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70歳に手が届きそうな還暦爺さんの戯言ですけど……
1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万博って、オリンピックや万博を成功させようって大人たちが一丸となってるのを肌で感じて、大人の人たちって凄いなって尊敬してたのを覚えてます。

でも、2020年の東京オリンピックや2025年の大阪万博って、スケジュールの遅れを馬鹿にするだけとか、中止したらいいんじゃないのとか、成功を目指して現場で頑張ってる人たちを馬鹿にしたり足を引っ張ったりする発言やマスコミの記事が目立ちませんか。スケジュールが遅れているならコクミンとして何かできることはないかなどという意識は感じられませんね。

これって、
日本人が日本のために政治や立場の違いを乗り越えてみんなでイベントを成功させようって意識が薄れてきているんでしょうか
それとも、
60年代、70年代も、現代と同じく大人は足の引っ張り合いをしてたんでしょうか

A 回答 (10件)

自信をつけつつあった時代は、さりげない自尊心と海外からの客を迎えるホスト意識があったのだろうけど、一定程度評価されて、そしてその評価が維持できなくなりつつあると、個々の素が出てきてしまうのでしょうね。



問題なのは「個人の見解です」系を押し付けて、認められたいという承認欲求を発揮してしまうこと。
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「出る杭は打たれる」という諺があるように、昔から日本人は同調圧力が強くて他者の大きな成功を喜ばない傾向にあると思います。

2023年の世界幸福度ランキングでも、日本は(一応まだ経済大国ではあるものの)G7では下位で、総合では47位に過ぎません。極論すれば、日本人ってのは自分が幸福になるよりも他人が不幸になる方が嬉しい傾向にあるとも言えます。

ではなぜ、1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万博はあれだけ盛り上がったのか。

それはまず、当時の日本は国全体が「右肩上がり」にあった、あるいは「右肩上がり」にあると多くの者が信じていたからでしょう。

確か1970年の万博のキャッチフレーズは「人類の進歩と調和」だったと思いますが、少なくとも日本国内では「我が国の将来は進歩と調和しか有り得ない」という「空気」が充満し、それに異を唱える理由もあまり見出せない状況だったと想像します.

そして何より、当時は娯楽と情報が少なかったという事実が大きかったと思われます。

昔はスポーツの世界大会が身近に見られるという機会なんてほとんど無かったし、世界の国々に関する情報なんて直に得られるチャンスも限られていた。しかもディズニーランドもUSJも無かった時代。オリンピックや万博は唯一無比のエンタテインメントとして位置づけられたのは当然です。

以上を勘案すれば、2021年の東京オリンピックや2025年開催予定の大阪万博がどうして盛り上がらないのか、その理由は明白です。

今の日本は見事なほどの「右肩下がり」です。バブルが崩壊してから30年以上も国民の給与は上がっていませんし、GDPの伸び率は低迷しG7では最低。加えて政府は景気対策なんか実行する気はさらさらないようだし、それどころか増税を企んで国民生活が好転する兆しはまったく見えない。

そんな中で、やれオリンピックだ万博だとハシャぐのは愚の骨頂。

それから、今は昔と違って娯楽の種類はたくさんあります。しかもネット経由で世界中の情報がリアルタイムで入ってくる。オリンピック会場や万博にわざわざ足を運ぶ必要性はあまりない。

さらに悪いことに、万博誘致の裏側には「IR(カジノ)導入」というブラックな事情が透けて見える。こんな胡散臭いものに誰が共感するんだって話です。

いろいろ書きましたが、要するに「昔は日本人は前向きだったけど、今はそうじゃない」ってことではありません。日本人の国民性なんて、たかだか数十年で変わるわけがない。

変わったのは日本および日本人を取り巻く環境だけです。
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老害が若者の足を引っ張るから高齢者の集団自決・集団切腹や安楽死の強制まで議論されるべきだとテレビに出てる人が言ってた。

つまり皆んな一緒に出る杭を打ち足を引っ張る性質があるのはその年代の人だね。
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1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万博って、


オリンピックや万博を成功させようって大人たちが
一丸となってるのを肌で感じて、
大人の人たちって凄いなって尊敬してたのを覚えてます。
 ↑
1,あんな巨大プロジェクトを率いている
 指導的立場の人間の能力に感嘆しました。
2,確かに、一丸となっていましたね。
 異を唱える人は見当たりませんでした。



でも、2020年の東京オリンピックや2025年の大阪万博って、スケジュールの遅れを馬鹿にするだけとか、中止したらいいんじゃないのとか、成功を目指して現場で頑張ってる人たちを馬鹿にしたり足を引っ張ったりする発言やマスコミの記事が目立ちませんか。スケジュールが遅れているならコクミンとして何かできることはないかなどという意識は感じられませんね。
  ↑
そうですね。
なんか冷めたというか、
無理にやらないでも、という感じになっています。



これって、
日本人が日本のために政治や立場の違いを乗り越えてみんなでイベントを成功させようって意識が薄れてきているんでしょうか
それとも、
60年代、70年代も、現代と同じく大人は足の引っ張り合いをしてたんでしょうか
 ↑
64年のオリンピック時は、日本がまだ途上国で
貧しかったからでしょう。
国民が一丸となって先進国入りするぞ。
そういう具体的目的があったからだと
思います。

今は、オリンピックなどがGDPに占める割合
など微々たるものです。
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当時はそうだったのですか。

面白い観点ですね。
イベントではありませんがSDGsなどはどうでしょうか。世の中を良くするためにある程度国民の支持が得られていると感じるのですが。
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これこそ、背景は若干違いますが【英国病】ならぬ【日本病】ではないでしょうか。

日本人は明らかに疲れている。
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アラフィフジジイです。

質問者様に比べれば20歳も若い若造ですが・・

>日本人が日本のために政治や立場の違いを乗り越えてみんなでイベントを成功させようって意識が薄れてきているんでしょうか

1964年の東京オリンピックも1970年の万博も「戦後復興がここまできた、もはや日本は戦後ではなく、堂々と先進国に返り咲いた!」という国民的認識があったから一丸となれたのです。

逆に2020東京オリンピックはデフレに喘ぐ国民には全く響かないし、コロナ化で1年遅れで開催することにも批判がありました。まあ結果的には「やってよかった」という人たちも増えたので成功といえば成功です。

2025年の大阪万博も「そもそもの意義」が全く見えません。日本自体が経済成長の方向性を見出してないのに「万博で見せる将来像」ってリアリティがなさすぎるわけです。

なので、国民の意識が盛り上がらないのはある意味当然であると言えます。

しかし、日本人は今でも「一丸となる民族」であることは東日本大震災が証明してくれました。被災地の人たちは「他人の分は受け取らない」という団結力を示しましたし、計画停電の地域の人たちは「(電気を)欲しがりません、電力が復旧するまでは」という忍耐と連帯を示し、ヤシマ作戦という名前までついたわけです。

このあたり、世界は「日本の団結力はすごい」と評価してくれたわけで、日本人の基本的なメンタリティは戦前戦中そして高度成長期を含めてそれほど変わってないと思います。

ただ東日本大震災と2020東京五輪では「団結しなければならない必要性」という認識が全く異なっていただけです。
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当時は経済発展の途上で、社会に勢いがありました


国民も、国のため社会のため会社のためという意識が
強かったけど、今は個人主義です

良く言えば社会が成熟したんで、足の引っ張りあいを
する元気もないでしょう
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>1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万博


これと比較して論じること自体がおかしいです。
東京オリンピックは戦後日本のめざましい復興・発展を世界にアピールする絶好の機会ということで、国民こぞって日本復興のPRに期待したわけです。
万博は、国際博覧会史上アジアで初めて開催されるものとして、それが日本で行われるということで注目されて、加えてアポロの月の石も展示されるというエポックなことも重なって、大いに注目されたんです。

当時の日本の位置付けと国民意識と、今とでは全く違うんです。
現にオリンピックは様々なトラブルの末に、挙句の果てには贈収賄の事件に発展しました。
大阪万博も、パビリオン建設にあたって立候補した国は韓国のみです。
要するにドバイ万博があったばかりで、国際的に新鮮味が薄れているということ・・そういう現実があるから各国は及び腰なんです。
それにもかかわらず、国は「万博ありき」で、労基法違反を容認したり、国の費用でプレハブを作って提供・・なんていうことまで出てきました。
そういう実体が見え隠れするので、国民は「またか」という気分になるんです。
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もともと開催に賛成していない催し物を応援する気にはなれませんし、その義理もありません。



人の生活に影響のある大規模イベントですから、当時も反対する人はいたでしょうね。
それでもかつてはオリンピックや万博には「そこから広がる未来」の幻想を抱くこともできたし、広い範囲のインフラ整備など具体的な目標も見えていました。

が、これから開催予定の万博や先のオリンピック、さらに冬のオリンピックは、限られた界隈・仲間内で利益を融通するための行事に過ぎないことが見えすぎています。
多くの国民にしてみれば、行きたくもないパーティーの券を何かと誤魔化しながら売り付けられるようなものですね。
応援できませんよ、そんなもの。
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