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高師直と足利直義は、なぜ対立したのですか?両者が協力しあう道は、なかったのですか?

A 回答 (3件)

最初から肌が合わなかったのでしょう。


現実主義者で慣習にとらわれない自由闊達な師直。理想家でクソ真面目な直義。
両者ともかなり教養があって頭脳明晰で弁論も長けており、政治的な大きなテーマから日常の些細な事まで論戦や言い争い、皮肉の応酬などを繰り返していたと思われる。

しかし、この二人は、何故か尊氏を慕い敬うことだけは共通していた。
そして尊氏は、やる時はやるが、やらない時は世捨て人同然の奇人だった。
非常時に、動かない尊氏をやる気にさせるために二人は協力し、やる気になってくれたら尊氏に従って共に戦った。

とはいえ、非常時が終われば尊氏はまた世捨て人に戻り、二人は諍いを始める。そういう間柄だった。尊氏本人は世捨て人の時間が長かったわけで、その間は二人の争いを放置状態だ。
二人が激突するのは時間の問題だった。
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組織が小さい頃は仲良くやっていけても、組織が大きくなり大きな権力を持ちそれぞれに利害関係を持つ取り巻きがついてくると関係が急速に悪化するのは現代にいたるまでよく見られること。


そういう対立が発生しそうになったら、表面化する前にトップが仲裁したり片方を粛清するものですが、足利尊氏はそういうことをまったくやらない人物。双方にいい顔してみんなから「良い人」と呼ばれていましたので。
直義と師直の対立が激化して手が付けられなくなり、成り行き上師直に担がれることとなっただけです。
豊臣家の崩壊も同じ感じですよね。仲裁者である秀吉が死ぬとたちまち家臣団が分裂して殺し合い、それをうまく利用した家康が天下をかっさらいました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2023/03/26 21:42

この記事と、注釈の3、4では、


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%BF%9C …

「両者が協力しあう道は」ないでしょう。 もろに、望んでいる統治秩序が違うのですから。 織豊期の日本で豊臣と徳川が協力し合う、幕末の日本で、薩長と水戸や尾張とが協力し合うのを探るようなことです。
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