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アニメの24話でカヲルを倒した後25話からいきなり話かわるじゃないですか。
そのあとの話も全然理解できないんです・・・
わかる方要約していただけるとうれしいです。
しかも26話の最後にシンジの心の呪縛(?)を打ち破って・・・っでなぜ周りの人々におめでとうと言われているのが意味がわかりません。
結局人類補完計画ってなんだったんでしょうか・・?

A 回答 (5件)

はじめまして。


皆さんとまったく違うところ、似てるところもあるかと思いますが、少し書かせていただきます。

TV版の弐拾五・弐拾六話は、シンジの内面のみしか描かれていないので、映画版の25・26話も見ないとまるでわからなかったです。
映画版では、TV版の弐拾五・弐拾六話であったことが弐拾四話までと同じスタイル(視点?)で描かれています。シンジの欠けた心というのがかなり重要な役割がありますので、イメージの羅列なども多用されていますが、これはそれまでにも何度かありましたよね(五歳くらいのシンジと十四歳のシンジが対話していたりとか)。
この映画版で、シンジは『他人も自分もなくなればいい』と願います。それが具現化して(?)ヒトは溶け合って融合してひとつになってしまいます。欠けた心(他人を理解できないことの不安?)を他人と融合することで補い合った完全な個体にする、これが、ゼーレの望んでいた『人類補完計画』です(たぶん)。(TV版ではその辺りがまるで触れられていないのでわからないと思います。)
すべてが一つになった世界でシンジは考えます。(この時の内面を主に描いているのがTV版だと思います。)『他人』がいなければ、『自分』を傷つける人はいなくなります。でも『他人』がないのならば、対比する『自分』もある必要はなくなります。『自分』を失ったシンジは、不安になります。それは、シンジが傷つけられることを恐れているのと同時に『認めてもらいたい』とも願っているからです。そして、認めてもらうには『自分』も『他人』も必要です。
『自分の思うシンジ』と『他人の思うシンジ』は必ず同じではありません。人は他人を理解できないのですからズレは生まれます。しかし、ズレがあっても『シンジ』が存在するためには、両方必要なのです。『他人』がいるから『自分』もいるのですから。
それと、イメージすることで、気持ちひとつで『幸せになるチャンスはどこにでもある』ことにも気づきます。
そこで、シンジは再び『他人も自分もいる世界』を望みます。たとえ傷つくことがあっても、不安なことがあっても、会いたいと(認めてもらいたいと)思ったのは本当だから。
そして自分を認めてくれる(「おめでとう」といってくれる)人々を思い浮かべます。
こんな感じではないかとボクは考えます。

自慢げにつらつらと書いていますが、もちろんこれはボクの独りよがりな考えです。
この作品、監督の考えてることが正解とかいった統一の答えはないと思います。ですから、ぜひご自身の答えを見つけれくださいね。
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NHKで放送された「アニメ夜話」で当時のスタッフ、みやむー、トリビアでおなじみの唐沢さん等が


かなり核心に近い話をされていました

放送内容のLOGを保管しているサイトがいくつかありましたので検索してみると良いと思います。
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カヲル君が死んでしまってから、シンジ君の精神状態が普通ではなくなってしまった。

と考える方が正しいのではないでしょうか?
だから、世界観が全くおかしくなってしまったんだと思います。
おそらく凡人の私達には分かりにくいメッセージが、その中に隠れていたのかもしれませんが、伝わってないですよね。
その後、凡人にも分かるように完結版として出されたのが映画版だと思います。7年ぐらい前の話ですが、社会現象とまで化していましたよね。監督としては「テレビで放送したんだから分かれよ」
と思われたのかもしれませんが、周囲が強く答えを求めたのでしょう。
完結しないアニメに対する答えを出そうとするものの、監督の「オタク離れしてくれ」みたいなメッセージを出しすぎて上手く表現されなかったのではないでしょうか?
まあ、監督が単に疲れてしまったと考える方が正しいのかもしれません。先日、監督とご結婚された安野モヨコさんが出された『監督不行届』を読むと、何かわかるかもしれませんよ。
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まず最初に、エヴァには2つの最終回が存在します。


ひとつはTVで放映されたもの、
そしてもう一つは劇場公開されたものです。

TV版では25・26話は、
全ての出来事はシンジやレイ・エヴァ、など全ての要素からシンジが作り上げたある一つの世界という終わり方です。
こちらではシンジの意識一つで世界のあり方は変わる。
全ては考え方・捉え方次第なんだといった内容となっていました。

次に劇場版では、
全ての使途をを倒した後、人類補完計画の鍵となるエヴァを奪い合い、破壊する為のネルフとゼーレの争いとその結末が描かれています。

結局、人類補完計画とは、
劇場版では、人間を個々の小さな生命体ではなく、大きく完全なる存在になる。補い合い、完成された存在になる(進化させる?)、
という事を人間の手で行う計画といった感じでしょうか。

ただし、エヴァはどちらの最終回でも、全ては見た人の心の中がこの作品の答えという描き方をしていますので、
結局は完全な答えは無いということです。
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安心してください、アレは分からないのが普通です。


分かっているのは「監督の庵野さんだけ」です。
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