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在来線鉄道に関する質問です。
一段下降窓(つまりは「落とし窓」)というものは、これを最初に採用したのは阪急であり、明治の昔より伝統的に採用し続けてきたんですよね。
では阪急以外で、かなり昔より伝統的に落とし窓を採用してきている鉄道会社と言うと、どこが該当するでしょうか?


なお、乗務員室の窓については、ココでは除外とします。客用窓での場合とします。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    京王6000系が鉄製車体であるのは【百も承知】なのですが、では何故、その割には長く持たせられたのでしょうか?
    京王の他にも、関西を見ると南海や近鉄なんかも鉄製車体で落とし窓となってるし…。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/08/09 19:02
  • どう思う?

    関西ほどに、落とし窓を採用する文化が【お盛ん】ですね。南海の他に、阪急や近鉄とかも鉄製車体に落とし窓だし。
    メンテで苦労するとか言うけど、その割にしては随分と長く持たせてますけど、なんででしょうかねぇ…。整備士が優秀過ぎるのか?

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/08/09 19:05

A 回答 (6件)

こんばんは。



1段落とし窓自体は昔は多くありましたが、現役で最古参は阪堺電車のモ161形。
最近まで残るのは南海電車になります。

1954年製造初年の11001系、1958年製造初年のズームカー21001系辺りから続いています。
現役だと6100形(現在6300形)、7100形など。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

あと、近鉄6800系ラビットカーなんかも該当しますよね。

お礼日時:2023/08/10 05:23

こんばんは、No.4です。



>関西ほどに、落とし窓を採用する文化が【お盛ん】ですね。南海の他に、阪急や近鉄とかも鉄製車体に落とし窓だし。
メンテで苦労するとか言うけど、その割にしては随分と長く持たせてますけど、なんででしょうかねぇ…。整備士が優秀過ぎるのか?

1段下降窓は雨水が溜まりやすく、車体を腐らせやすいのですが、

▪️腐ったら腐ったでその部分を切断して、新しい鉄板を溶接すれば良い。
▪️しかしながら、それだと入場して整備し終わって営業線に戻るまで時間が掛かる。
▪️1960年代は旅客急増でとにかく車両が必要な時期でした。首都圏だと関西以上に長編成化が急速に進行し、そんな整備時間が確保できなかった。

整備担当が優秀すぎるとか、そういう理由ではありません。
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近鉄は、ズームカーより1年早い1957年に登場したラビットカー6800系から、一段下降窓が標準になりました。


それまではストッパー(正式名称は窓戸錠)の付いた2段窓がどの鉄道でも標準でしたが、窓を開けるのを二人がかり(あるいは強引に隣の人の背中越しに身を乗り出す)でやる必要があり非常に不便でしたし、ストッパーを外した瞬間に窓が急に落下して、指を挟む人も多かったようです。デザイン的にも窓周りが非常にスッキリして、ロングシートでは頭を寝かせてもストッパーが当たらず痛くない等、利点だらけで、昭和30年代から急激に普及しました。関西の私鉄に多かったのは、競争が激しく、それだけ乗客サービスに敏感だったからだと思われます。
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かなり昔、とは言いづらいかもしれませんが、京王の6000系や、東急の8000系列は昭和40年代登場でそのときから一段下降窓ですね。



京王6000系は鋼製車ですから、排水については苦労したと思われます。


> 変わった例として、相鉄の7000系は一段下降窓で、ボタンで動作するパワーウィンドウでした。

実は7000系が最初では無くて、旧型車の足回りに新造のアルミ車体を載せて更新した2100系の2本目以降からです。
電動や空気圧式では無くて油圧式だったので開閉ボタンは重く、座席に座ったまま腕を伸ばしての操作はとても無理でした。

その後8000系、9000系には引き継がれて、この2形式は健在ですが、JRのOEMでもある10000系以降は採用されませんでした。
この回答への補足あり
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木造車の時代には結構使われていました。

そのころの窓は下に引っ掛けがあるだけでそれを外して一気に下げるものでした。これは、窓止め金具が不要で簡単な構造なので、路面電車も含め、かなりつかわれました。

一段窓は客車では上昇、電車では下降が多かったのは、幕板の幅が一つの理由です、電車はパンタ設置の関係で深い屋根にできず、幕板が狭く、この部分に収納する一段上昇では全開幅できなかったからで、幅のある腰板に収納できる一段下降が多かったのです。
その後、、バランサーがついて自由な位置で停止できるようになって現在に至ります。
なお、一段下降は窓収納部の排水に難点があり、戸袋と同様、メンテナンスに手間がかかります。

変わった例として、相鉄の7000系は一段下降窓で、ボタンで動作するパワーウィンドウでした。
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阪急電鉄が一段下降窓を初めて採用したことは有名ですが、他の鉄道会社でも昔から伝統的に落とし窓を採用している例があります。



その中で、京阪電気鉄道が一段下降窓を長く採用し続けていることが知られています。京阪電気鉄道は、大阪と京都を結ぶ路線である京阪本線を運営しており、昔から車両に一段下降窓を備えています。

これらの鉄道会社は、一段下降窓を採用し続けることで、乗客の利便性や快適性を考慮しています。ただし、鉄道車両の更新や改良によって窓の形式が変わることもありますので、最新の情報を確認することが大切です。
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この回答へのお礼

関東を見ると、東急では1967年の7200系以来、かれこれ56ヶ年も伝統的に落とし窓を採用してるんですよね。
あ、関西でだいぶ昔からと言うなら、近鉄や南海のほうも随分長く伝統的に採用してますよね。

お礼日時:2023/08/09 12:14

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