デカルトなどが行ったと思いますが、神の存在証明を言うものがあると聞いた事があります。(私は哲学か科出ではないので、詳しくは知りませんが…)

デカルト以外に神の存在証明をした人がいたら教えていただけないでしょうか。

お願いします。
アリストテレスもかな?

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A 回答 (10件)

沢山いたようですが、20世紀にゲーデルが試みたことは有名のようです。


ただ、ゲーデルは、有史以来最大の天才とも言われた超々天才ですけれど、後年には精神を病んでしまって、そのときの証明らしいので、必ずしも認められているとはいえないらしいです。ちなみに、皆が自分を毒殺しようとしている、という妄想にとらわれて、奥さんの作った食べ物しか食べられなくなったそうです。悪いことに、奥さんが病気で入院してしまったため、何も食べられず、奥さんが退院したときは手の施しようがなく亡くなったそうです。頭が良すぎたために、どんな精神科医もそれが妄想だと納得させることができなかったのかもしれません。
まあ、それによってゲーデル自身が神を見出したかったのかどうかは分かりません。論理学のひとつの応用として、神の存在の証明ができるかどうか挑戦したかったのかもしれません。

もっとも、一般人にとっては、もし神の存在が論理的に証明されたとしたら救われるのか?という問題の方が大事かもしれません(そういう意味で、私個人は、あまり神の存在証明に本気で興味は持っておりません)。
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質問と若干ずれるかもしれませんが、存在を“証明“と言う事ではないかも知れませんが実感的証明と言う事なら以下のURLから可能と思います。



 www.god-21.com
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講談社新書だったかで読んだのですが(題名忘れましたすみません)、数学者のカントールなど如何でしょう。

あとゲーデルとか。併せて読むとおもしろいかもしれません。
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神の存在証明で代表的なものを3つ挙げます。



(1)存在論的証明
神は完全な存在であり、
完全である以上は思惟の内のみならず、思惟の外にも
存在するというもの。(アンセルムス)
(2)宇宙論的証明
現に宇宙が存在するからには、
宇宙が存在するようになった原因も必然的に存在する。
この第一原因が神であるとするもの。(トマス・アクィナス)
(3)目的論的証明
この世界はあまりにも精巧にできており、
単なる偶然の積み重ねでできたとは考えられない。
よって世界の知的な設計者が存在するというもの。(アリストテレス)

まずは何を持って神とするかという定義の問題がありますよね。
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神の存在証明ならスピノザもライプニッツもしています。


 すべてに共通なのは
 存在をあらしめる普遍的理法=神 を数学の手法を用いて
 行っているところです。
 
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証明した人は一人もいないと思います。


デカルトは神の前提を 善 だとしました。
それをもってこなければ 神はいると言えませんでした。

「神様はなんでもできるから 我々に幻を見せて、それを真実だと思い込ませているかもしれない。」

これに対してデカルトは
「神様は全くの善で、私たちに理不尽な悪さをするはずがない。従って私が私を思うことは確実に真実である。(なんたって神は人間を愛しているから)」
って考えたようです。

しかし、100歩譲って神がいるとしましょう。
果たして人間と神の善悪の基準は一緒でしょうか?
かつて正義だったものが、後世ではとんでもないことを昔の人はやったってなってます。
昔の善が今では悪になっているものもある。
おかしい。
全能の神ならとっくに見抜いて「もしもし人間さん それ間違い」って言ってくれてもよかったのに。
我々だって怒っている人に「もしもし、それあなたの勘違いですよ」って親切心出せるのに全能の神がしないなんておかしい。
「神があきれ返って もう言うのに疲れたんじゃないの?」
いえいえ 全能ですよ。全能。
疲れるはずない。
人間と神を同じレベルに引きさげてどうするんですか。 ですよね。




じゃあ、神と人間の価値観は違うんじゃないか。
ということは「我思うゆえに我ありゆえに神あり。」は神の存在を証明したことにならないような気がします。


ということはこれ×で、じゃあ誰が証明したの?ってきかれると、私の中ではそれ 人間が作った。
支配者のお人形。
支配者が操って我々に真実って見せている幻。

確かに一理あります。
敵が攻めてくるのに人々をまとめられなかったら国が滅びますから。
纏め上げるには万人共通の絶対的な何かが必要。
そこで神をもってきた。
おまけに自然災害も神のせいにしたので、その恐ろしさに人間を震え上がらせることができた。



幕をあげると、真実だと思っていたものが幻だってって気づき、その幕の裏にいた神オズが何者であるか知った。
これ『オズの魔法使い』です。 
でも、例えオズが魔法使いではないとわかっても、得るものが沢山あったので、人間が神を作り出したのはあながち無駄じゃなかったと思います。
でも、幕の中を見てしまったものはどうすればいいのか?
見なかったことにすればいいけど、みちゃったもんはもう変えられない。
でも ぷぷっ。
人間って無邪気で愚かだけど、かわいいーーーって思います。
ええ、権威ある人もかわいいーー です。
どんな人もこれはラップで本質ではない。
この人の本質はなんだろう?って考えると、特に怖い人なんて逆にオズのイメージが出てくるんですもの。
恐怖は去り噴出しそうになるんですもの 笑。
すると相手の恐怖によるマインドコントロールが解けて、さてさてどう料理しますかって考えるゆとりができてくる。笑
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アンセルムスという哲学者が証明したと思います。


「神は完全である。完全であるからには存在する。故に神は存在する。」
しかし、この神の存在証明は概念の枠を越えることができないようです。概念的に神が存在することは出来るが、現実に神が存在するということは証明できないということです。
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理神論者はたくさんいるよね。

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 カントは神や霊魂などは見ることも触れることもできない「物自体」としており、理性がもっている経験から生まれる独善や偏見でこれを判断することはできないとしています。

カント以前の哲学者は、教科書的ですと、客観から神を認識している、というあり方だったとされています。しかし、カントはそれに対して、主観から認識をするべきであるという(コペルニクス的転回)考え方をします。
 カントの時代も、それ以前も神は既に寺院や僧侶とうがおり、あるいは霊魂を呼び込むことができるという特殊能力の持ち主などが神を社会に金字塔としてたてていたと思われます。しかし、それに対し、人間が普遍的に神を認識することができる証明をカントは行ったと言えます。再度教科書的ですと、「先天的な総合判断」により神があるということは理性的にも証明できるということです。
 
 その理論的な考察以外に神などの「物自体」を把握できるものは「道徳」しかない と言っています。
 しかしながら、カントは、理性と感性を分け、理性は悟性、感性は空間と時間を把握するとしています。判断力批判においては、「神を据え置く以外にない」としており、
カントは神を哲学的な中心点おき、哲学を行ったのではなく、人間自ら有している理性・感性からの総合判断で、神がいるのかいないのか証明するということをされています。
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計算上、ビッグバンから地球が出来、生命が生まれ、人間が生まれ、現在のような大文明を築き上げる可能性は


・・・・26の10乗分の一・・・・・だそうです

ホーキングの出したものだそうです この数字は数学の世界では確立とは言わずに不可能というそうです
このことからホーキングは神の存在を信じていたようですよ
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Q存在が目的、存在が価値、存在が意味であり、存在が正義、存在を求めることが愛 分かる人?

存在が目的、存在が価値、存在が意味であり、存在が正義、存在を求めることが愛

この意味が分かる人居ますか?腕に覚える人は見抜いて下さい。

端的に書き表してください。

Aベストアンサー

私が何に悩んでいたかが分かりました。

この「存在性理論」は、「空間」というものがすでに
あるものということだけでなく、「存在」というもの
もすでにあるものという前提での理論であると思いま
した。

それならば、例えば「人間」という存在に「物質」面
と「精神」面が備わっているということや、子供が生
まれることも、進化してゆくことも、この理論で説明
できそうです。
唯物論と唯心論をまとめる、新しい理論であるとおっ
しゃることも分からないではないです。

しかし、私が悩んだのは、№12で申し上げた、宇宙の
元初の状態から「存在」が生じるということについて
は、この理論では説明できないだろうということでし
た。
その部分は「真理」ということで「未知」ということ
でよろしいのですね?
尤もこれが分かったら、えらいことですが‥‥

Qデカルトの神の存在証明

デカルトは方法序説で神の存在を定義していますが、ここで言っている神は第一部で述べた良識と同等に考えて良いのでしょうか?
なぜそうなのか等、詳しく教えていただけるとありがたいです。

Aベストアンサー

 誰も回答していないようですので、素人ですが、お邪魔します。
 デカルトは神と良識を同等とは考えていないと思います。デカルトにおける良識とは何か。これはこれで大変な問題だろうと思いますが、恐らく人間に備わっている判断能力、学問だけにとどまらず、日常生活において出会う様々な事柄に対して、判断している能力ということになるのではないでしょうか。
 恐らく、疑問が生じた箇所は、方法序説の第4部以降だろうと思います。しかしあれがくせ者でして、デカルトは、第4部以降で自分の哲学を説明していますが、その説明が、ほんの概略でしかない。ですので、あれだけで、デカルトの考えを理解するのは難しいらしいのです。もっと詳しく書いた「省察」とか「哲学原理」を読まないと、実は第4部以降は、理解しづらい。そういうことがあるようです。でも、そんなの面倒ですよね。
 というわけで、1つの案なのですが、もう少し、疑問点を具体的に書かれると良いのではないでしょうか。つまり、方法序説の(できればどの訳か。訳でなく原著でしたら大変失礼しましたなのですが。岩波文庫なのか中公文庫なのか、ちくま学芸文庫なのか、さらには何ページなのか)第何部のどういった文章についての疑問なのかを補足されると、適切な回答が得られるかと思います。いかがでしょうか。

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Q存在ってどういう意味ですか

デカルトの、神の存在証明で
神は完全であり、存在も含まれていなければならない
したがって神は存在するとあります。
この 存在 というのは、どいう事かという疑問です。
そこで
(1)存在
(2)認識
(3)知覚
は現象として何を意味していて、何が違うのかをしれば
神の存在の 存在 の意味が分かりそうです。
知覚は、赤いものが脳にうつった事
認識はそれを既存の考えでとらえた事
存在は、、、共有?
わからんです

Aベストアンサー

折り紙の「帆かけ舟」をご存知でしょうか?
『帆を持っている』と思ったら舳先で、『舳先だ』と思ったら帆を持っている、ていう。
そのように、『存在がある』と思ったら認識は見当たらず、『認識がある』と思ったら存在は不明になる、という補完的な関係にあります。

そこにおいて、そうした「『存在』の『認識』」は全て、感受表面における量子相互作用に還元されます。
時空的広がりは、その「相互作用パターン」における情報的作用に対して、生理的作用を(過去の五感の相関した経験の蓄積により)予測することによって生じます(「そこ」で何が起きるか)。

そして、その「感受表面」そのものが、その“空想的時空的広がり”に有限な広がりを持っていることによって、それは確定的な先入条件から、「自我仮説」になります。
そうした時空的広がり=有限的存在性が、相補的不確定性(不確定性原理)に基づいていることによって、その【知覚】=感受表面での量子相互作用パターン(光速=現在)から、【認識】=自我仮説(経験=時間=過去=超光速)と、【存在】=時空仮説(予測=空間=未来=光速下)」は相補分化している、と言えるのです。

実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。
客観的時空や絶対的存在というものはなく、認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になる、というものです。
その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束(相対的には宇宙膨張)の時系列化)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識します。

換言すれば、最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事によって生じており、自我仮説に対する相補的な時空仮説における、他我性こそが宇宙なのです(無の無限の闇に対する自我の射影)。
全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完なのです。

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Qデカルトの物体の存在証明について

デカルトは「我思う、ゆえに我あり」として、精神が実体として存在すると主張しました。
また、物体とはことなり、延長という属性を持たないという点で、精神は別種の実体であるとも言っています。

一方で、彼は物体から感覚が与えられることから、与える当のものである物体が存在しなければならないとして、物体の存在をも認めています(感覚が間違えることはあるので、本質をつかむことは出来ないとも言っていますが)。

しかし感覚器官自体の存在が疑いえる(精神は別次元の実体であるから、その存在から物体の存在を証明することは出来ないように思えます)ので、その感覚自体も疑いえるわけで、従ってその感覚を与える物体も存在するかどうか定かでない、と思うのですが。。

もちろんデカルト大先生がこのような矛盾を見過ごしているわけないので、ただの誤読だと思うのですが、よろしければ説明していただけると助かります。

Aベストアンサー

さっそくですが,ゲーテは,かく語りき.
「自由でないのに,自分は自由だと思っているものほど
 奴隷になっているものはない.」
これが意味するところは,我が選択しているにもかかわらず,
そこには我に選択させているものがある.つまり,
「我思う故に,我をそうさせるものあり.」ということです.

この命題もまた,循環論法の域を脱しない感があり,不完全で
あり,あまりに人間的な感じがします.これはボクの意見じゃ
ないんですよ.ツァラトゥストラがそんな風に言ってました.

Q人間にとって存在とは?目的?価値?意味の根拠?

人間にとって 存在とは? (1)目的である (2)価値である (3)意味の根拠である

さあ どれでしょう?

その理由も教えて下さい まだ開拓中の課題なんで皆さんの意見が聞きたいです。

存在と書くと分かり難ければ 存在する事 生存することとかでも構いません

Aベストアンサー

同じ‘存在‘ということを三つの切り口からみたそれぞれの結果ということで、三択ではなくそれぞれがそれぞれの切り口において正しいと言えるのではないでしょうか。そして‘存在‘という言葉には少なくともそういう切り口が三つはあるということが示されたと私は解釈しました。三次元空間のxyz軸のそれぞれのように、言葉に付随する三つのファクターとでもとらえるのが妥当なような気がします。‘存在‘ということを質問文中の(3)(2)(1)のようにとらえるのは、順番に「実質・相関・方向」という三つの切り口による視点から見た結果と言えると思います。

Q「あなたが神の存在を信じるときに限って、神は存在しない」というパラドックス

先日、講談社現代新書 高橋昌一郎「ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論」という本を買いました。その中の「あなたが神の存在を信じるときに限って、神は存在しない」というパラドックスがどうしても理解出来ません。ぬきうちテストのパラドックスまでは理解できたのですが……。どなたか分かりやすく解説していただけないでしょうか?

Aベストアンサー

追伸
すこし言い換えて、
(1)神は存在するというということが表現可能で無矛盾であれば、その無矛盾の証明はその体系内で証明できない。
(2)神は存在しないというということが表現可能で無矛盾であれば、その無矛盾の証明はその体系内で証明できない。
この定理は読み替えれば(1)(2)の前文が矛盾すればすべて証明できるということでしょう。
(1)神は存在する(真)という命題が矛盾(偽)ならすべて証明できる
(2)神は存在しない(偽)という命題が矛盾(偽)ならすべて証明できる
(1)神は存在するを(真)にしたときのみ、神は存在しない(偽)が無矛盾を証明するというパラドックスじゃないかな。
(2)はその逆で神は存在しない(偽)の偽(神は存在する)が無矛盾を証明することになる。へんだけどね。

Q「日本にはヘッジファンドというのは存在しない。 この意味を日本人で理解出来る人は少ない」 これは

「日本にはヘッジファンドというのは存在しない。

この意味を日本人で理解出来る人は少ない」

これはどういう意味ですか?

Aベストアンサー

「ヘッジファンド」の定義によるのではないでしょうか。
Wikipediaでは「代替投資の一つ。通常は私募によって機関投資家や富裕層などから私的に大規模な資金を集め、金融派生商品などを活用した様々な手法で運用するファンドのこと。」
「世界のヘッジファンドは大部分がオフショア籍であり、金融庁に無登録なので、日本の証券会社や銀行は販売できない。」
等の記載がありました。後半部分は、日本で存在しないということと関係あるかもしれません。
まあ、これは、全体のどういう文脈の中でのコメントなのかによると思います。

Q全知全能な神は存在しないことにより神は存在しない?

全知全能な神は存在しないことにより 神は存在しない?

人の生きがいとは 自己の欲望を満たすことであり他人からの賞賛である。人は全ての欲望が満たされていない時 自己の欲望を満たすために活動することが楽しいのである。
人は 自分以外に誰(生き物全て)もこの世界に存在しないならば生きている意味を見つけることは難しい。人は満たされない欲望を満たすために生きている。

もし 人の全ての欲望が満たされたとするならば 人は何か満たされない刺激を求め始める。全てが満たされた世界に於いて 他人が同じように全ての欲望が満たされていたとしても 人は他人は自分より不幸であるとみなしてしまう。
神が人間を創造したとするならば 神は不完全な人間しか創造できない。何故ならば 人間は不完全である故に完全さを求め続けることにより 幸せを感じることができるからである。

不完全な人間しか創造できない神は 全知全能な存在とは言えない。また 神も不完全な存在である。神が不完全なら 神とは呼べない。よって 神は存在しない。どうでしょうか?

Aベストアンサー

No.5です。遅くなりました。

法華経に詳しいね。σ(・・*)は曹洞宗。

感じ、創価さんではなさそうね。六道どうのこうので、大体判別できるけど

よく知ってあるようです^^; 

 #いるんだ時々、こういう風なところでかき回す邪教徒が。

仏教徒だからね~、八百万の神で「数学の神様」もいれば「トイレの神様」もいる、

ってスタンス。

公理系の話しだけど、黙って書いたわけではないからね。

前述しているけれど
「今観測している現象は、人間が観測して法則だてたものであって、

その法則を神が創った補償はない」

 #ニュートンの「神の存在が証明できない」というのと一緒。

なのだから、少し面倒なことを書くけれど。

「神が完璧でないのか、人間が完璧ではないのか」

この二択になってしまうと、考えるんですよ。

 #σ(・・*)たちのような、そこに宗教を見ていない科学者はね。

で、こういう結論がでるわけね。

「神の存在証明が出来ない以上、それは人間が作り出したものであろう。

人間は不完全であり(不完全性定理もあるしね)、自然界をも不完全にしか解釈できていない、

ゆえに、神の完全性も証明できない」

 #これは結構、大変な話です・・・。

ある程度信じるのか信じないのか? という世界になるとは思います。

そういうところでも、神!を見ることはある。

数学で行くとね「6以上の偶数は、二つの素数の和で必ず表される」。

証明は出来てないけれど^^; (ゴルドバッハ予想という問題)

実際にちょっとやると、

6=3+3 (3:素数だね)

8=3+5 (5:素数だよ)

10=3+7=5+5 (7も当然素数ね)。 こんな風に。

こういうところに、たま~に出没されます。

が、それは数学の神だと思う。 これがね、他のことにも役に立ちそうなら、

まだ考え方はあるけれど、ほかになさそうなんですね。

全知全能の神様ならば、こういうものも全て何か別の領域でも

必ず役に立つのだろう。 何故ならば~で、無駄なことはされないはずだから、ね。

一神というのは、どこか不完全になりやすいと思う。

学術にいる連中は、向こうの連中でもそうだけど、結構たくさんの神様を見てるよ^^;

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)

信じるのか信じないのか?だよ。 σ(・・*)は絶対神は不必要とするけどね。

仏教徒だから、ご先祖が大事^^;

No.5です。遅くなりました。

法華経に詳しいね。σ(・・*)は曹洞宗。

感じ、創価さんではなさそうね。六道どうのこうので、大体判別できるけど

よく知ってあるようです^^; 

 #いるんだ時々、こういう風なところでかき回す邪教徒が。

仏教徒だからね~、八百万の神で「数学の神様」もいれば「トイレの神様」もいる、

ってスタンス。

公理系の話しだけど、黙って書いたわけではないからね。

前述しているけれど
「今観測している現象は、人間が観測して法則だてたものであって、

その法則を神が創...続きを読む

Q世界の存在する意味とは?

年の功か、多くの現象には意味や理由が在るように思われます。ただ、人間を含む、世界そのものが存在する意味が、私にはわかりません。意味、理由など無く、すべては、あるがままに、ただ、あるという事なのでしょうか?

Aベストアンサー

 私は文系なので、正直よく理解していないのですが、近年の宇宙論によると、ビックバン以前の宇宙の姿もかなり予測できるようになって来たのだと聞きます。

 何でも、まず何も無い状態があり、そこに「真空のゆらぎ」が発生し、そのゆらぎが一定の度合いに達すると、そこから宇宙の卵とでも言うべきものが生まれ、その内部でエネルギーの圧力が高まるとビッグバンが起こり、宇宙が誕生するのだとか。
 そうやって、ゆらぎの中から宇宙が生まれる事態は、ごく平凡な出来事であり決して特別な事ではなく、また充分なエネルギー・ポテンシャルを持ちながらビッグバンがまだ発生していない卵の状態の宇宙からも、それを母体として幾つもの別の宇宙が発生しているのだとか・・・。

 何故そう予測できるのか私にはわかりませんし、上に書かせていただいた文にも間違いがあるかもしれません。ですが完全に人間の手に余る代物である「世界」とか「宇宙」と呼ばれるものが、実はそれこそ真砂の数だけいくらでも存在している、それこそ道端の石より庭の砂粒より平凡な存在に過ぎない事だけは確実なようです。

 また・・・、
 人間はこのとおり哺乳類に属する動物です。哺乳類の特徴とされる物事はいくつも存在していますが、その中でも特にユニークなのは「教育」を行う事です。私自身は、笑われる事を覚悟で言えば、この教育とよばれる生物界でも非常に珍しい行動を補完する為に、哺乳類は父性本能、母性本能などとともに、子性本能とでも言うべきものを持つ方向に進化したのではないかと思います。もしそんな本能が本当に存在するのであれば、やはりそれは内的な方向に向けられるものではなく、対になる親性本能と同様に外に対して向けられたものなのではないかと思います。

 更に・・・
 人間の思考過程には、次の3つの断面が有るとされているそうです。即ち根深いものから、本能、法則認識、思考・・・。
 
 それらを合わせて考えてみるに、物質のみにて形作られた精神的には虚無である宇宙(=森羅万象)と相対した時、人間はその広大無辺さに圧倒され、一人の人間としては忘れ果てていた子供よりももっと幼かった日の不安をその身の内に思い出し・・・、それによって哺乳類としての本能が幾分入り混じった認識の中の宇宙観を得てしまい、それを逆に物質的な実在の宇宙に投影してしまう事を自然に行ってしまうのではないかと思います。
 上に書かせていただいたとおり、思考や認識は本能に対して決定的な影響を与える事こそ出来ますが、構造上代わりを務められるまでには決して至る事は出来ませんから、新たな知識を、思索を幾ら積み重ねたとしても、それを行えば行うだけやはり無辺な(精神的)虚無に対する不安の念を強く刺激し、これまでと同様に子性本能を揺り動かしてより強く目覚めさせる結果に終わるだけなのではないかと思います。

 要約すれば、真実の存在としては永遠に唯物なものにしか過ぎない宇宙を、たとえどれほど優秀であったとしても一個の存在としては例外なく永遠に人間原理である人間の眼によって見てしまった時、そこから始まるズレによって或る時には"意思"が、また別な或る時には"意味"が見えてしまうだけに過ぎないのであって、実際には、そこに在るものはただ泰然として在るがままの存在に過ぎないのではないか?・・・と考えられると思います。

 宇宙とか、世界とか、この世とか、様々な名前で呼ばれるこの広がりの持つ「意味」とは、或いは感じ取る、調べる、実験するなど「読み取る」と一般に呼ばれるタイプの行動を繰り返しながら、実際にはそれら行為から得られた情報を元にして、本来は「作り上げる(獲得する)」ものなのかもしれません・・・。
 

 ・・・人間は、果たして絶対的な虚無と不安をどの程度同一視するのか。何かに圧倒されて成す術が無くなった時に、それに対応して発揮される感情(≒本能)が実際には何なのか。それらについて確実な事が言えない状態で書かせていただいた幾分乱暴な文なのですが・・・。或いは何らかの参考になれたならば幸いです。

 私は文系なので、正直よく理解していないのですが、近年の宇宙論によると、ビックバン以前の宇宙の姿もかなり予測できるようになって来たのだと聞きます。

 何でも、まず何も無い状態があり、そこに「真空のゆらぎ」が発生し、そのゆらぎが一定の度合いに達すると、そこから宇宙の卵とでも言うべきものが生まれ、その内部でエネルギーの圧力が高まるとビッグバンが起こり、宇宙が誕生するのだとか。
 そうやって、ゆらぎの中から宇宙が生まれる事態は、ごく平凡な出来事であり決して特別な事ではなく、ま...続きを読む

Q歴史哲学について質問です。 危機の時代の「神が世界を創ったのに悪が存在するのは何故か。」という疑念

歴史哲学について質問です。

危機の時代の「神が世界を創ったのに悪が存在するのは何故か。」という疑念に、アウグスティヌスは「歴史とは永遠の善である神のもとへ人々が導かれるまでの過程である」と答えた、と参考書で読みました。

しかし、アウグスティヌスの恩寵予定説では救われる人は予め決まっていると言います。

救われる人が限られるなら、全ての人々が神のもとへ導かれる、というのは矛盾している気がしてなりません。

何故この二つは矛盾しないのでしょうか?
倫理や哲学に詳しい方、回答よろしくお願いしますm(_ _)m

Aベストアンサー

▲(パウロ:ローマ書9:11-18) ~~~~~~~~
その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていない
のに、「兄は弟に仕えるであろう」と〔母〕リベカに告げられました。
それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しに
なる方によって進められるためでした。

 「わたし(=神)は
 〔双子の弟の〕ヤコブを愛し
 〔その兄の〕エサウを憎んだ」 (マラキ書1:2-3)

と書いてあるとおりです。
では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうで
はない。 神はモーセに、

 「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、
  慈しもうと思う者を慈しむ」(出エジプト記33:19)

と言っておられます。 従って、これは、人の意志や努力ではなく、神
の憐れみによるものです。
聖書にはファラオについて、

 「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現し、
  わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」
             (出エジプト記9:16)

と書いてあります。 このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を
憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。
~~~~~~~~~~~~~~
☆ このくだりをめぐってアウグスティヌスは 『シンプリキアヌス
へ』の中で自分の考えを述べています。

▼(アウグスティヌス:パウロの恩恵論) ~~~~~~
神がヤコブを愛したもうたとしても 彼は〔アダムとエワのあやまち
以来の〕罪人ではなかったか。

だが神はヤコブにおいて 消したもうた罪責を愛したもうたのではな
くて ゆるしたもうた恩恵を愛したもうたのである。

なぜならキリストも不信心な者たちのために死にたもうたからである
(ローマ書5:6)。

しかしそれは彼らが不信心な者としてとどまるためではなくて 不信
心な者を義とするかたを信じ義とされて不信心から変えられるためで
ある(ローマ書4:5)。

なぜなら神は不信心を憎みたもうからである。
(シンプリキアヌスへ 第2問)
~~~~~~~~~~~~~~




わたしは この恩恵論を要約するちからがないので むしろ勝手に自
分の解釈を あとは述べます。

★ ~~~~~~~~~~~
救われる人が限られるなら、全ての人々が神のもとへ導かれる、とい
うのは矛盾している気がしてなりません。

何故この二つは矛盾しないのでしょうか?
~~~~~~~~~~
☆ ≪救われる人≫も≪救われなかった人≫も≪みな神のもとへ導かれて
行く≫ということで まづいですか? ――という単純な見方なので
すが。

ヤコブについて自然本性なる人を愛し エサウについてその自然本性
に悖る≪善の損傷≫なる人を憎む。

愛された元々の人とそれに傷をつけた部分について憎まれた人と そ
の両者が――つまりは すべての人びとが―― 神のもとへみちびか
れて行きます。

▲(パウロ:ローマ書9:11-18) ~~~~~~~~
その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていない
のに、「兄は弟に仕えるであろう」と〔母〕リベカに告げられました。
それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しに
なる方によって進められるためでした。

 「わたし(=神)は
 〔双子の弟の〕ヤコブを愛し
 〔その兄の〕エサウを憎んだ」 (マラキ書1:2-3)

と書いてあるとおりです。
では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそう...続きを読む


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