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ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
 
5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意
味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。
 
6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまる
と いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。

7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうと
ばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っ
ている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろう
と最後まで奔走する。


いまは:
8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。
 
9. 相手の粗さがしを考えている。
 
10. 道は相手がゆづるものと思っている。
 
11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。
 
12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないこ
とをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。
 
13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・

14. (11)と(12)の《誘導作戦》についてパタンが決まっている。能
書きをしゃべくりからかす。これが マジックである。しかもすでに 思考回路
が 人びとのあたまには刷り込まれている。条件反射のごとく右へ倣えに従う。

15. 能書きは かしこまるような有り難い言葉でなければならないが 内容
はないものでなければならない。中身があっては 聞いている人たちが 優越感
に浸れない。

16. すなわち 人びとのあたまの中に 互いに地続きの《観念の運河》が築
かれている。ここに 《パタンとなったマジック》ではない言葉でしゃべる分子
が現われる。その独自のゴンドラを漕いでいると 寄ってたかって恒例の足引っ
張りなるイヴェントを始める。・・・のではないか?

質問者からの補足コメント

  • ご回答をありがとうございます。

    失念しました。まことにすみません。お詫びします。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/05/05 09:08

A 回答 (4件)

愛をもって、愚かな人を諭してあげる人が少ないからだと思います。


沈黙で示そうとする、とか、痛い目に遭う事でしか学べないと思っているとかで。
ちゃんと教えてやれば皆良い子に育つのに。
この場合は、自分は大丈夫と思っているところに落とし穴があると思います。

あとは、自分が馬鹿なので、相手の馬鹿を勇気をもって指摘できないと言うのもあると思います。的外れになったり、少なくとも棚上げ、つまりブーメランになるからです。

なので、相手の過失を見るよりも、自分の過失を矯める方がずっと良いと判断する。そしてそれは、事実そうなのだと思います。

しかしながら、互いに不格好ながら、非難批判ではなく、互い真摯に指摘し合う事は、大変有益だと思います。自分の死角は、他人に指摘してもらう事が一番だからです。

私はこの、不格好ながら、ということをネット上ではよくやって来たと思います。なので、大概は争いに終わることなく、良い帰結を得られました。
終点には着いていないけれど、既に来るべく、既に去るべく、場所に囚われず、自らを大地として歩もうと、そのように思いました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

(きわものの質問ですが)。

★ 愛をもって、愚かな人を諭してあげる人が少ないからだと思います。
沈黙で示そうとする、とか、痛い目に遭う事でしか学べないと思っているとかで。
☆ ふむ。経験・体験が 学習につながらない・・・でしょうか。


★ ちゃんと教えてやれば皆良い子に育つのに。
この場合は、自分は大丈夫と思っているところに落とし穴があると思います。
☆ ふむ。日本人は 意外と自尊心が高い・・・のですかね。


★ あとは、自分が馬鹿なので、相手の馬鹿を勇気をもって指摘できないと言うのもあると思います。的外れになったり、少なくとも棚上げ、つまりブーメランになるからです。
☆ だとしたら 無知の知までは達している かもですね。


★ なので、相手の過失を見るよりも、自分の過失を矯める方がずっと良いと判断する。そしてそれは、事実そうなのだと思います。
☆ では それが実行されていけば よくなるかも。


★ しかしながら、互いに不格好ながら、非難批判ではなく、互い真摯に指摘し合う事は、大変有益だと思います。自分の死角は、他人に指摘してもらう事が一番だからです。
☆ 先ほどの自尊心の問題。これは 歳を取ってくると 乗り超えて行けるかも知れないわけですね。


★ 私はこの、不格好ながら、ということをネット上ではよくやって来たと思います。なので、大概は争いに終わることなく、良い帰結を得られました。
終点には着いていないけれど、既に来るべく、既に去るべく、場所に囚われず、自らを大地として歩もうと、そのように思いました。
☆ 無知の知からすすんでみんなで共有し得る智慧や知識をもとめている とは言えるわけですね。SNS のよさが あるのでしょうか。


☆ 観念の運河は クウキの問題です。クウキすなわち 大きく日本教という社会運営システムであるかと思います。

この質問では そこまで突っ込めませんでした。

お礼日時:2023/05/06 18:04

いえ、とんでもない。

私の方こそ示唆に富んだご返信ありがとうございます。洋楽を聞いてみると一目瞭然なんですよね。言葉自体が音楽的で韻を踏んだりする規則性も兼ね備えていて、言葉=アートという感性が向こうにはある。その意識が無意識的になっており、しかも思考そのものを音楽的に考えているために、頭脳の回転数はおのずと速くなります。
お挙げになっていただいた万葉集ですが確かに日本語的な美はあります。でもそれはやはり、「思考性」という方向とは逆の芸術です。
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この回答へのお礼

★ いえ、とんでもない。私の方こそ示唆に富んだご返信ありがとうございます。
☆ 勘違いがかなり多く ときどき軽くないチョンボをやらかします。おゆるしあれ。


★ 洋楽を聞いてみると一目瞭然なんですよね。
☆ その音楽性に対抗するに 日本語文の唄では たとえば小節が効くようになっている。・・・と言ったんでは 皮肉にしかならない・・・?


★ 言葉自体が音楽的で韻を踏んだりする規則性も兼ね備えていて、
☆ 踏韻は きわめて自然に言葉じたいにそなわっているよう。

和文では 頭韻だとかあるいは脚韻が用いられるのですが 同じような言い回しが多くなってしまう。


★ 言葉=アートという感性が向こうにはある。その意識が無意識的になっており、しかも思考そのものを音楽的に考えているために、頭脳の回転数はおのずと速くなります。
☆ そうですね。かつて和歌にあって 相当の技巧が考え出されたようですが かえって技巧はいまいち毛嫌いされるようになったかも。

ということは 情感を表現することには日本人は長けていたか?

どうなんでしょうねぇ。

成功していたとすれば あたまの回転の具合いが 論理的な思考(幾何学の精神)と情感の表現(繊細の精神)とでは ちがっている・・・のかなぁ?



★ お挙げになっていただいた万葉集ですが確かに日本語的な美はあります。でもそれはやはり、「思考性」という方向とは逆の芸術です。
☆ パスカルは 西欧人ですが そうするとかれらは 言語の芸術性にもとづき 論理も情緒にも長じている・・・のだろうか?

AI に情緒をもおしえるとか 聞きますが。・・・

お礼日時:2023/05/05 09:37

多いかも知れない。



しかし、少ないかも知れない。

もともと、幕府(権力者)が利口者を利用し、民には利口にならない様にしてきた報いでしょうね。

だから、馬鹿は馬鹿なままで、利口は水面下に潜り姿を見せない。
そのうち、どれが馬鹿で、どれが利口かさえも分からなく(判断できなく)なる。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ~~~
多いかも知れない。

しかし、少ないかも知れない。
~~~
☆ 見方考え方によりますか。


★ もともと、幕府(権力者)が利口者を利用し、民には利口にならない様にしてきた報いでしょうね。
☆ 泣く子と地頭には勝てぬ。お上にはさからえない。寄らしむべし知らしむべからず ですか。


★ だから、馬鹿は馬鹿なままで、利口は水面下に潜り姿を見せない。
☆ おそらく。

たとえば 価値観にかかわる社会科学や人文科学ではなかなか自己の主体的な見解は 発表しがたい。だから 自然科学に精を出す。そこでは 成功する事例が少なくない。



★ そのうち、どれが馬鹿で、どれが利口かさえも分からなく(判断できなく)なる。
☆ はっはっはと笑っちゃいけないかも。

たとえば帰国子女は 外国の文化や習慣に馴染んで来たでしょうが 帰ってくると あんがい日本式に染まりますね。(半々ぐらいでしょうか)。

クウキなる文化は 《偉大》なんですかねぇ。どうでしょう。

お礼日時:2023/05/05 09:16

言語の構造からです。

欧印語や中国語と比べて音節がやたらと多く、言語に要するエネルギーのわりに情報量が少ないということがあげられます。これは、向こうの歌や詩を見てみれば一目瞭然なことです。また向こうの歌や詩は言語自体が極めて音楽的であり、話すことそれ自体による陶酔効果というものがあります。日本語にはそれがない。
つまり、日常的に用いている言語が非効率で非音楽的なために、頭の回転がちっともよくならない。
もちろん文字は漢字とひらがなカタカナというきわめて合理的で抽象性を持ったものなのですが、それもベースには音声言語というものに乗っていますので、やはりベースそのものが頭脳の回転には向いていないのです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

☆☆ 日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?
★ 言語の構造からです。
☆ 日本語の構造は アホバカを製造する? うむ。

★ 欧印語や中国語と比べて音節がやたらと多く、
☆ 言いかえると 子音と子音とが直接つながる場合は ひじょうに少ない。いわゆる形態素が C+V(一子音+一母音)から成っている。

一音節の英語 strike を su-to-rai-ki ( または -ku )というように四音節にして発音する。

たしかに 統語論じょうきわめて似ている朝鮮語にしても 形態素には C+V 形式のほかに C+V+C といった形式がある。ユンソンニョルは -l (エル)という子音終わりである。

ということは 文表現が 発音上 単調になったり間延びがしたりするってことかなぁ? 

★ 言語に要するエネルギーのわりに情報量が少ない
☆ なるほど。 strike とストライクとは 同じ情報を伝えているのに そのためのエネルギは 雲泥の差がある!? 生産性が低い?


★ これは、向こうの歌や詩を見てみれば一目瞭然なことです。
★ また向こうの歌や詩は言語自体が極めて音楽的であり、
★ 話すことそれ自体による陶酔効果というものがあります。
★ 日本語にはそれがない。
☆ 例外を出してみます。母音のつらなりのみ記します。

▲ (人麻呂:万葉集 3-266 )
近江の海       a-u-i-o-i
夕波千鳥       u-u-a-i i-o-i
汝が鳴けば      a-a a-e-a
心も しのに     o-o-o-o i-o-i
いにしへおもほゆ   i-i-i-e o-o-o-u

☆ わたしは 母音の連ね方が 絶妙なように感じます。音楽美と言いますか 耳に心地よいと。


★ つまり、日常的に用いている言語が非効率で非音楽的なために、頭の回転がちっともよくならない。
☆ ・・・かもね。ただし 地道な努力が得意。


★ もちろん文字は漢字とひらがなカタカナというきわめて合理的で抽象性を持ったものなのですが、それもベースには音声言語というものに乗っていますので、やはりベースそのものが頭脳の回転には向いていないのです。
☆ ううん。さあ このご意見にみなさんは いかがでしょうか?

お礼日時:2023/05/05 08:55

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