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タイトル通りなのですが知を愛するとは具体的にどういう意味でしょうか?

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A 回答 (13件中1~10件)

哲学する、フィロソフィアという単語の意味で、知恵や叡智を確かめるという意味でもあります。

賢者や知恵者のことを指す場合もあります。
1人で哲学を行う際にも、対人哲学においても同じ意味に使われます。
その人数が増えてできたのが、アカデミックの大学や学校でしたから、古代ギリシャでは進んでいたはずです。
一番近い哲学者のうち、プラトンの『国家論』あたりが、政治的無関心や、政治学問・思想・哲学について書いています。
その本がオススメです。
なぜなら、哲学の祖は、古代ギリシャが発祥の地だからです。
語源の意味も古代ギリシャ語から来ています。フィロは哲学する人を指し、ソフィアは知人や知識人を指す言葉です。
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No.11の補足である。

削除された。前から自己に指摘しているが削除人は狂っている。
高らかではないが明に言う。次にまともな人間が狂っていると言われる時代が到来する。
あなたがまともかな。

馬鹿は社会に対して過激なことをしてはならない。賢いと思っている者も過激なことをしてはならない。
ただ単に犯罪者扱いにされるだけである。馬鹿は馬鹿しか出来ない。
賢い者は時を待つ。賢い者はいたっけ。

錯綜する情報に右顧左眄する、すなわち気に入るものだけを取り入れることなく丁寧丹念に整理整頓する、
コメンテーターがTVに一人いる。見事である。そういう整理術は必要である。しかし、そういう技能は、
官僚にたくさんいる。この馬鹿は錯綜する情報自体が間違っていると知らないのだ。

政権与党の議員に直接アポイント取れるジャーナリストがいる。彼はTVで力説するが、
政権の性善説のスピーカーに利用されているとは思わない。哀れである。

賢い者は昔から伝わっている手法を用いる。
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政治家(為政者)と富裕層がそれ以外の人民を支配する。


この構造造りはもうすでに始められている。
人民は生き殺しの奴隷化とされるが忙しくされるのと娯楽を与えられるので、
生きるのが精一杯になる。支配者のために低賃金で働き、娯楽を楽しむために、
所得は支配者に吸い取られる。
早くて5世紀後に諸子百家がある国に現れ、仕組まれた構造に疑問を投げかける者が現れる。
その者が暴力によるブルジョワジーの転覆を宣言する。社会を破壊する、と。
早くて5世紀後である。なぜならば、馬鹿はだまされているのに喜んでいるから。
ガンジーは歴史から学び、資本家はガンジーから学んだ。
その先鞭は米国である。戦後すぐに実行に移った。
その他の国も米国に習っている。
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有るものを有るがままに見る者は思惑愛好家ではなく愛知者(哲学者)と呼ぶべき者たちではないかね。

とソクラテスは言った。とプトンが「国家」に書いていますが。
知恵を愛する者が哲学者(学者?テではなく、哲学、人、ですが?)
愛するとは執着するという、知恵の対極の、心=思惑 であり。智を愛するのは。思惑愛好家であり、・・ではないかね、と、矛盾してますよね。
西洋の歴史の中で、異常に突出している、と言われる古代ギリシャ人の知能の高さの謎を説く鍵は、古代インドのウパニシャド哲学そしてブッティズム(悟りに導くもの、ブッ、(仏)を求める思想)の流入、影響に因っているのでは?なのです。
つまり、元々は知恵を愛するではなく、知恵=悟り を求める者、ボ-デインサットバ(菩薩) を指している。その対極が 思惑=心 を愛するもの、心に執着する者 、思惑愛好家、なのです。
釈迦の死期、ブッデイズムは、仏教に変質あるいはバラモン経に回帰したようで。
人間を厭え、行い正しく、知恵ある者に出会ったなら道連れとなるがよい。そうでなければ一人でいる方がよい。とか
先日、人の心はゴミ袋、と書きましたかが。
塚(人の心)掘り起こしたら、いろんなものが出て来た、金銀も出て来た、ゴミむ、ガラクタも出て来た、虫やトカゲも出て来た。
ブッダはすべて捨てよ。ただし龍(知恵)だけはそのままにしておけ。といわれた。
心を捨てよ。心の対極が知恵である。という釈迦の峻厳さは、心に働きかける宗教としての仏経の広まりとともに薄れていき。心しかない西洋思想の普及とともに、心を捨てる、が悪魔に心を売る、と同義のように解釈されているようです。神を捨てた者は悪魔も捨てている。神を信じる者が悪魔の影に怯え。人を愛する者が人を憎む者。なのです。心を捨てた、釈迦や老子が、もっとも、安心、安全、を感じさせる人格なのです。
ソクラテスが言う、思惑愛好家、とは誰を指しているのでしょう
ソクラテスの古女房、ガチョウちゃんに代表される。女性
有ると言えないものを神と崇めるユダヤ人
自分を告発し殺した、市民、行政機構
本質的なところで哲学が解らない、プラトン。
権力者 独裁者
大衆 民主主義者 
過去、あるいは、未来の自分 哲学、者 で あれるのは、今、一瞬の自分 あとは、心にかられた、愚衆、愚民
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お金や出世のような、社会的な二次的な価値によって、


他律的(無自覚)に社会行動をとらされるのではなく、
自己存在の本質を知り、社会生命としての自覚を持ち、
他我意識(愛)によって社会行動(助け合い)をとる。
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知とは、 物事を認識したり判断したりする能力。

知恵。 コトバンクより

知の熟語は沢山ありますね。
と言うことは、世の中には様々な知があるということだと思います。

愛すると言うことは、たとえば人を愛するなら「愛してる」と
思うだけでなく、愛を表現します。(多くの人は多分)

笑顔であったり抱きしめたり、プレゼントをしたり見守ったりと
何がしかの表現をしないと伝わりませんよね。

愛の対象が人類愛であれ何であれ、表現することで伝わります。
知が対象であれば、それも表現されなければ
その人の中で知に愛があるとも分かりません。

つまり、認識し判断し知恵を使って行くと言うことだと思います。
自分の中にだけ溜め込んでいても、知を独り占めになります。
それでそこに、本当の知があると言えるのだろうか?

なんて考えてみたりしました。
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しばしば Philosophyは智を愛することだと説明されます。

 https://en.wikipediaー.org/wiki/Philosophy
妙な感じがすることをそのままに放置しておかずに、調べたり、考えたりして、スッキリとわかった気分になるような思考や行動をするのを知を愛するというのだと思います。彼女を愛する、家族を愛する、平和を愛する、音楽を愛する、我が子を愛するのように、愛するという語はいろいろの対象に、いろいろの意味で使いますが、どれにも共通する「愛する」の抽象的な意味は「自分にとって大切な対象として扱う」という感じです。愛知県のような場合には、あゆち・わき水が多い地のような発音の類似の当て字ようですが、知を愛するの場合は、「智恵、その人が知っていることがスッキリ整然として矛盾なく確実にまっとうなことである = 智・知」と表現しているのだと思います。
ですから、「知を愛す = わからないまま放置するようなことはしない ・ 矛盾したり、ロジックがおかしかったり、筋が通らないのを平気でいたり、言うたびに違うことを述べるようなことはしない ・ 感情にまかせたような好き嫌いで決めつけをしない」などのことだと思います。 研究熱心とが学習習慣が身についているとかは、知を愛するとは似ていても、ちょっと違うと思います。
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知は、宗教からは生まれない。

他にそんな回答が有るだろうけど、宗教からはモノは生まれない。
知は、まず自分を知る事。それから回りを少しずつ知って行こうとする行為だと思う。
が、宗教は否定しなさい。そこからは何も生まれない。
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知を知識と捉えるからよく解らなくなるのです。



この場合、知とは考えることです。
つまり、考えることを愛する、という意味です。

この世界はどうやってできたのだろう。
この世界は何なのだろう。

世の中には色々な不思議があります。

それを考えて、自分なりの答えを出すわけです。

かつては、それは神話でした。
この世界は神が創ったのだ、と考えたのです。

でも、時代が進むとそれでは満足できなくなり
もっともらしい理屈を考え出しました。

それが哲学です。

知を愛する、てのは知識を詰め込む、覚える、という
ことではありません。

考えること。そのこと自体を楽しむ、という
ことです。

だから哲学はおもしろいのです。
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普遍性をめざした思索自体を楽しむことです。

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Q書類送検と逮捕の違い?

書類送検と逮捕とはどう違うのでしょうか?
書類送検の方が、拘束されないだけ罪が軽いような気がします。
書類送検でも前科となるのですか。
どういう場合に書類送検となるのでしょうか?
どうも分かりません。

Aベストアンサー

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機関が知り、必要な証拠を集め、被疑者(=容疑者)の身柄の確保をしないとなりません。これを捜査と言います。
被疑者の身柄の確保というのは、「後で裁判になった時に被疑者の出廷が必要」なので逃げられては裁判ができなくて困るというのが第一点。それと「自由にさせておくと証拠を隠滅するかもしれない」というのが第二点。
ですから逆に言えば、「逃げも隠れもしない、証拠隠滅のおそれも無い」のであれば身柄を確保する必要はありません(一定の軽微な犯罪につき、更に例外あり)。入院しているような人間なら逮捕しないことはよくあります。この身柄の確保のための手続きが、「逮捕」であり「勾留(起訴前勾留)」です(起訴前と言っているのは起訴後というのがあるからですがここでは関係ないので説明しません)。
「逮捕」というのは、被疑者の身柄を確保する手続きの内、「短時間のもの」。具体的には、身柄を拘束し最大48時間拘束し続けることです。この制限時間が過ぎると釈放しなければなりません。
しかし、それでは困る場合には、引き続いて身柄を拘束することができます。これが「勾留」です。勾留は最大10日間身柄を拘束できます。なお、勾留は1回に限り最大10日間延長することができますから、都合20日間まで勾留できることになります(例外として25日可能な場合もあります)。

ところで勾留の申請ができるのは検察官だけです。ですから警察官が逮捕した場合には、検察官に勾留申請をしてもらうかどうか決めてもらう必要があります。そこで48時間の逮捕の制限時間内に検察官に証拠物、捜査書類と一緒に身柄を送致しなければなりません(刑事訴訟法203条1項)。これを「検察官送致、略して送検」と言います。無論、警察限りで釈放する場合は必要ありません。
検察官送致を受けると検察官は24時間以内に釈放するか勾留請求をするかしなければなりません。ですから、警察官が逮捕した場合の身柄拘束は48時間+24時間の最大72時間に及ぶ可能性があることになります。このような身体を拘束した被疑者を送検することを「身柄付送検」と言う場合があります。これはなぜかと言えば、質問にある「書類送検」と明確に区別するためです。ただ、一般には単に「送検」と言えば「身柄付送検」を意味します。

さて、では「書類送検」とはなんぞや?ということになりますが、まず前提として犯罪捜査は常に被疑者の身柄を拘束するわけではないということを知っておかなければなりません。全犯罪件数から見れば、身柄を拘束しない事件の方が多いです。身柄を拘束していない場合には、先に述べたように「(203条1項による)検察官送致」をする必要がありません。と言うか、身柄を拘束していないのでできません。たとえ逮捕した場合でも、警察限りで釈放すればやはり検察官送致の必要はありません。
しかし、それとは別に、警察は犯罪の捜査をしたら原則として必ず検察官にその捜査についての資料、証拠などを送らなければなりません(刑事訴訟法246条本文)。これを「書類送検」と呼んでいます。書類(証拠物、捜査資料、捜査報告書などなど)を検察官に送致するということです。正確には送致しているのは「事件」なのですが、実際に何を送るのかと言えば「書類」であるということです。
つまり、「(身柄付)送検」と「書類送検」は同じ送検でも別の条文に基づく別の手続きです。と言っても、(身柄付)送検をすればそのとき書類も一緒に送っているので、重ねて書類送検を行う必要はないので、(身柄付)送検は書類送検を実際には兼ねていますが(と言っても、身柄付送検をすれば書類送検をしなくていいのはあくまでも246条本文に「この法律に特別の定のある場合を除いては」と書いてあり、身柄付送検が「特別の定」だから)。

というわけで、「逮捕」と「送検」というのは次元の違う話であることがわかると思います。
まとめれば、
1.「逮捕」とは、捜査において被疑者の身柄を確保すること。
2.警察が「逮捕」した場合は、刑事訴訟法203条1項により、釈放しない限り48時間以内に被疑者の身柄を検察官に送致しなければならず、これを「(身柄付)送検」と呼ぶ。
3.「書類送検」とは、警察が捜査した事件について刑事訴訟法246条本文に基づきその証拠、捜査資料を検察官に送致すること。
4.「(身柄付)送検」は「書類送検」を兼ねている。
5.警察が「逮捕」した場合でも、釈放すれば「(身柄付)送検」はできないので、その場合は「書類送検」を行わねばならない。
ということです。

そして、「書類送検」するということは「身柄付送検」をしていないということですからつまりは「身柄を拘束していない」ということになります。身柄を拘束していない場合というのは大概は相対的に軽微な犯罪であることが多いのでその意味では、逮捕した事件(これを身柄事件と言う場合があります)に比べれば罪が軽いことが多いのは確かです。しかし、それはあくまで結果論であって、書類送検だから、逮捕したから、と言うわけではありません。既に述べたように逮捕しても身柄付送検せずに釈放すれば書類送検ということになりますし。

なお、先に述べたとおり、「捜査した事件はすべて検察官に送致する」のが原則(全件送致の原則)ですが、例外として検察官送致にしないものが幾つかあります。例えば、検察官が指定した事件について、月報でまとめて報告するだけの微罪処分ですとか、あるいは報告すらしない始末書処分などがあります。ちなみに、交通反則通告制度については、微罪処分の一種とする文献もあるにはありますが、多少なり疑問のあるところではあります。
そういうわけで、どういう場合に書類送検となるかと言えば、「刑事訴訟法246条前段に当たる場合」ということになります。もう少し具体的に言えば、「微罪処分等で済ませることのできない事件で、かつ、身柄付送検等もしなかった事件」ということになります。

ところで、前科というのが何かと言えば、これは法律用語ではないということになっているのですが、法律的に見れば「有罪の判決を受けたこと」を言うと思ってください。ですから、前科が付くためには、「裁判を経て有罪判決が出なければならない」ことになります。しかし、最初に述べたとおり「検察官送致」というのは単なる捜査手続きの一部でしかなく、この後で検察官が起訴するかどうかを決め、起訴して初めて裁判になるのですから、検察官送致だけではまだ前科は付きません。その後どうなるかはその後の話です。無論、逮捕だけでも前科は付きません。逮捕=有罪ではありません(そう勘違いしているとしか思えない報道が多いのは事実ですが、有罪判決が出ない限りは被疑者、被告人はあくまでも「無罪」です)。
ちなみに、捜査したが起訴しなかった犯罪事実について「前歴」と呼ぶことがあります。

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機...続きを読む

Q「世界史A」と「世界史B」の違い

最近ニュースで騒がれていますがこの「世界史A」と「世界史B」
の違いが解りません。何が違うのですか??
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

A・Bの違いで よく言われるのは
Aは 近代が詳しく、Bは 古代から詳しく記載されている
つまり、Bのほうが細やかな歴史までが取り上げられているということです

単に扱っている歴史事項の数が違うだけでなく、教育の目的などにもずれがあります。前近代ではBは各地域のタテの歴史を古代・中世と見ていくのに対して、Aは世界全体として、各地域が他の地域に及ぼした影響、交流の歴史などヨコの歴史に重点が置かれていて、近現代でもBにくらべてAは政治史がやや浅い分、社会・経済や後の時代にどのような影響があったかなどが詳しく書かれています。