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知的レベルが極端に低い、或いはゼロな生命程、正しい選択をしているように見えるのは何故ですか?

例えば土壌のバクテリアや菌類は植物に都合の良いバランスをとり、昆虫や甲殻類は植物を適正な数にコントロールして見えます。勿論動物もそうです。

対して人間は賢いはずなのに環境のバランスを壊してしまった。
私達が信じる「賢さ」は「愚かさ」になっている。

A 回答 (2件)

その主張って、「正しさ」は知性と無関係に存在する、ということが無言の前提になっていると思いますが、その前提は無理がありませんか?そもそも



>環境のバランスを壊してしまった。

これを悪と断じているのはその「愚かな人間の賢さ」なわけでですね。自然界にはシステムはあっても価値判断はありません。

>例えば土壌のバクテリアや菌類は植物に都合の良いバランスをとり、昆虫や甲殻類は植物を適正な数にコントロールして見えます。勿論動物もそうです。

違いますよ。バクテリアは主語ではありません。バクテリア自体は、培地上で栄養を補充(fed batch)し続けるとほぼ無限に増えます。バランスもへったくれもありません。バクテリアはバランスなんかお構いなしに無限に増えようとするんだけど、環境(他の生物との兼ね合いや土壌の栄養の上限)がそれを許さないだけです。

各生物の「勝手」を、環境要因が最終的に適当なバランスに落とし込んでいるだけであって、「コントロールする」の主語は各生物ではありません。その点で、人間と他の生物に本質的な違いはありません。


捕食者Aが被食者aを食うとして、Aとaの間には確かに自動的にある程度のバランスが取れるようになっています。Aが増えすぎてaを大量に食ってしまうと、aが減少する=餌が少なくなるのでAは数を保てず、多くが餓死したり、次代の子を産むエネルギーを得られなかったりして減少します。結果、Aが減り、捕食される数が減るのでaが再度増えて……という感じですね。

別にAは、自分たちが飢えないように賢くaの捕食数や自分たちの繁殖数をコントロールしているわけではないし、自然のシステムによる個体数の調整は、各個体の餓死だったり、捕食だったりという、ある程度(人間目線で見ると)残酷・悲惨なプロセスを経て起こります。

そんなの、自然界では「よくある話」であって悲劇と言うにも足りませんが、人間だけがなまじそういったシステムがあることを自認できるような知性を持ってしまったがために、人口が増えすぎて餓死者が出るとか、戦争によって人口が減少するとか、そういう「数の調整」、自然界からすれば「どうでもいいこと」である人間や他の種の大量死を、「我々の愚かさゆえ」と自省するんですね。

自然界に何らかの正解があって、人類が賢すぎてそれを逸脱してしまった、というのではなくて、自然界には正解も不正解もなく、ただバランスが崩れると自動的にそれを補正する「幅」みたいなものがあって、その幅の中で自分たちが増減する(つまり人が産まれたり、時には大量に死んだりする)というだけの話です。

「人類は自然のバランスを壊してしまった」というのも人間視点の話であって、仮に世界的な核戦争が起こったって生態系は再構築されるし、だいたいカンブリア紀のバージェス・モンスターだって、恐竜だって、人類のような知性は持っていなかったけれどもうその時代の生態系なんてほぼ絶滅して、今は平然と違う生態系が蔓延っているわけでですね。
知性と生態系の壊滅・再編成もあんまり関係ないと思います。
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あなたの中の「正しい」の基準がそうだからでしょう。

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