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例えば死は誰にでもあるじゃない?
死んだ後なんか誰にもわからないじゃない?
ただ死後の世界には興味があって
自分のいたい世界で無限にいたいなと思うな
でもそんな事ないんだろうな餓鬼道
や、畜生道
修羅道
俺らみたいな奴らはこんなところに行くのかな?

質問者からの補足コメント

  • 事故とか、事件殺人とかで亡くなった人は転生するのが早いじゃん?
    12年やそこらで転生するじゃん人間に
    寿命で亡くなった人はどうなるのか知りたい

      補足日時:2023/10/31 01:34

A 回答 (6件)

苦しめた人がいるなら、


行くのも道。

悔やまれた人なら天国かな。
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No3 tanzou2さんのおっしゃるとおりですよ。


(さすがSランク常連の人です)

そもそも、人間の心は脳細胞のネットワークによってつくられています。
死ねば脳細胞が死滅しネットワークが崩壊するため心もなくなります。

心って物質とは別のようですが物質におおきく依存しているのですよ。
脳の特定の部位を刺激すれば怒り、特定の部位を刺激すれば怖れます。
ドーパミンが分泌されれば快感を感じます。また、脳の一部が破壊されたことにより性格が変わる場合もあります。

心ってかなりあやふやなものです。

補足すればtanzou2さんのおっしゃるように釈迦は死後の世界など説いていません。以下初期に成立した経典から引用します。

[世界は常住かどうか、霊魂と身体とは一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、などのような種類の問い]に対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。それは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。
(マッジマニカーヤ 中部経典72)
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この回答へのお礼

貴方はスウェーデンボルクという神秘主義思想の偉人をご存知ですか?10日間あの世を巡った18世紀にいたであろうキリスト教信者があの世のことを書いてあったので私は信じるも何も無いですがもしもあの世があるならばいいなと思うだけですね

お礼日時:2023/10/30 23:01

そう言う事は、あまり深く考えない方が良い、と言う人と


死の問題を避けて通るな、と言う人がいる

俺は、死の問題は一番大事な問題だと思うが、
浅い知識しかないので、餓鬼道や、畜生道、修羅道ぐらいしか
思いつかない。
哲学や宗教に、様々な答えがある。

人間は死によって、人間は己の有限性に気づかされる事になります。
どんなに無限の『富』や『権力』を手にした人間であっても、
いつかは死ぬという定めからは、絶対に逃れることはできません。
この有限性を自覚し、死の恐怖や不安を克服するために、
人間は何らかの永遠性に参画し、動物的本能の生き方を超えて、
一個の人格となることができました。
宗教が人類史とともに古いゆえんであります
人間の有限性。人間は必ず死ぬ。そうした問題は
永遠性の認識なくしては思考し得ない、まさに人類の歴史とともに
宗教は始まったというのです。

様々な宗教が死を説いているが、
みな不正確な生命観であるので、こんな観念論的な、
論理的、科学的、整合性がない子供だましのようなのは信じられない
しかし、仏教の生死観だけは違う

大乗仏教においては
、“生死不二” といって、生と死という時間・空間次元の現象は、
時・空を超えた実在である生命の、二つの異なった顕われ方である
と説いています。
個々の生命体は、生命が顕在化した状態であり、死とはその生命が
“冥伏” した状態です。 冥伏とは無に帰することではありません。
 さきほどから私が提起してきた “空” の概念は、
目には見えなくとも厳然と実在する、
有無のいずれか一方に決めることのできない概念です。
これに対して、現実にさまざまな個別の姿をとって現れてくる姿を
“仮(け)” と名づけています。 身心統一体としての生とは、
この“仮,の姿であり、しかもそのなかに“空”をはらんでいます。
死後の生命は “空” として実在しながら、そのなかに
“仮” の傾向性、方向性をはらんでいます。
そして、この “空” と “仮” を貫く生命の本質を
“中” と呼んでいます。
あるときは顕在、あるときは冥伏という姿をとりつつも、
無限に持続していく生命の本質ということです。
 この持続していく生命の本質とは、現代の哲学用語でいえば、
最も根本的な意味での “自我” という表現に通ずるものです。
さらに仏法では、この “空” と “仮” と “中” は
円融一体のものであって、それらを全体として統一的に
把握しなければならないと説いています。

因果応報、自業自得は科学です
輪廻転生は、道理です
色即是空 空即是空は量子論です
「空」の概念は、膨大な理論体系で示されています。
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例えば死は誰にでもあるじゃない?


 ↑
そうですね。



死んだ後なんか誰にもわからないじゃない?
 ↑
科学的に推論することは
可能です。
例えば、意識は、脳細胞がおりなすネットの
産物だ、ということになっていますから、
これが正しければ、死ねば意識も
なくなります。
あの世も魂も存在しません。



ただ死後の世界には興味があって
自分のいたい世界で無限にいたいなと思うな
でもそんな事ないんだろうな餓鬼道
や、畜生道
修羅道
俺らみたいな奴らはこんなところに行くのかな?
 ↑
お釈迦様は、天国地獄などには
一言も触れていません。
あんなのは、後世の人間が創り上げた
モノです。
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この回答へのお礼

一言も触れていないだけで
書物に書かれていないだけであるとしたら?
例えば釈迦の弟子が死後の世界の体験を出来ててただそれは容易にできて書物に書かなくて良いレベルだとしたら?
今の私たちは修行が足りないと思う現代社会に飲まれ

お礼日時:2023/10/28 12:37

死後の世界なんて無い。


電源OFFでデータ消えるのと変わらん。
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この回答へのお礼

宗教では今生きてる世界は修行で死後の世界は本番の世界という

お礼日時:2023/10/28 12:38

人間くらいですかね。

未来を考えたり死後を考えたりするのはw
おっしゃる通り、死んでも終わらないってなったら面倒ですわねw
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この回答へのお礼

同じことを思ってくれてありがとう
心が軽くなりました
生きていることは辛いですが
自殺する勇気もなんもないので
いまが幸せならそれでいいやと思う次第です
自殺はあの世では重罪ですので生きてください

お礼日時:2023/10/28 00:33

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