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問題:私は鳥のように_____いい。
A飛べれば B飛べたら C飛べるなら D飛べると

AとBはどちらが一番適切なのか、違いはなんでしょうか、教えていただければ助かります、よろしくお願いします

質問者からの補足コメント

  • 皆さんのご熱心な説明をいただき、大体わかりました、誠にありがとうございました

      補足日時:2023/10/14 22:43

A 回答 (11件中1~10件)

たら、れば。


現実にどんな使われ方・・を考えれば。
たら
「そうであったら」「・・・したら」・・・。
まず「ある」、「する」が前提です、しかも過去形表現で、「たら」の「た」は過去形の「た」、過去は変えられませんね、既定の事実と言われます、そんな表現なんです。
れば
「そうすれば」「そうであれば」・・・・。
「たら」同様に「する」「ある」が前提です、ただし規定事実化?はしていません、現在形表現。
飛べるなら
対比 飛ぶことができるなら(できる≒する)
飛べる→単純な描写の表現でいくらでもあり得る表現、でそう仮定するだけ?。
飛べると、上記同様ある状態の単純描写、現実には飛べないであろう。。だが、飛べると仮定すれば、何があり得るか、空想は自由、その中で、現実思考とわずかでもつながりそうなものを探す、これが仮定法?。

表現者が、「ある」「する」について表現の中だけの問題だが、どこまで規定事実化するかで、願望?希望、の強さが相手に伝わります。
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これは問題になっていません。

いくら考えても正解はないはずです。

 質問の内容を確認します。
1)AとBはどちらが一番適切なのか
 なぜCDを外したのでしょうか。当方はA〜Dのどれも間違いではないと思います。ただ、どれも「私は」があると少し不自然に感じます。

2)どれが「一番適切か」
 誰もわからないと思います。考え方次第でしょう。どうしてもひとつ選べ、ということなら「B飛べたら」を選びます。4つのなかで一番汎用性があるからです。

3)違いはなんでしょうか
 これは大変な話になります。当方は、「C飛べるなら」は少し異質な気がします。ほかの3つは同じようなものでは。

 ネット検索すると、下記がヒットしました。
https://ja.hinative.com/questions/15825661
===========引用開始
うーん、「私は」はないほうが自然な文になります。
それから()にBを入れるべきです。
===========引用終了
 基本的に賛成です。

 詳しくは下記をご参照ください。
【「と」「ば」「なら」「たら」の使い分け】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12227801747.html
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微妙なニュアンスの違いなので、主体となる存在である言葉を放つ人や表現しようとする人の気持ちや置かれた状況などによって変わると思います。


その気持ちや感覚、状況にどれだけ近いかによって、適切な言葉はそれぞれに変わると思います。
言葉や表現を選ぶ主体性はそうしたところに存在するのではないかと思います。
私個人の感覚から言えばそれぞれ次のような感じを表わそうとするときに選ぶと思います。
A:出来れいいというような投げやり的な感じ
B:もし出来るならいいというような希望的・理想像的な感じ
C:可能性・仮定といった例え話的な感じ
D:簡潔さや、あっさりした感じを表わす表現
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NO7追記


所詮「たら・れば」がつく話に過ぎないと言う言葉もあります。
れば、そうではないが前提なので願望がこもります。
明らかな仮定なら目くじら立てる必要ありません、数学なんかの仮定法の説明でも「たら・れば」は使われるのかな?。
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れば、そうではない、と比較


たら、強い願望
なら、仮定
と、可能性を期待しない仮定
したがって、この内容のみでは、一番適切・・はあり得ません。
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もっとも自然なのは、Dだと、私は感じます。



https://yousei.arc-academy.net/manbow/index.php/ …
「が」「は」の使い分け。
「は」 「私は」 既知なので「は」を付けて表す。
       判断の「主格」であることを示す。
       「いい」の判断や感じ方の主格が「私」であることを示す。
       鳥のように飛べるvs鳥のようには飛べないの「対比」で判断
「と」 (話す聞く思う感じる考えるなど発話・思考を現す動詞と共に使って)
   その発話や思考の内容であることを示す。

私は鳥のように飛べるといい     (「と」を使用している)

私は鳥のように飛べればいいと思う  (「と」を使用している)
私は鳥のように飛べたらいいと思う  (「と」を使用している)
私は鳥のように飛べるならいいと思う (「と」を使用している)

「は」を使用して、判断や感じ方を述べるのであれば、「と」を使う方が文章としての完成度が高くなる。
「と」を使わないで、判断や感じ方を述べると、「省略法や未決法のような修辞」になる。 

「私は」の部分がないのであれば、「鳥のように飛べればいい」「鳥のように飛べるといい」のどれでも同程度に普通です。
「鳥のように飛べるならいい」は、意味が若干違っていて、「鳥のようには飛べないので」という辛さのような感じが色濃く感じることもあります。
「鳥のように飛べたらいい」も、飛べないけれどという意識を抱えての表現ですが、「なら」に比較すると、残念さ辛さの感じは薄いように思います。
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>>「お金があれば...」みたいな文の「ば」は現実の仮定ではないようだと思っていますが、



ここで現実というのは、実際にお金があると仮定し次の思考に進むということで、「お金があったら」は「お金がある」と想定した観念的な世界へ移行したまま次の思考に進むという話者の観念的な立場の相違のことです。

「ば」の場合、話者は仮定、想定の世界へ一旦観念的に移行しますが即現実に移行し次の思考に進みます。

「たら」の場合は仮定、想定の観念的な世界に移行したまま次の思考に進みます。このような観念的な想定の世界で思考するため反実仮想と呼んでいます。

大学を出れば大企業に簡単に就職できるのだが。
大学を出たら大企業に就職し世界で活躍したい。

のようになります。

助詞「と」の場合も、

 真っすぐ行くとT字路に突き当たります。

では、話者は観念的に行っています。

 真っすぐ行けばT字路があります。

では、話者は観念的に現実の場に戻っています。

「たら」「れば」「と」はこのように話者の観念的な運動が異なり、聞き手もそれを追体験することになります。■
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歴史に絡んで「たられば話」という言葉があります。

もし信長が本能寺で死ななかったらと事実に反する想像を前提とする話ですね。

実際は飛べないがもし飛べたらと想像する場合。
A飛べれば B飛べたら

絶対に飛べないということは無いのだからと、飛ぶ自分を想像する場合。
C飛べるなら D飛べると
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問題の文章がこの通り、「私は」で始まって「いい。

」で終わってるのでしたら、すごく中途半端な文章です。

A〜Dのどれも通じると言えば通じますが、どれも不自然です。
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「私は~いい」という曖昧な(適切でない)構文を許すのであれば、A~Dのどれが適切かなんて論ずることにもはや意味はありません。



I'm ~ good.をI want ~.の意味だと幅広く解釈することを求めるのであれば、can fly/could fly/if fly/in case flyでも、どれでも日本語ネイティブには「通じることは通じます」。
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