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邪馬台国(女王)VS狗奴国(男王)は対立していました。
この2つの大国と、大和朝廷の関係を教えて下さい。

継承なのか?征服なのか?

質問者からの補足コメント

  • 魏志倭人伝の狗奴国は「(邪馬台国)女王の境界の尽きるところ」の南という記述をしています。

      補足日時:2022/12/28 14:04

A 回答 (8件)

邪馬台国と大和朝廷は同じものである。


なまじ、別の国と思い込んで
様々な地へ誘導しようとするから
誤解が生まれる。

狗奴國は大和朝廷に逆らう
九州の熊襲を指す。

日本武尊さらに神功皇后などの
熊襲征伐を通して征服され、
やがて大和朝廷の支配下に
入っていく。
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> 魏志倭人伝の狗奴国は「(邪馬台国)女王の境界の尽きるところ」の南という記述をしています。



そうは書かれていないようです。 《奴国》が此女王境界所尽

自女王国以北。其戸数道里。可得略載。其余旁国遠絶。不可得詳。
次有斯馬国。次有巳百支国。次有伊邪国。次有都支国。次有彌奴国。
次有好古都国。次有不呼国。次有姐奴国。次有対蘇国。次有蘇奴国。
次有呼邑国。次有華奴蘇奴国。次有鬼国。次有為吾国。次有鬼奴国。
次有邪馬国。次有躬臣国。次有巴利国。次有支惟国。
次有烏奴国、次有奴国。此女王境界所尽。
其南有狗奴国。男子為王。其官有狗古智卑狗。不属女王。自郡至女王国万二千余里

> この2つの大国と、

狗奴国が大国なのかどうかは、ハッキリしません。男王がいて、女王に服属してないことが書かれているだけです。

東南陸行五百里。到伊都国。官曰爾支。副曰泄謨觚。柄渠觚。有千余戸。世有王。皆統属女王国。

これから考えると、女王国の中に入るかどうかは、その時々の情勢や各国の王の意向で変化するようです。 

収租賦。有邸閣。国国有市。交易有無。使大倭監之。
自女王国以北。特置一大率。検察諸国。
(諸国)畏憧之。常治伊都国。

これから考えると、代々の王が女王に服属してた伊都国は女王国の国々の中でも別格扱いで、特別に女王国の北に位置する女王国に服属する国々を検察しにらみを利かせていたようです。
ということは、ときには、女王国の威光が聞かないような国もあったのでしょう。

> 大和朝廷の関係を教えて下さい。

魏志倭人伝には、大和朝廷のことは書かれていません。

水行二十日。官曰彌彌。副曰彌彌那利。可五万余戸。
南至邪馬壹国。女王之所都。

この女王の住む《邪馬壹国》をヤマト国のように読んで、ヤマトの連想をするならば、後継政府?をヤマト王権とたくましい空想も可能にはなりますが、音だけを繋げるこじつけ、空想でしかないです。
「弥生時代の邪馬台国と狗奴国と大和朝廷の関」の回答画像7
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邪馬台国と騒ぐが、


あれは中国人から見た日本の歴史。
あれに振り回され過ぎ。

ヤマタイコクと読むから、大和朝廷と
別の国があったような
錯覚に陥る。

ヤマタイコクと読まずに
ヤマトノクニ
と読めばよい。

狗奴國は熊襲とか
そういう対立勢力でしょう。

大体、
魏志倭人伝書いた人は
日本に来ていない。
使者が四十年くらいたってから
昔話で陳寿に聞かせて
日本に行かない人が
纏めた書に
信頼を置きすぎ。

日本書紀や古事記との
兼ね合いをもっと検討すべき。
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邪馬台(ヤマト)国というのは、九州の福岡と熊本の間くらいにある山門郡として名の残っていたところ(現在のみやま市あたり)です。


この邪馬台国というのは卑弥呼の都ではありません。台与が、南の狗奴国(菊池市とかそのあたり)と接する最前線の国として魏の使節に説明したものです。それが間違えられて卑弥呼の都と書き残されています。

狗奴国だった勢力は九州を統一したと思われ、その後に畿内ヤマト王権が勢力を伸ばしてきたときに熊襲猛(クマソタケル)として書かれています。
また少し話が戻りますが、神武天皇が宮崎から追い出されたのは、狗奴国の勢力がそこまで伸びてきたためだと思います。

あと畿内ヤマト王権が自分たちの国を『ヤマト』と呼んだのは、他でもない三国志(史書)に、倭の王が邪馬台国に居ると書かれていたためです。なので同じ音であるのは当たり前なのです。
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邪馬台国の位置が特定されていない以上、その関係は分かりません。

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邪馬台国への行程については、具体的な北九州までとそれ以降は分けて考えるべきです。


北九州まではかなり現実に近いものですが、それ以降は適当でいい加減で全く当てにならない。
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邪馬台国は大和を中心とした前方後円墳を文化とした地域で、狗奴国は東海地方の前方後方墳を文化とした地域だそうです。


前方後円墳文化は関東に飛び火して東海地方が孤立し、やがて東海地方も前方後円墳文化に飲み込まれたそうです。
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邪馬台国の存在が実証されていないのに、語るのは無理でしょう。

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