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関ヶ原の戦いにおいて小早川秀秋の寝返りをなんとなく
察知していた西軍はなぜ先に小早川を討っておかなかったのでしょうか。そんな時間がなかったという単純な問題でしょうか?

A 回答 (5件)

まだ諸説乱立していて統一できる状況にない。


どの説も決定打に欠けるということだろう。
決定打とはつまり「物証」。
有力な物証が発見されない限り、諸説乱立状況はこれからも続く。

つまり、この質問に確答できる証拠もない。
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可能性を疑っていたからこそ、大谷刑部の部隊が監視する位置にいました。


鉄砲隊を配置して、いざというときストップできるようにしてたみたいですが、止めきれませんでした。
2日目にいろいろ部隊の配置変えをすれば、問題なしと考えてたかも。まさか半日で終わるとは。。
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疑っていたのなら、あの位置で戦わせないし、疑っていたのなら、西軍の兵力がそもそも弱く見積もられるので、家康が城を空けている間に・・・という、戦いそのものが、あのタイミングでは起こらなかったかもしれません。



裏切りが、勝敗を決めたということは、事前には西軍は疑っておらず、だからこそ影響が大きかったとも言えます。一方で、東軍有利と見て、秀秋が寝返ったなら、そもそも、秀秋が裏切らなくても、結局は、どたばたして戦いが長引いても、東軍が勝ったという考えもできます。いずれにせよ、歴史は勝者の理屈で作られるので、真相はわかりませんが。
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この回答へのお礼

なるほど。。
歴史はどこまで本当でどこまでが事実と異なるのかわかりませんが、だけど知れば知るほど
面白いです!

ありがとうございました

お礼日時:2023/11/17 20:02

後日談としてはそういう物語(作り話)が色々あるが、事実としては疑っていなかった。

そういうことでしょう。

実際に、最近出たかなりの年数をかけたと云われる新説では、最初から裏切りを決めていた小早川秀秋が、西軍の本陣とされていた要地の松尾山に陣取り(本来は豊臣秀頼と毛利輝元が着陣するために用意されていたらしい)、合戦が始まるといきなり山を降って大谷刑部の陣を蹴散らしたため、瞬く間に西軍総崩れとなって東軍が完勝した。それが関ケ原の戦いの真実だと主張している。

この説には、異議・反論を唱える人もいるが、賛同する人も多い。

質問の説の通り、小早川が裏切るかもしれない何て思っていたら、西軍諸将は最低でも関ケ原で戦うことは避けていたでしょう。完全に自殺行為だ。
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この回答へのお礼

歴史は知れば知るほどおもしろいですが
事実ではないところもあるかも知れないと、思うと面白みに欠けますね笑

ありがとうございました。

お礼日時:2023/11/17 19:59

討ったとしても兵力は多いし、東軍から見たら結果が出るまで戦う必要が無い!ってことで楽に戦が出来たのでは と思う

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この回答へのお礼

ありがとうございました
勉強になります。

お礼日時:2023/11/17 19:57

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