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一条天皇の中宮(皇后)定子や清少納言などが住んでいた職御曹司の場合、食事の支度はどこで行っていたのでしょうか?お風呂などはどうしていたのでしょうか?
平安朝の内裏では、天皇の妃たちの食事も清涼殿の台盤所で作って各殿舎に運んでいたのですか?さらに、お風呂などは各殿舎にあったとは思えないのですが、どうしていたのでしょう。
こまごました日常の暮らしに興味を持っているのですが、物語や日記ではほとんど読み取ることができません。よろしくご教授ください。

A 回答 (2件)

> 平安朝の内裏では、天皇の妃たちの食事も清涼殿の台盤所で作って各殿舎に運んでいたのですか?



「清涼殿の台盤所」は調理場や配膳所ではなくて、ただ「台盤所」という名がついたとても大きな部屋の名前のようです。
下の画像にあるように「女房」も「台盤所」の意味で使われ、「殿上侍」も「殿上間」の意味で使われ、男女の性別や部屋としての用途の限定を意味するものではないらしいです。

食事は基本早朝と晩の二回で、一種のデリバリーサービスのように、内膳司から天皇や妃に、大膳職から内裏の中に住む上級者に配達していたようです。
内裏の外の職御曹司には、たぶん配達はしてないでしょう。 東西の雅院も、たぶん、それぞれに官費の使用人がいて炊飯調理配膳片付けのサービスを提供していたのでしょう。

> お風呂などは各殿舎にあったとは思えないのですが、

当時ならば、沐浴とか、清拭とかでしょう。清涼殿には御湯殿、手水間というのがありますが、そこでなくても、衝立でちょっと隠す程度でやったでしょう。 職御曹司や西雅院、東雅院でも、身体を清拭、髪を洗う、排尿・排便などは、特別専用の小間は使ってはいないでしょう。 
https://intojapanwaraku.com/culture/90440/
「職御曹司の賄い所の場所はどこか?」の回答画像2
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
台盤所=台所と思ったのは、私の間違いでした。簡単に言えば、女房の詰め所というのがただしいとよくわかりました。
また、食事はデリバリーサービスだったのですね!大きな寺院では荷車に乗せて各僧坊に食事を配達するという話を聞いた記憶があるのですが、それと似たような方法で運ばれていたのでしょうか。熱いものは熱く、冷たいものは冷たくということを期待するのは無理ですね

お礼日時:2023/04/14 15:45

山本淳子先生の著書を殆ど読んだけど女房(女官)を相手にする記述が多いですから。

天皇が後宮(内裏)にお見えの時は一緒に食事しますから。内裏に執務時間が終わった時刻に盗賊が侵入した時、紫式部が「これ誰かおるか」と賄いの女中(普段は女房とは話さない)を呼びつけるくだりがあるから賄いはあるんですね。風呂もあったでしょう食事、トイレ、風呂は下働きの女中が中宮のお世話をするから。トイレは御帳台の中(便器で)ですから身体を拭くだけじゃないかなあ?確かにそこら辺の詳しい記述はないですね。参考にならなくてごめん。
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この回答へのお礼

早速の回答、ありがとうございます!

「天皇が後宮(内裏)にお見えの時は一緒に食事しますから」と書いておられますが、『清涼殿の丑寅の隅の』には、昼の食事の用意が整ったという知らせを受けた一条天皇が、定子と一緒にいた弘徽殿の上御局から昼の御座へ移動したと書いてありますから、天皇は食事に関しては単独だったのではないでしょうか。
天皇の食事を作るのは清涼殿の台盤所だと思っていたのですが、それは間違いでした。正しくは後涼殿の西廂にある御厨子所で作っていたらしいです。

お礼日時:2023/04/14 14:59

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