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They sat at the rear, behind the musicians, opposite Karajan and the hundreds of dim faces bobbing in the audience.


ですが、

(彼らは後部座席、楽団のうしろで、カラヤンや薄暗く顔が見える数百人の聴衆の反対側に座っていた)だと思い、

たとえば、「愛知県芸術劇場」の座席図でいったら、2階Pのブロックかなと思うのですが、

https://www-stage.aac.pref.aichi.jp/facility/con …


2階Pのブロックも「後部座席」というのかな?といまいち自分の解釈に確信が持てず、質問させていただきました。

質問者からの補足コメント

  • 「ウィンヤード型」っていうんですね。ひとつ賢くなりました。この言葉、覚えておこうと思います。

    あと、質問をする時に申し上げなくてすみません…。この大学というのが、Berlin University of the Arts で、ホームページを見ても、この大学のコンサートホールがどういう形式なのかよく分からなかったのですが、おそらくヴィンヤード型なのだと思います。

    https://www.udk-berlin.de/en/service/udk-berlin- …

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/04 23:38
  • すみません。タイプミスをしてしまいました。「ヴィンヤード」ですね。vineyard"ブドウ畑(園)”に似てるからですね。

      補足日時:2023/09/05 01:33
  • Karajan glanced at her. Fujiko couldn’t believe it. There, he did it again; the great Karajan was actually looking at her! Fujiko’s face burned and she averted her eyes.

    当該箇所のまわりの文章で制限字数をオーバーするのでこれだけしか載せられませんが、「カラヤンが彼女をちらりと見た。フジコは信じられなかった。そこで、また彼は同じことをした。現に、あの偉大なカラヤンが彼女を見ているのだ! フジコは顔を真っ赤にして、視線をそらした」とあるので、やはり指揮者と向き合うP席にまちがいないと思います。

      補足日時:2023/09/05 15:15
  • プロの翻訳者だったら、問い合わせるんでしょうね…。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/05 15:49
  • Quokkaさま

    ありがとうございます。おっしゃるように、Press Office に問い合わせてみます。(英語でいいのかなあ…)

      補足日時:2023/09/05 15:57

A 回答 (9件)

「ステージ後部座席」でよいと思います。

ホールによって名前は違うようです。ベルリンフィルのハーモニーホールはヴィンヤード型と言われ、ホール全体の中心に指揮者が立つような設計だそうです。そして、ステージの周りを客席が囲む。
ご指摘の2階Pでしょうね。
この座席(聴衆)ー楽団員ーカラヤンー1階座席(平土間、聴衆)という位置関係です。
聴衆が2つに分かれているわけですね。
原文の opposite は「カラヤンと平土間の聴衆」に対面しているということでしょう。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

早々にご丁寧なご回答をいただき、誠にありがとうございます。

質問文で申し上げるのを忘れたんですが、

当該箇所の前の文章が、

When the orchestra performed at the university, students, admitted free, clambered for the best seats.

なのです。
「その楽団が大学で公演をする時は、入場料が無料の学生は(指定席のない学生は)、一番いい席を取り合った。」という意味だと思いますが、なぜ、動詞は "clambered" なのかと思っていましたが、おそらく2階Pにあたるブロック(山のようになっているブロック)の上の方の席を取ろうと競い合ったから、"clamber" を使ったんでしょうね。

お礼日時:2023/09/04 23:30

面白いですが、あとは確認だけですね。


いろいろ想像はできますが、真実はわかりません。

ちなみにP座席の「P」はPodium とか。一段高く作った場所だそうな。演説台や指揮台もそうですね。
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この回答へのお礼

こちらの質問が強制的に締め切られる(質問から1週間が経過したら、強制的に締め切られるのです)前に、ベルリン芸術大学からご返信をいただきましたら、「補足欄」にてご報告をさせていただきますね。

ところで、こちらに質問後、「このブロックの席は何というんだろう?」と思い「建築学」のカテで質問をさせていただきました。「P席」で由来が「ポディアム」ということも教えていただきました。

お礼日時:2023/09/06 13:08

No.6です。



たぶん、こうです。

1961年当時はヴィンヤード型の
コンサートホールは存在しません。
最初のヴィンヤード型コンサートホールは
1963年のベルリン・フィルハーモニーです。
・ヴィンヤード型
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3 …

以下のことはわたしの推測ですが、
フジコ・ヘミングさんが座ったのは
臨時の「Pブロック」の席だろうと
いうことです。
カラヤンといえば、世界的指揮者、
その演奏を少しでも多くの人、学生に
聞かせるため、ステージのうしろの
スペースに椅子を並べて
急ごしらえの臨時の席を作ったのではないか、
と思いました。

No.2さんのリンクの最後に
こう書かれています。
> As part of the donation drive in connection
>with the Concert Hall’s 50th anniversary in 2003,
>a proposal was considered to change the name to
>“Karajan Concert Hall.”
>This idea was rejected, however,
>and will not be pursued further.

1961年のコンサートは
(その後もカラヤンのコンサートは
あったかもしれませんが)
たぶん大学のコンサートホールの歴史の
なかでも特別なコンサートだったのでしょう。

というわけで、
ステージ背後の臨時の席、
と考えるのが妥当ではないかと
思った次第です。

Kyoto Journal のリンクの英文を拝見しましたが、
これは2冊の本をもとにまとめられたもの
とあり、書名が書かれています。
ですから、そこで挙げられている
『フジ子・ヘミング魂のピアニスト』求龍堂(2000年)
のち新潮文庫

『フジ子・ヘミング運命の力』
阪急コミュニケーションズ(TBSブリタニカ、2001年)
の2冊を読めばはっきりしたことが
わかるかもしれません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8 …
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この回答へのお礼

色々検索していただいて、本当にありがとうございます ((*_ _))

すみません。フジコさんは1961年にドイツ留学しましたが、カラヤンのコンサートを聞いたのは、1961年ではないかもしれません。

私の推測ですが、コンサートがあったのは「大学」ではなく、ベルリン・フィルハーモニーのホールに学生が招待されたんじゃないかと思うんです。

「大学で」というのは、ライターの間違いか、フジコさんの記憶違いじゃないかなと思います。

実は、勉強用に、この記事を日本語訳しているため、参考資料になった本2冊は、全訳が仕上がってから読もうと思っています(あらかじめ読んでしまったら、元の文章にとらわれてしまいそうですし、その方が英語読解の勉強にもなるかなと思い... )

「大学で」か、「ベルリンフィルのホールで」か、はっきりさせるために、返事をいただけるかどうかは分かりませんが、ベルリン芸術大学に、以前のホール(1960年代)がどんな形をしていたか聞いてみようと思います。(ただ、ヴィンヤード型だったホールを改築して、シューボックス型に変えたとは思えないし、1995年に改築されたなら、旧ホールは1960年以前に作られたのでは?と思います。(できて30年足らずで大々的改築するとは思えませんし。) ウィキペディアによると1963年のベルリンフィルのホールが最初のようですから、やはりベルリン芸術大学の前のホールはヴィンヤード型ではなかったのでは?と思います。

お礼日時:2023/09/05 20:40

No.5さんへの御礼コメントの中にURLがありました。

そこでやっと内容がつかめてきました。バーンスタインとのエピソードもあるのですね。
フジコ・ヘミングの伝記でしたか。1961年なら、内部の改築はあり得ますね。初めてカラヤンと同じ場でしかも眼が合った(?)時の感激なのですね。(実は私もカラヤンの指揮を、すぐ近くで見た経験があります。1966年でしたが、ベルリンフィルの日本公演でした。彼はザルツブルクの墓地で眠っています。そこまで行ったら、カラヤンとソニーの大賀さんの二人の胸像が並んで建っていました。)
No.3/5さんのご調査のおかげで、かなり分かって来ましたが、ホールの解説で、seating (座席)の変更もあったとされています。1960年代にはどうだったのでしょうか。指揮者から見て、オケの後ろか脇にフジコが座ったのでしょうね。伝記ではカラヤンが退場するする時に、楽員の間を縫うように歩くという記述もあります。そこで、フジコの傍まで来て目が合ったとありますね。
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この回答へのお礼

再度、ご回答をありがとうございます。

カラヤンを至近距離でご覧になったなんて、すごいですね!

私は’98年?、チョムスキーが来日した時に、講演会場の前の席に座って、チョムスキーと目が合って感激したことがありました。(話の内容はすっかり忘れてしまいましたが…(;^_^A

お礼日時:2023/09/05 20:20

No.5です。



仕事ではないのなら、
問い合わせの必要はありませんね。
ただ、個人的に
どうだったのか、ちょっと気にはなります。

元本の2冊は読まれたのですか。
機会があれば、読んでみようと思いました。
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この回答へのお礼

再度、ご回答をありがとうございます。

今回は英語と翻訳の勉強のために日本語訳を始めたので、元の2冊はまだ読んでいません。訳す前に読んでしまうと、どうしても元の文章がちらついてしまいますし、全訳が仕上がってから、答え合わせではありませんが、確認のために読もうと思っています。

質問させていただいた部分については、ホールはヴィンテージ型で間違いないと思うのですが、そのコンサートが「大学」であったというのを疑問に思い始めました。学生たちはチケットが無料で、P席に座ったということが書かれていますが、大学のホールだったら基本的に聴衆は学生で、P席にしか座れない(もちろんチケットを購入したらいい席に座れると思いますが)ということを不自然に思えてきました。もしかして、ベルリンフィルのコンサートホールではないかと思い始めました。(ベルリンフィルのコンサートホールに音大の学生が招待されたんじゃないかなと)

この英文には、時々、間違いなのでは?と思う記述があります。

例えば、フジコの母は、戦時中、外国人と結婚していた(その頃は夫と別居していましたが)という理由で、「憲兵隊」に目を付けられていたという記述があるのですが、これは「特高警察」の間違いだと思うのです。

ですので、「大学でベルリンフィルが公演をした時」というのも、別のホールだった可能性もあると思います。

それをはっきりさせる意味でも、やはりご提案いただいたように、大学に問い合わせをしてみようと思います。

お礼日時:2023/09/05 18:44

No.4です。



仕事の翻訳ですか。
わたしだったら、大学に問い合わせます。
英語で充分です。
1961年当時、舞台のうしろに席があったか、
訊くだけではありませんか。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

再度、ありがとうございます。

仕事ではないです。ひまな時間に、趣味で、この文章の日本語訳を始めただけです(^▽^;)

https://www.kyotojournal.org/culture-arts/the-si …

お礼日時:2023/09/05 15:48

No.3です。



リノヴェーションはされていますが
...a historical monument in 1995.
とあるので、大きくは変えていないと思います。

>With its glass-enclosed foyer and crisp,
>clear lines, the UdK Concert Hall is
>considered an outstanding example of
>the Berlin architectural style of the 1950’s.
>The building, designed by architect
>Paul Gotthilf Reinhold Baumgarten in 1954,
>was classified as a historical monument in 1995.

>A few years ago, the UdK Concert Hall
>was extensively renovated,

No.2さんのリンクを開き、
右上の 'EN' をクリックして
英語表記に変え、
第2、第3パラグラフをご覧ください。
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この回答へのお礼

再度、ご回答をありがとうございます。

本当ですね。
"EN" をクリックしたら、英語表記になりますね。

お礼日時:2023/09/05 15:53

質問者さんの解釈で正しいと思います。


ただ「反対側に」よりも
「向き合う」「向かい合う」のほうがいいと思います。
ステージの背部席、と言えるかもしれないと
思いました。

ところが、写真と矛盾します。
わたしにはわけがわかりません。

いくつか写真を見つけました。
どう見ても、シューボックス型ですね。

こちらには5枚の写真があります。
写真横の <>を使ってご覧ください。
https://www.udk-berlin.de/service/vermietungen/k …

こちらにはページ中央あたりに
舞台にオーケストラ、
客席に客がいる写真があります。
オーケストラのうしろに客はいません。
席もありません。
https://comunicazionelettereparole.blogspot.com/ …

おまけの写真
https://mollakustik.de/referenzen/konzertsaal-de …
https://sattler-lighting.com/en/object/udk-berlin/

サントリーホールもヴィンヤード型ですが
座席表を見ると、愛知県芸術劇場とおなじく
「Pブロック」になっています。
日本ではこう表記するのでしょうが、
ピンときませんね。
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/seat/
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この回答へのお礼

たくさん検索をしてくださって、本当にありがとうございます。
頭が下がります…。

実は、この文章は、フジコ・ヘミングの伝記なのですが、フジコさんは1961年からベルリン芸術大学しました。

いくら英文を読み返しても、やはり#1のご回答でいただいたヴィンヤード型のP席(というんですね。この部分なんというんだろう?と思い、「建築学」のカテゴリーで質問させていただき教えていただきました)としか、考えられないです。

写真を見たら、比較的新しい建物のようなので、もしかしたら建て替わったのかもしれません。

本当だったら。ベルリン芸術大学に、今のコンサートホールはいつ建てられたのか? そして、もし建て替わったのなら、1961年当時のホールはどんな型だったのか問い合わせるのが一番なのですが、ドイツ語力に自信がないため、かつてはヴィンヤード型だったと思うことにいたします(^^ゞ

お礼日時:2023/09/05 15:00

ホールの写真らしいのがあります。


https://www.udk-berlin.de/universitaet/veranstal …
このホールだと、シューボックス型のようです。写真では、オケの後方がどうなっているか見えません。
推測ですが、この種の座席は、スペースが狭いので、傾斜が急になりがちです。そこでよじ登る(clamber)と表現したのかも知れませんね。
こういう座席は、演奏中も明るいのですが、一般の座席(指揮者の背後)の方は演奏中は薄暗いのが普通ですね。
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この回答へのお礼

わざわざ検索していただき、誠にありがとうございます。

すみません…。また、先に言えばよかったのですが、質問の文章は「フジコ・ヘミング」さんの伝記からで、フジコさんがベルリン芸術大学へ留学したのは1961年でした。なので、もしかしたら、それからホールが建て替わったのかもしれません。

その後も繰り返し英文を読みましたが、ヴィンヤード型のホールの出演者の後ろの席(そういう意味で rear を使ったのかもしれません)としか考えられないです。

お礼日時:2023/09/05 14:11

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