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No.7
- 回答日時:
平安なのか鎌倉なのか戦国時代からなのかは別として、その地に住み着いた一族が繁栄して分家、分家と増えていけば、同じ庄に同じ家名の家が増えていくことになります。
概ね、明治以前からでしょう。No.6
- 回答日時:
まず明治になって苗字を付けたということはありません。
江戸時代でもみんな苗字を持っていました。ただし一般の農民は公的な場面で使ってはならなかたのです。例えば裁判とか。その証拠のひとつとして墓石には苗字が記してあることが多いですね。墓石に銘文が記されるようになるのは元禄頃(西暦1700年頃)以降ですが、見ることがあったら注意してみてください。ただ「俗名山田太郎」のように書かれるのではなく「俗名太郎」、改行して「山田姓」のように書かれることが多いように思います。
明治の初めに苗字必称令という法律が出ます。これで誰もが苗字を名乗るわけですが、中には本来の苗字が忘れられたり旧来の苗字を嫌う人もいたでしょう。このような人たちが新たな苗字を"作った"わけですが全体的には少数だと思います。
狭い地域に同姓の人が多いのは、やはり先祖が共通の場合が多いと思います。子孫や分家が増えていったものでしょう。ルーツが違う人が同じ苗字を名乗ることはほぼ無いと思います。
人口が増えてもその地域にある田んぼや畑は増えません。限度があります。食べられなくなった若い人が町へ出て行くのです。明治中頃から昭和初期にかけて、日本は海外進出を図ります。その理由として国内の田畑が足りなくなって食糧不足になるから、という人がいました。
No.4
- 回答日時:
元々血縁関係のある人達が集まり住んでいた地域ですね
明治以前も正式な名乗りをしていないだけで、それぞれの家では名字を持っていました
特に先祖代々暮らしている人達は祖先との繋がりという意味で同じ一族である証の名字を持っていましたよ
昔は二男三男も本家に住まうか、近隣に分家として住まうので
一族が一つの地域に集住するのは珍しい話ではありません
明治の戸籍制度が導入された際に、それまで非公式に名乗っていた名字を正式な姓として届け出ます
血縁関係の無い人が、同じ姓を名乗るのはあるかも知れませんが
必ずしもそればかりではないですね
No.2
- 回答日時:
苗字を付けるときにその地方に合わせたものを付けていることが多いです。
たまたま同じ苗字になったこともあるでしょうが、田舎で同じ苗字が並ぶ場合は祖先が同じ系統のケースが多いです。
隣近所が同じ苗字を付けるメリットはありませんからね。
本家から分化した子供達がまた分家を作り同じ地区に集まっている現象です。 昔はメインの仕事が農家なので親の土地を分けてもらって農家として続くのです。そのうち県外等の他地区の仕事を見つけて離れていくのです。
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