プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

1. この哲学カテの紹介記事です。

▲ 哲学とは世界や人、神など万人共通の普遍的・根源的なものを深く追求した結果得られた独自の結論とその結論を求める行為のことです。

2.けれども 《世界や人》について たとえば《ひとは 言葉を話す》といった普遍的な事例として 普遍性を言うのと 神について言う普遍性とは わけが違う。

3. 世界や人は 経験的で有限かつ相対的な事象である。その場合の普遍性は 例外があったりまた例外はなくても 時間的な限界の中の一般性でしかない。うつろいゆかざるを得ないという但し書きをたずさえている。


☆ ご見解をどうぞ。

質問者からの補足コメント

  • №1お礼欄つづき

    ★ ロックは言語論で目的達成への道具と捉えていますが
    私的性格を主張している以上、私的のみに限られすべてを表せないのです
    又、受け取る側の多様な環境により容易に別の意味に変化してしまうのです
    言葉の限界、と見ていいと思います
    ☆ 相対性問題は 主観の限界という問題と見ていいでしょう。

    しかも神は 主観か客観かといった論争を超えています。むろん 絶対真理です。(しかもこれは 無すなわち絶対無であるかも知れない)。


    ★ ヴィトゲンシュタインの私的言語論は有名だが・・・
    ☆ ざんねんですが まったく当たり前のお話です。


    ★ ファウストの「太初に行ありき」がそれです。・・・
    ☆ これは 神が《ロゴス》だと言っても その言葉が仮象であるということ 言いかえるなら言葉を超えたもののただのシルシだということです。ゲーテがそう説明してくれていれば・・・。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/04/28 09:14

A 回答 (12件中1~10件)

文学的な長所



感じる事ができないなら
それは、仕方ないですね

頭でかんがえるよりも
気持ちで感じとる事も必要ですからね

明るくなったり
暗くなったり

する人も居てるけど

明るくなったり
暗くなったり

しない人も居てるから

世の中はふしぎなんですよね

多様性や個々の違い
ここらへんは理屈で考えても
野暮な話ですよ
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この回答へのお礼

★ ~~~
文学的な長所

感じる事ができないなら
それは、仕方ないですね
~~~
☆ 次のように紹介されたからには 人間性の問題――自由あるいは平等そしてユヅリ愛――を 文学的に扱っているのかなと思ったわけです。

★★ (№8) ~~~
人、独りがもつ影響力てな言葉があって

これってけっこう考えさせられましたよ

他にも、名言が沢山ある名作なんで
暇な時にでも聴いて貰えたら

bragelloneさんの活動に影響を与えるかもです
~~~





★ ~~~
頭でかんがえるよりも
気持ちで感じとる事も必要ですからね

明るくなったり
暗くなったり

する人も居てるけど

明るくなったり
暗くなったり

しない人も居てるから

世の中はふしぎなんですよね

多様性や個々の違い
ここらへんは理屈で考えても
野暮な話ですよ
~~~
☆ 《たくさんある名言》の一つや二つをおしえてください。

お礼日時:2022/04/30 22:43

SFだからね



タイムトラベルとか
パラレルワールドってな話にもなるけど

人、独りの影響力って
自分自身が他人に影響を与えるってことは
他人も自分自身に影響を与えてる
ってな話にもなって

言うなら、相互作用であるから
人に普遍性を求めたところで
普遍的な1面を覗いてるだけでしかなくて
人や個人てなところにまで到達できないんじゃなかろうかとね

人を人として見てるだけだと
他人からも、人とだけしか観られなくなるとも言えないでしょうか?
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この回答へのお礼

★ ~~~
SFだからね

タイムトラベルとか
パラレルワールドってな話にもなるけど
~~~
☆ ① 妹との関係。これは 平凡です。これといった文学的長所は 分かりません。つまり 影響関係って主題は 見当たりません。明るくなった・暗くなったって変化は 日常茶飯事です。

② けっきょく二周目では そうだとすると 交通事故に遭うのが回避されたって話になるんでしょ? それのどこが 人間性の主題に触れて 文学を構成したか? 《事故には注意しましょう》って言っているだけ?

③ 恋人とのカカハリ。フラれたならフラれたで ピシッと描き切って欲しい。けっきょくパッとしません。



★ 人、独りの影響力って
自分自身が他人に影響を与えるってことは
他人も自分自身に影響を与えてる
ってな話にもなって
☆ まったく当たり前のお話です。



★ 言うなら、相互作用であるから
人に普遍性を求めたところで
☆ だれが・どうして《人に普遍性を求めている》のでしょう?

また 人に普遍性を求めるってどういうことですか? ものごとを客観的に認識しましょうという意味?



★ 普遍的な1面を覗いてるだけでしかなくて
人や個人てなところにまで到達できないんじゃなかろうかとね
☆ ひとは 何もしなくても 人であり・われであり また《独立自由の個人であると同時に社会的な関係性を持った存在》です。

その自然本性のあり方じたいが 普遍的な人間性(その基礎)です。



★ 人を人として見てるだけだと
他人からも、人とだけしか観られなくなるとも言えないでしょうか?
☆ ん? いや 分かんない。人は 人を人として見て 存在をとうとび マジハリにおいて互いの意志ないし心をゐやまふ。これで 人間性の実践編の中核です。

お礼日時:2022/04/30 17:10

主人公は一周目のクリスマスの夜に、交通事故で死んでしまうんですよ



でね、なぜか、10歳の誕生日まで人生が巻き戻されて

同じような10年を繰り返そうとするけど繰り返せない

さらに、1週目の人生で出会う人が
2週目の人生で出会うときには

まったく違った印象になる

まったく違った印象になるのは
人は人によって、反応や対応がかわるから(1週目の主人公と2週目の主人公てな違いでね)

相手が善人におもえたり
相手が悪人におもえたり

するのは、相手の問題だけではなく
相手をしてもらってる本人にも何かしらの問題もある

人、独りが与える影響てな事は

主人公と主人公の妹との関係性なんかで

一周目の幸せな主人公の影響にたいして
一周目の妹も、おなじような幸せな妹にそだつ

2週目の主人公、ここでは対比で不幸せって評言するけど
その主人公の影響で、一周目の妹とは、まったく違った妹にそだつ

主人公が同じような人生を模倣してるつもりでも
人生って模倣不可能だとも言えて

バタフライ効果みたいな

風が吹けば桶屋がもうかる理論で

模倣するハズの2周目が破綻してるけど
そこから、2週目だからこその生き方を模索するてな物語なんですけどね

未来は不確定なんだけど
模索したからといって確定される訳でもない
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この回答へのお礼

★ 主人公は一周目のクリスマスの夜に、交通事故で死んでしまうんですよ
☆ あぁ。それは ドッペルゲンガー〔だけ〕のことかと思った。

だとしたら 一周目と二周目とは 必ずしも同じ筋ですすめられていたわけではない。

もっと乱暴に言えば ドッペルゲンガーが事故に遭うというふうに改変されて 二周目の主人公は すくわれていることも出来る。

それに 元恋人とその代役とが 仲がうまく行っているというのも解せない。



★ ~~~
でね、なぜか、10歳の誕生日まで人生が巻き戻されて

同じような10年を繰り返そうとするけど繰り返せない
~~~
☆ まったく同じ筋を繰り返すと決めたんだから なぜ?

★ ~~~
さらに、1週目の人生で出会う人が
2週目の人生で出会うときには

まったく違った印象になる
~~~
☆ 解せない。一周目の人たちはすでに二十歳からの人生を送っているはず。


★ まったく違った印象になるのは
人は人によって、反応や対応がかわるから
☆ 解せない。だったら 容易に一周目の行動を改変できるし しようとしていると言わなきゃ。


★ 相手が善人におもえたり
相手が悪人におもえたり
☆ それくらいのことなら わざわざ再現しなくても 回想の中でじゅうぶん出来る。反省(内にかえりみる)という精神の営為があります。


★ するのは、相手の問題だけではなく
相手をしてもらってる本人にも何かしらの問題もある
☆ これも 記憶と想像力とで 過去の人生を再編集し得ます。


★ ~~~
人、独りが与える影響てな事は

主人公と主人公の妹との関係性なんかで

一周目の幸せな主人公の影響にたいして
一周目の妹も、おなじような幸せな妹にそだつ

2週目の主人公、ここでは対比で不幸せって評言するけど
その主人公の影響で、一周目の妹とは、まったく違った妹にそだつ
~~~
☆ それは 可能性の一つに過ぎない。ほかの進展も・影響力が無い場合も じゅうぶんにあり得ます。


★ 主人公が同じような人生を模倣してるつもりでも
人生って模倣不可能だとも言えて
☆ げんみつには 無理でしょう。《一回性の原則》があります。二度と同じ情況同じ状態での反復はない。だから わざわざ一期一会などと――分かり切ったことを――言ったりする。

★ バタフライ効果みたいな・・・
☆ 以下よく分かりません。

お礼日時:2022/04/30 14:14

高度成長期以降の日本に生れた


わしやけどだと

神様てな存在にたいしての必要性は
あまり感じないのは事実であって

個人的な探求心てな事においての
神様の存在や、bragelloneさんの説かれてる普遍性や絶対性は興味はあるんですけどね

神様が居たとしても
神様が居なかったとしても

わしやけどは、わしやけどでしかなうて

逆に、居てるのか?居ないのか?
くらいのほうが
わしやけどらしいのかも?
知れないですけどね
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この回答へのお礼

そういう――主観の自由といった――問題を別にしても 要するに 世の中に《かみ》という言葉はあるんですから いやしくも哲学というのなら それは何であるか? これに答えなければならないんです。

そういう問題です。

お礼日時:2022/04/30 12:33

余談


この頃はYouTubeでね
朗読てな動画にハマってて
2ちゃんねるで話題になった名作なんかを聴いてるんだけど
その噺のひとつに出てきた言葉で

人、独りがもつ影響力てな言葉があって

これってけっこう考えさせられましたよ



他にも、名言が沢山ある名作なんで
暇な時にでも聴いて貰えたら

bragelloneさんの活動に影響を与えるかもです

神様とか出てこない話だけどね
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この回答へのお礼

分かんない。意味が。


二週目を一週目と同じように再現するんでしょう。最後の・クリスマスの日にだけは 別の行動に出た。

ただこれだけの話に聞こえる。



まづ二週目を再開するというとき ほかの人びとは どうなっているのか? 

一週目をもう一度繰り返すのか? だとしたら 《僕》もそのようにまったく同じ十年を繰り返すだけになるはず。それ以上でもそれ以下でもないというのみ。


ほかの人たちは 二週目だということを知らないのだろうか。知らなくても 二週目を再現できる? 知っていて再現するのと けっきょく同じ。

でも 自分だけは 再現を無くしたりズラしたりして編集することが出来る? 何のこっちゃ?

二週目をやるということは まったく別の十歳若い人びとに出会うはず。元恋人たちは すでに二十歳からの十年を別の舞台であらたに生きているはず。


――いろんなことが いぶかしくなる。


何を言おうとしたのか 分かんない。

お礼日時:2022/04/30 13:37

なら、話すことができても



話したく無い人はどうなるのかな?

相手が話したくない


話とはお互いに話したいと思うからこそ成り立つ話ですもんね
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この回答へのお礼

★ ~~~
なら、話すことができても

話したく無い人はどうなるのかな?
~~~
☆ もし人が孤立しているのではないとしたら――つまり 社会的な関係性の内に生きているとしたら―― その人は 《いま話したくない。しばしのあいだ ご容赦を!》と言って答責性を果たせばよいのです。

たとえ《しばしの間》が 一生のあいだになったとしても 社会生活性という関係をおろそかにしていないならば 生涯沈黙の人生でも 自由でありかまわないとなります。

それが 自由意志です。


つまりは 関係性だけから成り立っているのではなく ひとはそれぞれ社会的な自由と独立性をも同時に持つという人間論です。

お礼日時:2022/04/30 10:53

神様に絶対性があるなら


あえて人が神の絶対性を考える必要性はないんじゃないかな?

神様に絶対性がないなら
人が考えてあげなくちゃならなくなるけど

てな事を思いましたよ

普遍性や一般的なてな言葉でも
同じような言葉になるけどね

bragelloneさんにとって
神様が不確かなものなら

絶対性を探るべきであって
bragelloneさんのたどり着いた
神様の絶対性てなのが
世に受け止められるのか?
受け止められないのか?
それは、わしにとってはたいした意味を持たないんだけど

人ってなひと括りのなかに
無理から、何かを植え付けようとしても

人ってな集団は、在るようで無いから

明確な個人に問い掛ける方が意義はあるとは思いますよ
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この回答へのお礼

★ 神様に絶対性があるなら
あえて人が神の絶対性を考える必要性はないんじゃないかな?
☆ 順序がぎゃくだと思います。

(あ)☆☆ 時空間ないし世界という存在に――時間的にも考え方の上でも――先行するものは あるか?
☆ という問いを かつて人間は立てた。万人が立てた。そのあと 《神》を その言葉とともに知った。概念としてなら 《絶対性ないし無限》として把握した。


★ bragelloneさんにとって
神様が不確かなものなら
☆ 《絶対性が非知である》ということの意味は 《神が確かであるか不確かであるか? その答えが人間には分からない》です。



★ 絶対性を探るべきであって
bragelloneさんのたどり着いた
神様の絶対性てなのが
世に受け止められるのか?
受け止められないのか?
それは、わしにとってはたいした意味を持たないんだけど
☆ というときには 上の(あ)の問いに答えてしまっている必要があるんです。



★ ~~~
人ってなひと括りのなかに
無理から、何かを植え付けようとしても

人ってな集団は、在るようで無いから

明確な個人に問い掛ける方が意義はあるとは思いますよ
~~~
☆ 見方をずらしてください。何に誰に問いかけるかというよりも 《何を問いかけているか》 その中身から出発して欲しい。となりますね。

お礼日時:2022/04/30 10:48

喋れない人や、意志疎通の困難な人は!人ではないのかな?

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この回答へのお礼

そういう場合は 《例外》なのではないと考えます。

ヒトなら 言葉を用いて話し合うという潜在可能性がみなにひとしくそなわっていると見て 同じ類であると捉えます。


あやまちや失敗が 人を人でなくさせるわけではない。

お礼日時:2022/04/30 10:39

そもそも、bragelloneさんにとっての


人とはなんぞや?

人ってひと括りにすると
個人・個人が見えなくなって

人ってな認識でしか、個人を計れなくなってませんか?

bragelloneさんの思う、人(個人) てのは、もしかしたら人(集団)てな認識にすら思えたりしてて

全体や集団と、個人

この差って人に限らず!色んな事に当てはまるんですけどね

神てなのも

いっ神教や多神教てな違いいがいに
大自然を神だととらえる思想や、循環によるサイクルを神だととらえる思想などなど

多種多様になるとは思えて

ワシは物事を考えるときに優先するのは、必要性てな事を念頭に考えるのが癖であって

神の必要性てのを問うときに

神が不必要な人も世の中には居てるはずであって

神が不必要であっても、その人は!あくまでも人でしかないですもんね

人の普遍性って問うたとしても
問う者も人でしかなく
問われる者も人でしかない

犬や猫が人に人なのか問うこともなければ!
たぶんだけど、神様も!人に人かと問うこともないのかも?
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この回答へのお礼

★ そもそも、bragelloneさんにとっての
人とはなんぞや?
☆ ヒトは 類として捉えられます。生物の一種としてたとえば言語を用いて意思疎通しあう社会的動物。

その具体的な意思をはたらかせるハタラキは 精神(心)の内の意志であり自由意志です。

一人ひとりが意志の自由な選択を行使するという事態にかんがみて 個人という概念が成り立ちます。と同時に 基本として社会(人間関係)から離れて生きるのではないことにおいて 個人どうしの関係性が およそ絶対的だとも見ます。


それぞれの一生において親子や兄弟は 血筋として別様の存在関係はないわけです。その意味で選択の余地はない。その意味で〔変則的な用法ですが〕 ヒトどうしの社会性は 絶対的な関係を基礎としている。赤の他人が 血縁と姻戚の関係でつながっている。

☆ ひとは 社会的に独立した個人であると同時に――同時にです―― 社会的な関係の絶対性のもとに存在している。



★ ~~~
神てなのも

いっ神教や多神教てな違いいがいに
大自然を神だととらえる思想や、循環によるサイクルを神だととらえる思想などなど

多種多様になるとは思えて
~~~

☆☆ 【Q:《神》は 補助線である。その神という言葉が かんなび山や神籬と同じく《依り代》である。】 ~~~
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12923709.html

8. このような《自然神 / 創造主神 / 無神》に分かれたとしても すべては――分からないところを補っているのであるからには―― 補助線として用いられている。
~~~



★ ワシは物事を考えるときに優先するのは、必要性てな事を念頭に考えるのが癖であって
☆ おそらく 必要性の以前に 次の問いがみんなに持たれたものと思います。
☆☆ (同上質問趣旨) 1. 時空間ないし世界という存在に――時間的にも考え方の上でも――先行するものは あるか?



★ 神が不必要な人も世の中には居てるはずであって
☆ という見解に立つ場合には 《無い神》派になると思います。

☆ このいま触れた関連質問をご参考にどうぞ。

お礼日時:2022/04/30 10:29

人の普遍性てのが、どうも引っ掛かるんですよね



神の普遍性は、個人・個人で
神だと認識したものが普遍適であれば良いとは!
ワシ的にはおもうけど

人の普遍性って求め出すと
選民主義になりそうだからね

bragelloneさんから見て、人だと思う人が!

bragelloneさんを見て人だと思うのか?思わないのか?
存在を認識するのか、認識しないのか!
認識ってより、認知てな言葉の方が良いのかなぁ~

そこら辺に引っ掛かりましたよ
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この回答へのお礼

★ 人の普遍性てのが、どうも引っ掛かるんですよね
☆ ふつうは 一般性です。例外がつきものです。



★ 神の普遍性は、個人・個人で
神だと認識したものが普遍適であれば良いとは!
ワシ的にはおもうけど
☆ そういうゆとりが じつは非経験の場ないしチカラである神については 出て来ます。認識しようにも 出来るか出来ないかが分からない非知なるナゾだからです。

つまり おのれの主観内にあっては いかようにもと言えるほど 神については自由に忖度すればよいということになっているのです。

つまりは ここで問う神の普遍性とは むろん万人に共通の定義としての(定義の内容そのものとしての)普遍性です。要するに 絶対性のことでもあります。



★ 人の普遍性って求め出すと
選民主義になりそうだからね
☆ なりません。あくまでもっとも厳密には 人間の思想は仮説でしかないからです。

《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ= 非知》という定義は ほぼわたしのオリジナルですが 選民主義とは関係ありません。




★ ~~~
bragelloneさんから見て、人だと思う人が!

bragelloneさんを見て人だと思うのか?思わないのか?
存在を認識するのか、認識しないのか!
認識ってより、認知てな言葉の方が良いのかなぁ~

そこら辺に引っ掛かりましたよ
~~~
☆ これも 人知は仮説でしかないという前提で捉えます。

あるいは 仮象ですね。相対性の世界だということ。

仮りにたとえ選民という見方が 一部で活発だったとしても 仮象なんです。ゆつろいゆかざるを得ない現象です。諸行無常なんて言ったりします。

人と生まれて来たからには その存在はみな人だという規定も 仮説であり 仮説としては普遍的な理解になっています。


☆ ここんとこが 人びとには分かっていない。決めつけや思い込みが はげしいし 多すぎます。

お礼日時:2022/04/29 09:28

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