした。
母がヒトラーと同月同日生まれ
私が平和憲法記念日生まれでしたけれど。

今、思えば、地獄道が天道でしたけれど、ね。

此の世の天国を視たのか。
あの世の天国を視たのか。

それは、私には分からない。

だって、私は神ではないのだから。⇔あたりまえ。(^o^ ;;

お礼日時:2022/12/02 23:37

だ・か・ら。



ヒトラーを天国行にしたじゃん」←?


天国は まだ ありません・・

天国とは この世で作って 其処で生活した人達が あの世に行って あの世にも作られる・・

全ては この世が先なのです・・

間違った天国を 信じても意味ありませんよ
    • good
    • 1
この回答へのお礼

プンプン

間違ったのも何も、天国が私に映ったから。

クリスチャンではないですよ。

私はね。

恐らく、科学的詐欺行為だね。

小松製作所の罠だね。

お礼日時:2022/12/02 22:41

こんな動画を創ってみたのですけれど。



アドルフ・ヒトラー総統の一生」←?

そんな事では無く・・

どんな人も 人に 変わりは無い・・

神は 全人類を愛してる・・
    • good
    • 1
この回答へのお礼

助かりました

だ・か・ら。

ヒトラーを天国行にしたじゃん♡


私がガミ(神)ヨ♡

お礼日時:2022/12/02 21:00

言葉は物質ではないので握ることできません

    • good
    • 1
この回答へのお礼

Thank you

権力は物質ではないのですが、掌握と言いますけれど。

お礼日時:2022/12/02 20:51

神を徹底的に政治利用したのが、ヒトラー。



神を政治的に惡利用する、権力者も又、罪深い。」←?


あなたの神って そんなに心が狭いの?
    • good
    • 1
この回答へのお礼

うーん・・・

うーん。

こんな動画を創ってみたのですけれど。

アドルフ・ヒトラー総統の一生
https://www.youtube.com/watch?v=Y1jlzQs9ztY

お礼日時:2022/12/02 20:49

全くの持論であり、病的なことを語るけれど、、、



神の言葉、生ける言葉、命、光、神、そういうものは、形而上のものとして確かにあるが、それを覚知するのは病的な相に見えることはあると思う。大勢と異なることが病気と言えばそれはそうではないと思う。だが、字義の通り地に足を着いている状態では、イデア界の事は分からない。かと言って人である身で空に浮き、イデア界を散歩しようものなら現実と乖離が起こる。これは病的な状態であると言える。
人には知るべきことと知る必要のないことがあり、天の智については、人は知る必要のないことだと思う。何故か?それは人のしあわせに貢献しないだけでなく、人を迷わせる。あらぬ大金が懐に舞い込んだ時に、器じゃない人は人生を狂わせるようなものです。
しかし、もう足が浮いてしまった状態になってしまっている場合、これはまた生き方を模索しなければならない。
何故そもそも智を欲したのか?乖離に至った人生の過去の原因、PTSDなどを探り当て、自己治癒に膨大な労力と時間をかけなければならない。

そもそも、普通の人は真など求めない。食欲、睡眠欲、性欲、+αで自己実現があればよいなと言う程度。しかし真を求める人は、時に、食欲や睡眠欲、性欲に抑制をかけてまでそれを求める。つまり、真(実在)に対する欲求の優先度の方が、生存の三大欲求よりも高くなる。それはおそらく、乳幼児期に自らの存在を脅かすような虐待的な事柄に遭遇したからだろうと思っている。そこで既に、人格に亀裂が起きている。長い間このカテにも、存在狂ともいうべきユーザーがいたけれど、彼のうたい文句である存在は、彼自身の自己救済の命題だった。存在したいけれどもそれが許されなかった過去が、人生のごく初期にあったのだと思われる。
俺もそうだと思う。
その小さなころに、外を向いているはずの自己は内に向き、人格に光と闇が生まれた。悲しい話だ。
安心を得なければならないときに、それを得られなかった代償が一生続く。
三つ子の魂百までということわざの通りだ。

必要なのは愛だが、愛には濃淡があり、それは偏在している。
あるところにはそれが集まり、無いところからはそれは去っていく。
そうして愛の不均衡が起こり、世界のバランスは崩れ、時に怨みと虚しさは集積し、暴力的に解放される。どうしようもない。
愛の性質上、この世に怨みや虚しさが蓄積されるのはどうしようもないことだ。愛されない人は愛されない。愛される人は愛される。愛する人を犠牲にすることは出来ない。愛することの出来る人も、然るべき人に愛されてしあわせになるべきである。そうして愛の希薄な血族は時間をかけて滅んでいく。全ての宗教はそのための救済と思っていいと思う。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

仰る通りだと思われますが。

お礼日時:2022/12/02 19:43

いいえ・・



神って そんなに 崇めるものでも無いし・・

・・・・・・・・・・・・
鍵は人間にあります・・
    • good
    • 1
この回答へのお礼

Thank you

神を徹底的に政治利用したのが、ヒトラー。

神を政治的に惡利用する、権力者も又、罪深い。

お礼日時:2022/12/02 19:44

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!