「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

19世紀〜第二次世界大戦終結までの間の中国とトルコでは、経済規模や軍事力や文明の発達度(豊かさ)にどのくらいの差がありましたか?

また、欧州ではトルコは東アジアでいう中国みたいな存在なのですか?

質問者からの補足コメント

  • 今でいうフランスと北アフリカ(フランスの植民地)ぐらいの差がありましたか?

      補足日時:2023/05/20 15:59

A 回答 (2件)

トルコはイスラム教の国ですから、キリスト教の欧州の国とは、


敵対する関係でしょう。
東ローマ帝国時代なら、オリエントは文化の発信地でしたから。
中国王朝の存在と同じ面が有ったと思われます。
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清帝国が健在な間は、問題なく中国の方が経済的にも軍事的にも上とみられていた。

実際に中国は世界で最も富める国だった。
しかし、日清戦争で小国日本に敗北したことで、それが幻想だったことが世界的に明らかとなり、それ以降は急速に没落してしまった。

トルコが富んでいたのはオスマン帝国の時代の西欧による大航海時代が始まると急速に没落し始めている。中国よりも先に没落が始まっていたわけだ。
オスマン帝国は、欧州とインド・中国を結ぶ中間に位置し、陸路の巨額な貿易利権で繁栄していた国家だったのだ。大航海時代で海路を使った貿易が始まってその利権を失ってしまった。トルコになってからは、オスマン帝国時代の残滓で食い繋いでいたにすぎない。

トルコ時代に入ってからは、欧州にとっても強国であったことは間違いないが、東アジアでいう中国みたいな存在ほどではない。

ただ、オスマン帝国時代は、欧州にとって正しく中国のような存在で、経済的にも軍事的にも文化・科学技術てきにも非常に大きな存在だった。
大航海時代が始まる前は、欧州は野蛮人の国でオスマン帝国は文明人が暮らす先進国だった。
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