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死は無限に続く無だと思われているが
今ここに存在している有の期間があるため有限に続く無といえるよって転生できる
と思うのですがどうですか

A 回答 (13件中1~10件)

無から生が生じている事は確かです。


無(死)の状態が普通であり、生は特別で異常な状態とも考えられます。よって、質問者様の意見を否定はできないでしょう。しかし、同時に証明もされていません。これは神の領域です。仏教的には普通なのかも知れません。
(参考資料)【入門 哲学としての仏教 (講談社現代新書) 竹村牧男(著)】
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質問は単なる言葉遊びだね。

君の言う「有」と「無」の区分ってどこにあるの?「何が」有と無であることを問題にしてるの?あまりに抽象的でなんとでも答えられるよね。すみませんがもう少し具体的人間質問を補足して下さい。
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今ここに存在する「有」が以前「無」であり、突然創造されたのか、あるいは「有」でありその後「無」になり再び「有」になったのか、どちらなのか分からないではないですか?



ですから、これは転生を説明する理論にはならないと思う。
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そもそも論としても


死という状態と無という状態は異なります
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みんな無から生まれたとぼくも考えてます。


死後に残るものは、言葉(イデア?)などが残るのでは無いかと思います。
また受肉受胎するかどうかはわかりません。望めばそうなるかもしれません。
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生が有限だから、死も有限であるという論理は、生と死が別物である以上成立しない。

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死は無限に続く無、


そうは思われていません。

死を論ずるのに、
宗教や哲学における文献的裏付け、論理的整合性、科学的根拠、結果としての証拠が必要です。
何の裏付けも根拠も知識も理論も深い思索も無く、結論するのは浅はかです。
どう思うのも、質問するのも、答えるのも勝手ですが。人類最大の疑問に答えられる人はそうはいません。

お答えします。
分かりやすく言うと
すべての生命は、永遠に生と死を繰り返します。
その輪廻のなかで、業、すなわち身(身体)口(言語)
意(心)による行為で宿業がつくりだされ、その結果として、
現在の苦楽があるということなのです。
 つまり過去世からの悪い行いの積み重ねが悪因となって、
今世で悪果の報いを得る。
反対に、良い行いをすれば、善果の報いを得られる。また、
今世の悪業は、さらに来世の悪果となり、善業は善果となるのです

善業の顕在化は慈悲や知恵として働き「楽」の境涯をもたらす
「善因楽果」福運となります
悪業は、三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)などの煩悩となって
「苦」の境涯を引き起こします「悪因苦果」悪運となります
生命の深層を解明した「九識(くしき)論」に詳しく出ております

死とは何か・・参考
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage21.html
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死生観なんて人それぞれなのだ・・というだけのこと


小難しくこねくりまわしてもしょうがない。

死ぬために生きている、と考える人に
転生信者が多いような気がする。
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違います。

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「死は無限に続く無だと思われている」


思われてはいません
思っているのは質問者さんを含むごく一部だけ
出鱈目は止めましょう
従ってその次の行の記述も全くの出鱈目です
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