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毛利秀元について知りたいのですが・・・
・どういう理由で関が原の戦いに参加したのか
・相手側の何を悪いと思っていたのか
余裕があれば、どのような考えを持っていたのか、それはどのような経験から生まれてきたのか、も知りたいです。
ご回答宜しくお願いいたします。

A 回答 (1件)

関ヶ原よりも、少し時代がさかのぼりますが、秀元の祖父である毛利元就は、吉川氏に次男の元春、小早川氏に三男の隆景を、養子として送り込んで、それぞれの勢力を吸収し、中国制覇を果たしています。

また、元就は、3人の息子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に三子教訓状という「3人で力を合わせて、毛利家を守り立てなさい」というような内容の文書を書いています。(※有名な「三本の矢」の逸話の元ネタです)その中の第六条に「この教えは、孫の代までも心にとめて守ってもらいたい。」と書かれているで、孫である秀元も、その影響を受けていたのではないかと思います。

秀元は、7歳の時に毛利本家の輝元の養子になりました。文禄の役では、病を患った養父の輝元に替わって朝鮮へ渡り、15歳で毛利軍の大将を務めています。慶長の役(第二次朝鮮出兵)でも、危機に瀕した加藤清正軍を救うなど活躍しています。毛利氏の総大将として、関ヶ原の戦いに参加したのは、22歳の時です。慶長の役前に、輝元に嫡子(のちの秀就)が誕生したので、毛利家後継者の座を辞退していますが、秀元の「毛利家の御家存続についての考え方」は、変わらなかったのではないでしょうか?関ヶ原での西軍への参加も、元養父の輝元が総大将を務めていますから、自然な時代の流れだったように感じられます。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。今後の学習に役立てていきたいと思います。
本当に有難うございました。

お礼日時:2009/12/06 16:15

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