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なぜヨーロッパの主要駅は、日本でいうJR高松駅を大規模に豪華絢爛にしたような感じの建物になっていて、全ての路線がそこで終点みたいな作りにしているのですか??

通過できるようにして各都市を繋いでいった方が、貨物列車や超特急クラスだと通過もできるし効率的ではありませんか?

ヨーロッパ鉄道の経緯というか歴史的側面が知りたいです。

A 回答 (5件)

#1さんの指摘の通り、なんでヨーロッパの駅はTerminal(終端)なのか?ということだと思います。



理由をごく簡単にいうと「元々が城壁都市だから」です。
城壁都市というのは、特にヨーロッパの城壁都市というのは、中心部に大きな聖堂か王宮があり、その前に市民広場があって、さらにその周りを商業地やマンションが立ち並んでいて、さらにいえば、これらの建物は築300年ぐらいの文化遺産だったりもします。

ヨーロッパの年は何世紀にも渡る都市計画で作られていて、内部の改装はできても外壁はいじれないし、建て替えなんて全くできない都市も結構多いわけです。

また、鉄道が発達し始めた初期は当然ながら「都市~都市への移動手段・貨物運搬手段」でした。都市内の移動はすでに発達した馬車移動でよかったし、のちにそれが自動車やバスで代替えすれば十分に機能したわけです。

なので、東京のような形で「地上に路線を引く」ということはかなり難しく、長距離ターミナル駅とターミナル駅をつなぐ路線は地下鉄が担うようになっていきました。

 パリやロンドンは20世紀初頭、まだ蒸気機関の頃から地下鉄を作っていて、これは土地収用して建物を潰して路線を通すことができなかったからです。
そのため地上駅になっている長距離用のTerminal駅は路線的にはそこで終わり、担ってしまったのです。


また、ヨーロッパの駅:Terminalは《国やその都市の威信をかけた豪華絢爛な作り》にして、他の都市や国家と競争するのが普通でした。

 これはそもそも城壁都市同士が、都市計画を作る際に豪華絢爛になるように作って、国家の威信を競い合っていた価値観そのものだったのです。なので、教会の聖堂を豪華絢爛にするのと同じように、駅も豪華絢爛にしたのです。

翻って日本の場合ですが、日本には城壁都市がないこと、そして街道沿いに宿場町が合ったことが鉄道の発展に大きく寄与しています。

とはいえ、日本も宿場町のど真ん中に鉄道路線を入れることはできず、明治・大正の時代は町の外れに駅を作っていました。今駅周辺が栄えているとしても、100年ぐらい前は森や田んぼだった場所も多いのです。

東京に関して言えば、最初はTerminal駅でした。上野・新橋・両国・新宿がTerminal駅で、これらを相互につなぐ路線は最初存在しませんでした。

ところが日本には馬車がありませんでしたから、バスができる前だと、路面電車か人力車しか移動する手段がなく、その結果「Terminal同士を結ぶ路線が必要」ということになり、今の山手線と中央線(新宿-東京間)が作られることになったのです。

これが日本にTerminal駅が無いように見える一番大きな理由ですが、今でも特急は新宿や上野発があり、それらがTerminal駅だった名残になっています。

また、歴史的に面白いのは「山手線の新橋-上野間が開通したのはかなり後」という点です。

山手線の最初の路線は上野ー巣鴨ー池袋ー新宿ー渋谷ー品川ー新橋という形で、この形で開通したのが明治36年(1903)、新橋-上野間が開通したのが大正14年(1925)です。

要するに新橋駅から上野駅までの区間に路線を引くことができず、Terminalである新橋駅・新宿駅・上野駅は何とかつないでいたのが山手線だったのです(ちなみに山の手とは、九段坂を上がった靖国神社よりも西側の「山手」を通る路線で、まさにこれが山手線でした)

なんで、新橋ー上野間がつながっていなかったかというと、戦前の大歓楽街であった浅草や、商業の街が新橋ー上野間にたくさんあり、その間を路面電車と人力車がたくさん往復していたからです。

なので、新橋駅から上野駅に移動したい人、またはその逆は路面電車か人力車で移動でき、また地方からやってくる人は新橋駅か上野駅に降りれば、大体目的の会社まで歩いて行けたので、土地収用への反対がものすごく大きかったのです。

ちなみに、新橋から上野に山手線の線路がない、ということは東京駅もなかった、ということになります。

ある意味「日本には《全ての路線がそこで終点みたいな作り》の駅がない」というのは東京駅を手本にしたからかもしれません。

東京駅はそもそも「新橋と上野をつなぐ路線」の途中駅であり、皇居の目の前に駅を作りたかったから「日本の威信をかけた豪華絢爛な駅」として作られたわけです。

この駅は終端駅ではなかったことが、のちの日本の鉄道駅が「行き止まりにしなくていい」と思うようになった発端かもしれません。
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ドイツの高速列車は比較的、各都市を結び、その上、主要空港であるフランクフルト空港にもつながっているので日本よりは便利だと思います。

日本は羽田につなげようとしているので、その点はドイツよりは遅れているかもしれません。

回答に一番ちかいのは
日本の場合は大都市で私鉄各社の終点駅がありますから、そこは欧州と似ているかもしれません。
東京の小田急や京王線は新宿発ですが、近年は一部は地下鉄経由で千代田区等に乗り入れています。

他社への乗り入れは欧州のオリエントエキスプレスが国ごとにつなげていたので、ある意味欧州が先にやっていたような事かもしれません。
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日本でも上野発の宇都宮線等を東京駅まで持ってきたのは比較的最近ですね。



欧州は例えば、ユーロスターはロンドン、パリ、ブリュッセル、アムステルダム等数か国の首都に行けますから、ある意味日本以上でしょう。
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ウィキに詳しい説明がありますね。



頭端式ホーム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%AD%E7%AB%AF …
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>全ての路線がそこで終点みたいな作りにしているのですか??



StationではなくTerminalということへの疑問ですね。
これは想像ですが、①都市の中に鉄道を通したくない、②放射線状にする(ロータリーなんかも)のは、ローマからの彼らの伝統、ではないかと思っています。

①は結構顕著で、今でこそ地下鉄網がありますが、その前はトラム、その前は馬車でした。欧州かぶれ著しいバンコクなんかでも、似た傾向でターミナル構造、バスが市内の大動脈でしたが、歴史を遡れば市内の電気鉄道、馬車なんて時代があり、今はLRT相当の高架鉄道と地下鉄です。

>通過できるようにして各都市を繋いでいった方が、貨物列車や超特急クラスだと通過もできるし効率的ではありませんか?

ブリュッセル(ブラッセル)などのような通り道はそうですね。リエージュ(リュイック)なんかもそう。でも、そういった例は多くありません。
軍事的には鉄路兵站として使い易い構造です。そういったことがStation構造忌避の背景なんじゃないかなと思っています。

何にせよ、私はこういった点には詳しくないので、全て想像です。鉄道に詳しい人はここにも山ほどいるので、正解をいただけるのではないかと。
枯れ木も山の賑わい的なもので、すいません。
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