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記紀によれば、大和は瑞穂の国と呼ばれています。
しかし、邪馬台国には、田も米も出てきません。
この関係を、どのように解釈されますか?

A 回答 (5件)

邪馬台国が登場するのは『魏志倭人伝』ですよね。


キチンと『魏志倭人伝』をお読みください。
そこには「種禾稻紵麻蠶桑」と記述されています。

これは「稲作をしてカラムシ(麻に似た植物)を栽培し養蚕をしている」という意味です。つまり米も食い、カラムシの繊維や絹を利用して衣類やヒモ、網、漁網などを作っていたということです。

他の部分には高床式倉庫もあったと記されています。これは穀類の倉庫です。
つまり、邪馬台国には「稲作、養蚕(絹織物)、高床式倉庫」という中国の長江中下流域から始まった水稲文明の三大特徴がすべて揃っていたことを意味します。

以上は、記紀の「豊葦原之瑞穂国」という言葉と完全に一致しています。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<種禾>の通り稲作をしているのですね。
<水稲文明の三大特徴がすべて揃っていた>のですね。
記紀とのつながりはあったのですね。

お礼日時:2023/02/03 13:40

ノーコメント」←?



言うのなら「ノーコメント」は通るが 書き込むと コメントを した事と変わりない・・

こういう時は 無視しなさいな・・

どのみち あなたの疑問が解けようと 解けまいと 俺は 困らないのだから・・
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この回答へのお礼

ノーコメント

お礼日時:2023/02/03 08:30

出てるのですけどね。


日本では米を作るのを田、他の作物を畑と書く慣わしがありますが、中国語では田も畑も同じような使われ方をするようです。で畑と書かれているものに田が含まれています。
また対馬や壱岐において”南北市糴”と書かれていますが、この最後の糴という字は『米を買う』という意味の字です。つまり米を良く食べていたことを表しています。

対馬、壱岐および松浦(末盧国)のみ、国のようすが細かく書かれていますが、これは狗邪韓国と末盧国の交易(南北市糴)の書かれた資料によるものと考えられます。奴国の記録などを見れば、梯儁の記述は非常に簡素なものであり、ろくに国の様子などを記録していないことが良く分かります。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
対馬と壱岐には田があったのですね。
米を買うということは、市が成り立っていたのですね。

お礼日時:2023/02/03 13:43

記・紀には邪馬台国の記載は無いですよ。


邪馬台国は中国の古い文献に記載されているだけで、存在したのか
未だに確認されてません。
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この回答へのお礼

ノーコメント

お礼日時:2023/02/03 00:02

漢字は中国から来たもの・・



邪馬台国時代に中国との貿易があったとは思えないので 当たり前の事・・

邪馬台国の時は 違う呼び方だったのでしょうね・・
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この回答へのお礼

ノーコメント

お礼日時:2023/02/03 00:02

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