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1. 未来社会をどう思いどうえがいているか?


§ 1 聖なる甘え――エデンの園?――

2. 赤子は 全面的に親や世界にたよっている。完全な無防備においてあたかも聖なる甘えを生きている。


§ 2 ものごころがつく――善と悪とを知る木から採って食べた――

3. エワは 光も曲がるとふと気づいた。自分の心に思うところをちょっとゆがめてやろうと思い アダムのつくった料理に対して うまくもないのにおべんちゃらを使うということをおぼえた。アダムも それを知ったしやがて そのウソ・イツハリを侵すことをも知った。

4. 自由意志とその自由度のもんだいであった。ヘソを曲げることも その自由度に入っていたわけである。

5. ひとは ものごころがついた。エデンを去った。

6. 聖なる甘えはくづれて きよらかなおそれが あらわれた。やましさなる心をも知った。だが 《へんな(プラス・マイナスのある)》自由度をも擁するのだがそれでもその自由を 良心についても公理とした。(信教・良心の自由)。




§ 3 自由意志の自由度は あたかも限界を知らない

7. へそ曲がりとしてのウソ・イツハリは 意志ないし心の主体である存在そのものをおびやかすところまで行った。

8. カインは弟アベルをころした。

9. けれどもカインをころす者は 神が罰すると言った。自由意志はそのよき自由度を擁して あしき自由度をおさめる(!?)。

10. その意味でも こころは おそれを抱きつつ それはなお きよらかなおそれであった。ウソ・イツハリをおさめ得る人間性。

11. エワとアダム そしてカインとアベル これらの物語りにおいてすでに 蛹なる聖なる甘えから蝶なるきよらかなおそれへの変態がかたられた。ふつうの世の中の現実に立った。

12. 自由意志の問題。そしてその自由度がウソ・イツハリからいのちを落とすところまでひろがり得つつ おのおの《わたし》は 自己の自治および社会の共同自治の主体であるという人間の理論が すがたを現わした。



§ 4 これから――飛躍しますが――


13. まづ 聖なる甘えの痕跡をのこすきよらかなおそれ。

▲ (創世記 4:13-16 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
13 カインは主に言った、
 「わたしの罰は重くて負いきれません。 14 あなたは、きょう、わたし
 を地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪
 者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すで
 しょう」。

15 主はカインに言われた、
 「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるで
 しょう」。

そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、
彼に一つのしるしをつけられた。

16 カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





14. さて この――にんげんの――未来は? 

▲ (イザヤ書 65:17-25 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
17 見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。
さきの事はおぼえられることなく、
心に思い起すことはない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ となるのか?


15. もはや戦いのことを学ばない!?

▲ (イザヤ書 2:4 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
4 ・・・
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、
そのやりを打ちかえて、かまとし、
国は国にむかって、つるぎをあげず、
彼らはもはや戦いのことを学ばない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ となるか?


16. 乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。

▲ (イザヤ書 11:6-9 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
6 おおかみは小羊と共にやどり、
ひょうは子やぎと共に伏し、
子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、
小さいわらべに導かれ、
7 雌牛と熊とは食い物を共にし、
牛の子と熊の子と共に伏し、
ししは牛のようにわらを食い、

8 乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、
乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。

9 彼らはわが聖なる山のどこにおいても、
そこなうことなく、やぶることがない。
水が海をおおっているように、
主を知る知識が地に満ちるからである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 生き物たちの種が変わるのか? 

ご見解をどうぞ。

A 回答 (2件)

前から疑問に思っています。


善悪を知る木とは何だろう。木というからには植物なんでしょうね。
そんな植物は実在するのかなあ。コカインというのはあくまである人の書に書いてあったので、述べただけです。

それから、教えた蛇とは何だろう。生物の蛇ではないと思う。
もう一人、誘惑を行う蛇のようにずるがしこいというか、とにかくそういう人がいたのかどうか、この謎は解けますか。

今一つはエデンの園は具体的にどこにあるのでしょう。メソポタミアでよろしいのでしょうか。川の名前で、とりあえず、あそこだと言っているわけですが。

以上、いかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

《善と悪との知識の木 / 英訳:he tree of the knowledge of good and evil 》とはっきり書いてあります。

したがって タトヘでしょう。§1&§2のように わたしは解釈しています。

ものごころが着くと それまでは互いにあたかも未分化一体であったのが 個としてのわたしに目覚め 自己の欲するところを知るようになる。

一人ひとりにそなわった自由意志です。

そうして この意志の自由には――責任がともなうということも然ることながら―― ふたつの別種の自由度がある とも知った。

相手の作った料理がまづいのに 遠慮して おいしいわと言った。これは ウソだった。心(本心)に逆らった自由度である。マイナスである。

まづいままの料理を出され続けたなら よくない。自由意志の自由度には よしあしがある。つまりは 善と悪とを知った。

ウソをつくときには 心が――ヘソが――曲がる。このような曲がり・歪みにかんして 《へび》のタトヘを持ってきたのでしょう。


かくして 言わばお花畑のようであった世界が 世知辛い世の中になってゆく。エデンの園から何も別の場所に移ったというのではなく。



★ 今一つはエデンの園は具体的にどこにあるのでしょう。メソポタミアでよろしいのでしょうか。川の名前で、とりあえず、あそこだと言っているわけですが。
☆ この点は おっしゃるようなことだと受け取っています。

シュメールの社会の伝承が元になっているのではないかと。




☆ 禁断の木の実たるリンゴといった物語は それはそれで たのしめばよいのではと思います。

お礼日時:2023/04/08 05:01

題名に「人々の夢と神の夢」とあるが、前者は複数の人の夢、


神は漠然として実態があるかないか微妙。

ということで、前者と後者は区別できるのでしょうか。
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この回答へのお礼

人間は 神ではないわけですから 区別できます。

《神のゆめ》というのは じっさいには分からないです。(分かるか分からないか 分からないです。ですから 忖度することが起きます)。

つまりは 人間が神のゆめだと思ったことを 神のゆめだとしているということです。

お礼日時:2023/04/09 19:32

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