人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

例えば仮に日本の戦国時代にタイムマシーンでワープしたとします。
そこでそこら辺の通行人に、現在の標準語で話しかけて、会話したとします。
そしたら、相手に日本語は通じるのでしょうか?マジ、パネェ、ガチで、とかの完全な現代語は話さないとして。
例えば、
「今日はいい天気ですね」 「そうですね、昨日は雨だったけど、晴れてよかったなぁ」
とかまともに会話できるんでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (8件)

 ANo.3さんご紹介の録音は私たちの話し方と変わりませんね。



 質問は戦国時代ですね。
 その時代の発音や話し方を研究している人もいますよ。ある大学の教授ですが。
 その方は読経を材料にしています。そのほか国語学では何人かいますが、個人的に存じ上げていません。
 あと参考までにいうと、幕末の志士などは無論、剣術道場と言う議論の施設や場で長く居る人は通じ合えたが、そうでない人は通じなかったそうです。
 だから謡曲的に話し合ったそうです。
 山岡鉄太郎と西郷さんの会見はどんなだったでしょうね。まぁどちらも世間の広い人で、西郷さんも江戸に居た経験も豊富ですから。

 今も、近所の青森出身の方が郷里の方と話している内容は全くわかりません。日本語ではないような気にさえなります。

 ご近所のいろは四十八組の一番筒先の方に小学校の時に可愛がられました。
 お尻の割れ目とおちんちんを残して青と赤の彫り物(刺青は罪人にするもの)が鮮やかで、銭湯なんかうめていると、金魚がおよいでいらい。なんていってと水道を停めてしまう。
 舌使いや発音が違うので、同じことばでも慣れないとわからない。
 それが江戸職人のことばかもしれません。江戸の範囲も年々変わりましたが、地域と職業で言葉は全く違っていたのですね。

 戦災で浅草聖天町から隅田川や荒川などの川を越えたところにきて、子ども達の話し方はずいぶん違いました。
 無論気風も違います。
 学校に誘い合う呼び方だって、全く違う。
 ことばの変化は激しいものですね。戦国時代の日常言語の社会は私たちは入れないでしょう。
 古典の高座や芸能では何か偲べるでしょう。
 敗戦終戦後の映画を見ますと、昔の話し方が聞けてとても懐かしいですね。
 昔の世界、人間関係、そして生活が伝わってきます。
    • good
    • 7

まず無理でしょう。


あの時代の日本の言葉は、標準語など存在せず方言オンリーですから。

「山の手言葉」や「廓言葉」(遊郭で女郎達が使う「あちき、ありんす等」)が、なぜ出来たかというと、
地方出身者同士が意思疎通する為の共通言語として生まれたものです。

江戸時代、参勤交代で地方の武士達が江戸に出てくると言葉が通じない、特に、業務上、他の地方の武士達と会話するのに困る、というので、江戸目詰めの武士達の間で共通の言語が生まれました。
これが山の手言葉の原型です。
遊郭の廓言葉もこれと同じ。
遊郭には色々な地方から娘達が売られてきます。当然、他の地方出身者とは言葉が全然通じません。
そして、何よりもお客に田舎物丸出しだと分かるとまずいので、遊郭だけの言葉「廓言葉」が生まれました。

世の中が安定して地方との交流が始まった江戸時代でこのレベルですから、戦国時代なんかでは無理だと思います。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

やはりそうですよね!
よその国の言葉はほとんど外国語だったと言いますし。


ご回答ありがとうございます!!

お礼日時:2011/10/06 08:54

 文章や研究室、机での言語はともかく現実の言語というものは、場、主体、状況、そしてその主題や内容とそれらが存在し醸し出すリズムと諸条件というものを切り離しては存在できないものです。


 そこに存在する主格の心理や意識も重要なファクターです。
 一定の単語や言葉の概念を知っていたり、それらが共通している部分があっても現実のコミュニケーションがスムーズにいくには上記の事柄を度外視しては考えられません。
 そういうことが発声や語調、ないしは舌まわりや発音とかイントネーションに影響もしてきます。
 戦国時代の方とのそういう落差は以外に大きいから、単語が続いているとかいうことだけではコミュニケーションには相当の手間ひまが掛かるでしょうし、大勢や公衆的な場では無理があると存じます。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

やはり無理がある様ですね...。
ご回答ありがとうございます!!

お礼日時:2011/10/06 08:56

 言葉の共通性や存続性は文書うえではありますが、その実際の発音とイントネーション、そして発声は現代人には異人的でしょう。


 一定の条件下での交流を想定すればある程度は通じる可能性もありましょうが、実際の生活関係や生活現場ですんなりと通じる前に、不審で怪しげな存在者とされてしまう惧れがありましょう。
 器用で小細工のできるお利発な人柄なら、うまく入っていける可能性があるという程度の流通可能性なんでしょう。
 蓋し、会話とかことばというのは独立や孤立のものではなく、挙措やそぶり、場面での事柄ですから、現代人という存在がどの程度そういうなじみの中で認識してもらえるかでしょう。
 ことばのひとつひとつの引き比べや理解を勤める場面が想定される前に、バルバロイとして押しのけられる可能性のほうが大きいでしょう。
    • good
    • 0

「ある程度は」意思の疎通ができると思います。



問題は、来日した宣教師が作った当時の話し言葉を伝える貴重な資料である「日葡辞書」などの例外はあるものの、戦国時代の「話し言葉」の実態がわかる資料があまり存在しないことだと考えます。残された史料からは、現代語と比較して日常使われる基本的な語彙の多くは大きくは違わないが、例えばハ行の発音が現代と異なっていたことや個々の単語の発音や意味も一部違うことなどがわかります。ですから、「手が痛い」「桜が咲いた」など戦国時代も今も変わらない日常的なことを平易な言葉で簡潔に話せば、当時の人も「ある程度は」理解できるのではないかと思います。「ある程度」というのは例えば発音の問題などの障害があるからです。

ただし「方言」や「地域的な発音の違い」、さらに「昔の言葉がどれだけ残っているか」ということによる伝わり方への影響は、判断するのが困難です。例えば戦国時代には日本の多くの地域で「セ(ゼ)」の音を「シェ(ジェ)」と発音していて、現代とは違っていた。と書かれていますが、私が九州の小学生だった昭和30年代には、教師を含む年配の人の中にはまだ戦国時代と同じ発音(?)の人も多く「シェンシェイはジェンジェンしりませんでした」が「先生は全然知りませんでした」のことでした。

また本居宣長の「玉勝間」の中に肥後(熊本)から訪ねてきた客が、当時すでに「見える」「聞こえる」と話していた言葉を「見ゆる」「聞こゆる」と話すのを聞いて、「熊本では一般にそうした昔の雅な言い方をするのか」と聞いたら「熊本でも田舎の方のものは皆そうだが、少しでも改まってものを言うような人の多くは「聞こえる」「見える」と話している」という答えが帰ってきたという一節があります。逆に言えばこの時代の熊本で「見える」「聞こえる」と話しかけた場合、城下の役人や商人には通じても、田舎の貧しい農民には通じなかったかもしれないということです。

付け加えれば現代の熊本でも「聞こゆる」「見ゆる」という言い方は年配の人を中心に根強く残っていて、玉勝間が書かれた時代から少なくとも200年以上も動詞の活用形の変化(というか古語から現代語への変化あるいは共通語化)が継続中であるともいえると思います。

ですから、現代の標準語(共通語)を話す人より、現在でも昔ながらの方言を使えるお年寄りが、戦国時代のその地方に行った方が言葉が通じやすいのではないかと考えます。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

なるほど。
確かに現代の若者の標準語より、田舎のお年寄りの方が通じるでしょうね。
昔から何一つ変わらず残っている言葉もあるでしょうし。
ご回答ありがとうございます!!

お礼日時:2011/10/06 09:00

 100年以上前の日常会話を録音した物を聞くと、現代のおばさん・おばあさんが話しているのさほど変らない喋りかたをしています。


   http://nekomeshi.com/archives/51568971.html

 方言などの地方差を乗り越えるのは大変ですが、一応識字率が極端に高い事が売りの日本人ですから文語体を混ぜつつ会話すればかなりいける様な気がします。
 (文語体ならある程度全国共通。江戸時代なら農民でもかなりの割合で読書きが出来る。庄屋・名主クラスなら、戦国時代でも読書きは楽勝。)

 極論ですが、日本人って一応義務教育や高校などで有る程度古文をやってますから、古事記などの千年以上前の文書を直接読めなくても(漢字ばっかで専門家でも無いと中々読めませんが…。)、耳で聞けば何となく意味が理解できてしまいます。

 江戸時代に、漁師が漂流して米国やロシアに救助され、必死に努力した後にちゃんと会話が成立するようになった事(ジョン万次郎とか)を考えれば、我々現代人がタイムスリップして、過去の日本人と会話する事の方がよっぽど楽では無いでしょうか?
 (そもそも、本当にタイムスリップしたら生きていく為に絶対必要ですから、出来る出来ないの問題以前だと思いますが…。)

 語彙や発音・発声に差が有る平安以前(古文でも苦労し始める年代)は厳しいかも知れませんが、戦国時代なら本人のやる気次第だと思います。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

おお、百年くらい前だと、まだ全然いけそうですね!!
なんか落語みたいな話し方だから、身振り手振りで落語みたいにすると通じるかも?(笑)


面白いソースをありがとうございます!!

お礼日時:2011/10/06 09:08

通じません。

戦国時代には方言しかありません。「~です」にしても江戸時代の「~でございます」や「~でござんす」が「~です」と簡略的に統一された言葉なのです。江戸時代は街道が整備され、参勤交代などの制度などのせいで言葉の共通化が進みましたが、それでも武士や町民や百姓や男と女でもかなり言葉が違っていました。共通化が進んだといってもテレビもラジオもありません。庶民は村を出る機会さえ滅多なことではない。お伊勢参りだって皆で旅費を積み立てて、籤に当たった者だけが代表して、旅に出るのです。方言は言葉が違うだけでなく、アクセントやイントネーションも違います。戦国時代にワープしてしまったら、怪しい奴だと引っ立てられてどこから何しに来た?と拷問で責められることでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに言葉の前に服装とかでお前誰や!ってなりますよね。
自分だと「マジで怪しい者じゃねーんだって!この扱いハンパねぇ」とか言ってしまいそうです。(笑)
どうやら、他の方もおっしゃる通り無理みたいですね↓


ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2011/10/06 09:11

相手によると思います。



相手が商人などの行動範囲の広い人だったら、現代人の言葉を聞きなれない方言と考えて、根気強く相手してくれるかも。
一方、農民など、生まれた土地から出たことのない人なら絶望的かと。
私は47歳で愛知県で生まれ育ちましたが、中学生のころ、父の出身地の大分県の曽祖母の話は全く聞き取れませんでした。発音も単語も違うからです。はっきり言って、初めての時は日本語に聞こえなかったし、慣れてきても古文を早口で聞いている感覚でした。

漢字を旧字体にして筆談すれば、案外通じるのかも‥
    • good
    • 0
この回答へのお礼

よく思えば相手の身分でも変わってくるんですよね。
僕も鹿児島の山奥に住まわれる農家の九十歳くらいのおばあちゃんとお話しましたが、本当に何を言っているのか全く分かりませんでした。


もしタイムスリップした際は、筆談で頑張っみます(笑)
ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2011/10/06 09:15

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aに関連する記事

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q現代人が江戸時代以前の人と会話しても通じますか

 仮に,ごく普通の現代人がタイムスリップして,昔の人と会い,普通に会話しても通じるものなのでしょうか?
 江戸時代末期の人となら,何とか普通に会話できそうな気がするのですが,それより前の人は難しいのかなあ・・・と個人的には思っています(大正初期生まれの祖父母の話なんか聞いていると,明治時代や幕末期の人の口語は何となくイメージが湧きます。)。
 戦国時代,鎌倉時代,平安時代,奈良時代,古墳時代・・・とさかのぼるにつれ,会話は困難にいっそう困難になるとは思いますが,実際のところは,どうなんでしょうか?

Aベストアンサー

 日本語の最大の変化は平安期と鎌倉期のちょうど境目あたりで起っています。文法、発音、語彙がかなり変化しています。たとえば「花」を、平安時代前期にはファナ(パナ)と発音していました。「男」はウォトコです。二度目の、これよりややちいさい変化は江戸時代に入る直前、戦国末期くらいにおこりました(たとえば動詞の活用などかなり現代語に近くなってきます)。これ以降はほとんど現代語とおなじです。
 ですから、常識的にいって、江戸時代いっぱいまではたいがいの人が通じる。勘のいい人なら鎌倉時代ごろまではなんとか会話が成りたつのではないかと思います。それ以前となるとやはり専門知識が必要だろうと思いますが……。
 ちなみに言いますと、歌舞伎の台詞は多くの場合、文筆家が苦心惨憺して書いた美文であり、当時の話し言葉とはかならずしも一致しません。歌舞伎において古い江戸時代の話し言葉を残しているのは、たとえば黙阿弥をはじめとする世話物などでしょう。近松や南北、黙阿弥の世話の台詞は現代でもじゅうぶんに理解できると思いますが(役者の口跡がひじょうに悪い、というのは別にして)。

Q現在の日本人が話す日本語は一体何年くらい前の日本人とコミュニケーション

現在の日本人が話す日本語は一体何年くらい前の日本人とコミュニケーションが取れるのでしょうか?例えば、平安時代にタイムスリップしても果たして通じ合えるものでしょうかね?現在人の話す言葉には昔と比べて圧倒的に単語量が多いから通じ合える範囲は限られるのでしょうけど、

Aベストアンサー

言わんとしておられることはわかっているつもりですが、そもそも何をもって「コミュニケーション」とするかを考えると、明確な答えは出ないと思うんですよね。

例えば、私は接客業は通訳業も経験していて、明治生まれの祖父母とも同居していたので、正しい日本語を話していると自負していたのですが、10年あまり前に、首都圏の町内の会議でちょっとした意見を言ったら、老人会の方々に通じなかったのです。どうやら、たまたま「ピーカン」という単語を使うなどして、自分の日常について早口でまくしたてたのがいけなかったようです。町内会長さんが“通訳”をしてくださって、ことなきを得ました。

それに皆さんも、アナウンサーが話す言葉なら全国的に理解できるでしょうけれど、どこかの田舎に観光にでも行くと、声をかけてくれたお婆さんや、電車で見かけた不良高校生が話す言葉を一言も理解できない、なんてことがザラにあります。それだけ“内輪でしか理解できない言葉”を彼らは話しているのです。日常的にそれで済んでいるからです。

一方で私は言葉の通じない外国へ行くのが好きです。スペイン語の知識は皆無に等しいのですが、英語も日本語も通じないスペインやベトナムで、世間話から盗難届から苦情まで、コミュニケーションを難なくとってきました。奇をてらったことを言わなければいいのです。例えば初対面の人に会ったら、だいたい話すことは決まっています。「どこから来たのか」「家族は何人か」「ふるさとは広いか」などなど。それをベースに、知っている英単語「レッド」に似ているスペイン語の「ロッソ」を活用するなどして、会話ができます。逆に、とあるテレビ番組でこんな場面を観ました。一夫多妻制を続ける遊牧民の主婦たちの中へ入っていった日本の現代女性が「私は独身で、毎日働いています」と、通訳を介して笑顔で言ったのですが、何度説明しても相手は真意を理解してくれずに「かわいそう」と言って泣くのです。

前置きが長くなりました。江戸時代以前の書物は、話し言葉とは別物でしたから、私たちが古文の授業で朗読させられているものよりは、わかりやすい言葉をしゃべっていた可能性があります。また、方言がより濃厚に残っていたはずですから、その地方の方言に関する知識があるかどうかでも変わってきます。それから、その時々の政権の中心地が言葉に影響を与えていたでしょうから、江戸時代なら東京の言葉が参考になりますが、平安時代なら京都の言葉の知識があったほうが通じやすいでしょう。そしてこうした知識をベースに、あまり奇をてらったことを言わなければ、食べ物や着物くらいは買えると思いますよ(当時の通貨があればね)。

ちなみに私は言語学の専門家に、平安時代に使っていたと思われるイントネーションで古文を朗読してもらったことがありますが、それは昭和天皇の演説にそっくりでした。

言わんとしておられることはわかっているつもりですが、そもそも何をもって「コミュニケーション」とするかを考えると、明確な答えは出ないと思うんですよね。

例えば、私は接客業は通訳業も経験していて、明治生まれの祖父母とも同居していたので、正しい日本語を話していると自負していたのですが、10年あまり前に、首都圏の町内の会議でちょっとした意見を言ったら、老人会の方々に通じなかったのです。どうやら、たまたま「ピーカン」という単語を使うなどして、自分の日常について早口でまくしたてたのが...続きを読む

Q何時代の人とまで会話が通じる?

 私たちは会話で何時代の人とまで通じるでしょうか。
 幕末生まれの人と話した経験から推測すると、同じ地域の人であれば、江戸時代の最初くらいまでは通じると思いますが、あまり先の時代になると見当がつきません。
 古い時代の話し言葉の資料があれば、判断しやすいと思いますが、どれくらい先まで行けるでしょうか?

Aベストアンサー

タイムマシンに乗って昔の時代に行ったらどれくらい話が通じるのか、なんか夢があっていいですね。
明治時代以前の口語史料が残っていないと書かれている方がおられますが、とんでもないことです。口語史料はいろいろ残っています。詳しくは、橋本進吉『国語学概論』7 口語の變遷 を参照ください。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/hasi/hasi7.htm
このHPでも紹介されていますが、キリシタン時代の史料にはローマ字で記載されているものがたくさんあり当時のほぼ正確な発音がわかって貴重です。
 中でも、1593年に出版されたローマ字版イソップ物語をちょっと読んでみましょう。
ESOPONO FABVLAS
http://www.geocities.co.jp/bookend/9563/Esopo/esopo/mocurocu.html
この中の、「からすと、きつねの こと」を取り上げます。
http://www.geocities.co.jp/bookend/9563/Esopo/esopo/esopo450.html
この部分のローマ字を現代のカナ表記に直すと次のようになります。
      「からすと、きつねの こと」
  あるとき からす しょくを もとめえて、きの うえに
やすみ いるに、 きつねも しょくを もとむれども、
えいで ふぁしぇかえるとて、 からすの ふくんで いる しし-
むらを みて、 うらやましゅー おもい、なんとぞして これ
を たぶらかいて とらばやと たくんだが、からすの いた きの
もとに いってゆーたわ 「いかに しょちょーの なかの すぐれ-
て けたかい からすどの、ごふぇんの つばさの くろー かか
やくわ、 こんれおーの ぎょいか? またわ にしきか?
   どうですか? 当時の口語はだいたいこんなものです。
 この頃は、「はひふへほ」が「ふぁふぃふふぇふぉ」でした。まあ、これも慣れればかなりわかるのでは? 昔と現代では、通じない単語もたくさんありますが、基本語彙はかなり通じます。ゆっくり話せばなんとか話が通じそうです。 
 平安朝の日本語の発音については、金田一春彦博士の『朗読 源氏物語-平安朝日本語復元による試み-』(一九八六 大修館書店)があります。たしか、録音テープも制作されていたと思うのですが、聞いてもあまりわからなさそうです。平家物語の方ならかなりわかりそうなのですが。結局、鎌倉時代くらいまでならなんとか意思の疎通ができそうに思うのですが。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/bookend/9563/Esopo/esopo/esopo450.html

タイムマシンに乗って昔の時代に行ったらどれくらい話が通じるのか、なんか夢があっていいですね。
明治時代以前の口語史料が残っていないと書かれている方がおられますが、とんでもないことです。口語史料はいろいろ残っています。詳しくは、橋本進吉『国語学概論』7 口語の變遷 を参照ください。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/hasi/hasi7.htm
このHPでも紹介されていますが、キリシタン時代の史料にはローマ字で記載されているものがたくさんあり当時のほぼ正確な発音がわかって貴重です。
 ...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q公家や宮家の女性の一人称

武家女性の一人称というと「妾(わらわ)」が一般的だったと思うのですが、
公家女性の一人称はどのようなものだったのでしょうか?
公家言葉というと「まろ」が思い浮かぶのですが、これはどちらかというと
男性の一人称のように思います。
京都弁なので「うち」とか「わて」なども使われていたのでしょうか。
時代によって変遷していると思うのですが、主に近世の言葉に興味がありますが、
他の時代でもどのように呼んでいたのか知りたいです

Aベストアンサー

女性の一人称はなかったというのが正解ではないでしょうか。うちというのがありますが、一人称を女性が使うのははしたないことというのが公家社会の不文律で、現に源氏物語では女性が一人称を使う場面は皆無じゃないでしょうか。関西は今でも女性が第一人称を使わないようにするという習慣は上流階級では残っています。二人称も一人称ほどではないですが、これも稀ですよね。ですから古文では動詞の主語が誰であるかを特定する問題が頻繁に出ますね。公家社会ではそれが分らないのは教養がないとして蔑まれました。雅びの精神の一つでしょう。
 話はちょっと逸れますが、吉原や島原の花魁は二人称に『こちの人』という三人称を使いますね。これもその流れです。『あなた』はまさしくこれです。

Q戦国時代の話し言葉

NHKで放映中の「軍師官兵衛」を見ていて思ったのですが、多少その時代風にアレンジされてはいるものの、出演者の話し言葉が現代の「共通語」的なイントネーションとなっています。

しかしながら、私としては話の舞台は西日本であり、実際の場面では関西弁的な話し言葉が使われていたと思うのですが、実際のところどうだったのでしょうか。江戸時代より前、日本の中心が西日本であった頃、政治の中枢ではどのような話し言葉が使われていたか興味があるところです。

仮に私の推測が当たりだとして現代の共通語とあまりにも違いすぎて、お芝居として成り立たないのでテレビでは共通語風の台詞となるのでしょうか。

ご教示いただければ、幸です。

Aベストアンサー

 戦国~江戸時代は地域地域で話言葉の差が強く武士ですら容易に会話がしづらかったと
聞いたことがあります。そこで武士特有の候文が手紙で活用されることになります。

 ありのままの会話を現代忠実に再現できたとして、言葉の違いを好む一部の通は別とし
大多数の人はつまらない漫才を聞かされているようで興味をなくすでしょう。

 僕は大阪在住ですから、「関西弁」でしゃべる俳優を好もしく思いますがやはり時代劇は
共通語でしょう。わけは2つ。1つは武士らしいしっかりしたやりとりの間がぬけて聞こえる
2つめはドラマで俳優が話す「関西」弁にどうしても違和感があり厳しく評価しがちだから。

 関西に住む者にとって「関西弁」は存在しません。地域地域で独特の言葉遣いがあります。
ので、今のままの武士は共通語が妥当なのでしょう。

Q現代人と戦国時代の人間の違いについて。

質問させてください、昔の農民などは米俵を担いで走ったと聞いたことがあります、当然今の軟弱な現代人には厳しいと思うのですが、
考えてみるとボブサップあたりならと予想したのですが、私の考えでは一般の農民とボブサップの足腰の鍛え方が同等だとすると、現代のトップアスリートよりもはるかに良い記録が出せるような気がするのですが、そういった記録などは残されていないのでしょうか?

比較話などありましたら教えていただきたいと思います。

Aベストアンサー

江戸時代、継飛脚(つぎびきゃく)と言うのがあり。
二人一組で宿駅ごとに引き継ぎながら夜通し運び、江戸から大阪のまでの片道550kmをおよそ3日で到着したそうです。

ただ、アスリートはその競技に特化した鍛え方ですので、比較対象にはならないと思います。

結果が書かれているのを見たことはないのですが、
江戸期の体力測定と言うのもあります。
1.力石をかつがせる。
2.一定の面積の田を耕させる。
3.神社にこもったり、正座のまま夜を明かす。
4.一日10里を歩く。
5.米2斗を背負って一日7里を歩く。
だそうです。

Q古文書の文字ですが、当時の人はちゃんと読めたのでしょうか?

古文書の文字ですが、当時の人はちゃんと読めたのでしょうか?

「お宝拝見」 が好きでよく見ているのですが、たまに平安時代や戦国~江戸時代の古文書が登場しますよね。

その中に書かれている文章なのですが、当然、全て手書きの文字です。

ところが、よほどの専門家でない限り、現代人が読もうとしても一体何が書かれているのか、サッパリ分からないはずです。

漢字は崩しているし、おまけに今のように一文字一文字離して書くのではなく、次の文字と続いているケースが多いです。

当然、今と同じように字が上手な人もいれば、程度の差はあっても悪筆な人もいたはずです。 教養のある人の全員が達筆だったという事はなかったと思います。

という事で質問ですが、例えば手紙を受け取った当時の人が、「さて? 一体これは何と書いているのだろうか? ミミズがのたくったような字なので、サッパリ意味が分からないよ!」 というトラブルって無かったのでしょうか?

あるいは 「キッタネエ字だなあ、マッタク! 誰か、何が書いているか読める人、いない?」 というような事って、現実にはあったのでしょうか?

当然の事ですが、この質問は当時、文字を識別できる人が対象です。 

古文書を見るたびに疑問に感じていますので、宜しくお願いします。

古文書の文字ですが、当時の人はちゃんと読めたのでしょうか?

「お宝拝見」 が好きでよく見ているのですが、たまに平安時代や戦国~江戸時代の古文書が登場しますよね。

その中に書かれている文章なのですが、当然、全て手書きの文字です。

ところが、よほどの専門家でない限り、現代人が読もうとしても一体何が書かれているのか、サッパリ分からないはずです。

漢字は崩しているし、おまけに今のように一文字一文字離して書くのではなく、次の文字と続いているケースが多いです。

当然、今と同じように字が...続きを読む

Aベストアンサー

戦国武将には、いわゆる秘書がいましてね。お手紙はその秘書の人たちが書いて、最後に本人がそれにサインをするのです。
その秘書の人たちを「右筆(ゆうひつ)」といい、サインのことを「花押(かおう)」といいます。

織田信長の生涯を書いた「信長公記」の著者である太田牛一は信長の右筆だったといわれています。
また、花押で有名なのが伊達政宗のセキレイの花押で、大崎一揆を扇動した証拠として政宗の花押入りの手紙が出てきてしまうんですね。普通だったら逃れられないのですが、政宗は「その花押はニセモノです。本物の私の花押はセキレイの目に針で穴を開けているが、その花押には穴がない」と言い逃れて、なんとそれが通って命拾いしています(本当に穴があったとも、政宗の機転と度胸に感心した秀吉が「確かにこっちにはあるな」と腹芸を見せたともいわれています。個人的には、後者の説をとりたいですね)。

右筆にはかなり好みが出るみたいで、秀吉の手紙を見るとやはり京風というか、字体は繊細で美しいです。一方、信玄や謙信の手紙はかなり力強い男らしい字体で、その武将の好みが読み取れます。

勝海舟など、やはり歴史に残る有名人には達筆な人が多いですね。悪筆なのが坂本龍馬で、私が知る限り歴史に名を残す人で一番字が汚いです・笑。現代人の我々が見てもひどい・笑。しかも誤字だらけで、口語体で書かれています。明治時代に夏目漱石らが「言文一致体」と「喋り言葉(口語)と書き言葉(文語)を統一しよう」という活動をし始めて現代に至るのですが、それまでは手紙などの書き言葉は別の書き方をしていました。武士の「~にて候(そうろう)」なんていう候文が有名ですね。

未来の人々も、ギャル文字を見て翻訳に四苦八苦するのでしょうね・笑。あるいは、ギャル文字が「正しい日本語」になるかも。

戦国武将には、いわゆる秘書がいましてね。お手紙はその秘書の人たちが書いて、最後に本人がそれにサインをするのです。
その秘書の人たちを「右筆(ゆうひつ)」といい、サインのことを「花押(かおう)」といいます。

織田信長の生涯を書いた「信長公記」の著者である太田牛一は信長の右筆だったといわれています。
また、花押で有名なのが伊達政宗のセキレイの花押で、大崎一揆を扇動した証拠として政宗の花押入りの手紙が出てきてしまうんですね。普通だったら逃れられないのですが、政宗は「その花押はニセ...続きを読む

Q障害者は昔どんな生き方をしていたのでしょうか?

学校では教えない事もあると思いますが、障害者の友人がいるので
差別意識はありませんが・・・。
知っている方はお願いします。
外国のもOKです。

Aベストアンサー

縄文時代の遺跡から、先天性の障害を持った骨が出てきたことがあり話題になったことがあります。骨が癒着した状態で成人して、おそらく生涯寝たきりだったのでは無いかとのことでした。食糧の確保が難しい時代に、その様な例が発見されたことに驚いた覚えがあります。
それ以降の時代では、やはり成人するのは難しかったのでは無いでしょうか。弥生以降の遺跡では、けが等で障害者になった者は見捨てられていたようです。
ただ盲目の場合は、芸などをして生活することが可能だったようです。
一休さんと晩年を過ごした「森女・シン」は盲目でした。また、江戸時代、貸金業は盲目の者にのみ認められていましたし、按摩(マッサージ)もそうですね。
聴力障害については判りませんが、盲目でも成人になれた事を考えれば成長には問題なかったと考えて良いと思います。
双子の場合は、獣腹と言われ忌み嫌われていたようです。そのため生まれるとすぐに養子に出されたりしていました。武士の場合、世継ぎ問題に発展するため特にいやがられていたようです。

Q戦国時代の人々の名前について

司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は御屋形、ある人は信玄公、ある人は信玄様とさまざまな呼び名で統一されなかったのには意味があったのでしょうか。

ある身分の人ならば織田様と呼び、ある身分の人は、弾正忠様と呼び、ある身分の人は信長様と呼んで良いなんていう規則もあったのでしょうか?

また農民とかならば、個人を特定するような名前自体存在しなかったのでしょうか。
小説で読んだ中では志乃とかお清とか名前はみかけたので、名前がないということはあるでしょうが、人々の命名規則等は存在したのでしょうか。
(苗字は名乗ってはいけないとか、こういう名前を使ってはいけないとか言う規則はあると考えています)
(また、将軍の姓を使った織田とかは名乗れなかったと思います)

苗字を名乗れるのは、どういう身分の人たちなのでしょうか。
小説の中で山崎屋とか商人の人々には名前があったと思うのですが、村里の人々での苗字はみかけませんでしたし。

質問がわかりづらいかも知れませんが、
1.身分によって相手を呼ぶときの名前に対し厳しい制約は存在していたのか。
2.庶民(農民、商人等)の人々の名前についてどういう命名規則があったのか。
(農民は名前のみ、商人は苗字(店の名前)のみ、武士は苗字+名前を名乗ることができたなど。)
3.また、命名規則があればどのような名前が多かったのでしょうか。
(農家の男なら五平、六平。女なら志乃、清など)
の3つ教えてください。
よろしくお願いします。

司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は...続きを読む

Aベストアンサー

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・

時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分の人たち、名主クラスです。

次に中大夫・平大夫・五郎大夫など大夫が付く人が10名・・・中介・江介・三郎介など介の付く人が6名、「大夫」や「介」は古代の令制の官位の呼び方ですが、すでにこの時代には農民が、一定の年齢に達した時、幼名から改名する際に使用していたようです。

新検校・惣別当・安寿など名の付く人が3名・・・「検校」や「別当」「安寿」などは、ご存知のように本来、寺院や荘園・官庁の役職名ですが、やはりこの時代ではすでに農民のレベルでも名乗っています。

次に、かい丸・牛丸と「丸」の付く人が2名・・・「丸」は本来、幼名に使用する文字ですが、牛飼いなどの運搬業に携わる人は、成人しても使用していたそうです。

平細工・孫太郎細工と「細工」と付く人が2名・・・彼らは手工業の職人だったと思われます。

残り24名は、この時代の農民の一般的な名前と言える物・・・藤内・源内・中江・孫太郎・孫二郎・彦二郎・平二郎・藤二郎・弥二郎・中三郎・惣四郎・孫五郎など、この中の「彦」や「孫」や「弥」は全国的に使用されている最も一般的な文字です。
「平」「源」「藤」「中」は貴族の姓を名前に取り入れています。
その後につく二郎や三郎というのは、お察しの通り、大抵は出生順の「○郎」と付けたようです。
彼らは、小百姓層の人たちです。

以上、先にも書かせていただいたように、これらの名前はすべて、中世の惣村の農民の名前・・・一揆の起請文の署名です。
女性の名がないのは、一揆の場合の署名は、一家の家長が代表して行う事が多かったためだと思われます。

長々と書いてしまいましたが、少しは参考になりますでしょうか?

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・

時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング