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徳川家康は、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃五カ国から関東八州に転封された時に多くの金山を失いました。これは家康にとって大きな痛手でしたか?石高は、倍増したので大丈夫でしたか?教えて下さい。

A 回答 (2件)

面積で言えば、倍増どころが、桁違いに広い土地に移転です。


土地開発に成功した結果、徳川家の勢力も拡大しました。
当時は、米の石高が重視され、鉱山はそれほどの影響力はありませんでした。
鉱山の価値に注目されはじめたのは、関ヶ原以後、家康が鉱山のある地域を天領としてがっしり確保して以後です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2024/02/07 04:51

佐渡に新たに、相川金銀山が1601年(慶長6年)に開発され、江戸幕府の


屋台骨を支えました。
1989年(平成元年)に廃鉱になりました。
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1940年(昭和15年)には佐渡金銀山の歴史上最高となる年間約1,500 kg
の金と約25トンの銀を生産。
抽出出来ず、捨てられていた、岩石から金を抽出出来る技術が開発された
事によるもの様です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2024/02/07 04:51

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