【大喜利】【投稿~12/17】 ありそうだけど絶対に無いことわざ

例えば仮に日本の戦国時代にタイムマシーンでワープしたとします。
そこでそこら辺の通行人に、現在の標準語で話しかけて、会話したとします。
そしたら、相手に日本語は通じるのでしょうか?マジ、パネェ、ガチで、とかの完全な現代語は話さないとして。
例えば、
「今日はいい天気ですね」 「そうですね、昨日は雨だったけど、晴れてよかったなぁ」
とかまともに会話できるんでしょうか?

A 回答 (8件)

 ANo.3さんご紹介の録音は私たちの話し方と変わりませんね。



 質問は戦国時代ですね。
 その時代の発音や話し方を研究している人もいますよ。ある大学の教授ですが。
 その方は読経を材料にしています。そのほか国語学では何人かいますが、個人的に存じ上げていません。
 あと参考までにいうと、幕末の志士などは無論、剣術道場と言う議論の施設や場で長く居る人は通じ合えたが、そうでない人は通じなかったそうです。
 だから謡曲的に話し合ったそうです。
 山岡鉄太郎と西郷さんの会見はどんなだったでしょうね。まぁどちらも世間の広い人で、西郷さんも江戸に居た経験も豊富ですから。

 今も、近所の青森出身の方が郷里の方と話している内容は全くわかりません。日本語ではないような気にさえなります。

 ご近所のいろは四十八組の一番筒先の方に小学校の時に可愛がられました。
 お尻の割れ目とおちんちんを残して青と赤の彫り物(刺青は罪人にするもの)が鮮やかで、銭湯なんかうめていると、金魚がおよいでいらい。なんていってと水道を停めてしまう。
 舌使いや発音が違うので、同じことばでも慣れないとわからない。
 それが江戸職人のことばかもしれません。江戸の範囲も年々変わりましたが、地域と職業で言葉は全く違っていたのですね。

 戦災で浅草聖天町から隅田川や荒川などの川を越えたところにきて、子ども達の話し方はずいぶん違いました。
 無論気風も違います。
 学校に誘い合う呼び方だって、全く違う。
 ことばの変化は激しいものですね。戦国時代の日常言語の社会は私たちは入れないでしょう。
 古典の高座や芸能では何か偲べるでしょう。
 敗戦終戦後の映画を見ますと、昔の話し方が聞けてとても懐かしいですね。
 昔の世界、人間関係、そして生活が伝わってきます。
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まず無理でしょう。


あの時代の日本の言葉は、標準語など存在せず方言オンリーですから。

「山の手言葉」や「廓言葉」(遊郭で女郎達が使う「あちき、ありんす等」)が、なぜ出来たかというと、
地方出身者同士が意思疎通する為の共通言語として生まれたものです。

江戸時代、参勤交代で地方の武士達が江戸に出てくると言葉が通じない、特に、業務上、他の地方の武士達と会話するのに困る、というので、江戸目詰めの武士達の間で共通の言語が生まれました。
これが山の手言葉の原型です。
遊郭の廓言葉もこれと同じ。
遊郭には色々な地方から娘達が売られてきます。当然、他の地方出身者とは言葉が全然通じません。
そして、何よりもお客に田舎物丸出しだと分かるとまずいので、遊郭だけの言葉「廓言葉」が生まれました。

世の中が安定して地方との交流が始まった江戸時代でこのレベルですから、戦国時代なんかでは無理だと思います。
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この回答へのお礼

やはりそうですよね!
よその国の言葉はほとんど外国語だったと言いますし。


ご回答ありがとうございます!!

お礼日時:2011/10/06 08:54

 文章や研究室、机での言語はともかく現実の言語というものは、場、主体、状況、そしてその主題や内容とそれらが存在し醸し出すリズムと諸条件というものを切り離しては存在できないものです。


 そこに存在する主格の心理や意識も重要なファクターです。
 一定の単語や言葉の概念を知っていたり、それらが共通している部分があっても現実のコミュニケーションがスムーズにいくには上記の事柄を度外視しては考えられません。
 そういうことが発声や語調、ないしは舌まわりや発音とかイントネーションに影響もしてきます。
 戦国時代の方とのそういう落差は以外に大きいから、単語が続いているとかいうことだけではコミュニケーションには相当の手間ひまが掛かるでしょうし、大勢や公衆的な場では無理があると存じます。
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この回答へのお礼

やはり無理がある様ですね...。
ご回答ありがとうございます!!

お礼日時:2011/10/06 08:56

 言葉の共通性や存続性は文書うえではありますが、その実際の発音とイントネーション、そして発声は現代人には異人的でしょう。


 一定の条件下での交流を想定すればある程度は通じる可能性もありましょうが、実際の生活関係や生活現場ですんなりと通じる前に、不審で怪しげな存在者とされてしまう惧れがありましょう。
 器用で小細工のできるお利発な人柄なら、うまく入っていける可能性があるという程度の流通可能性なんでしょう。
 蓋し、会話とかことばというのは独立や孤立のものではなく、挙措やそぶり、場面での事柄ですから、現代人という存在がどの程度そういうなじみの中で認識してもらえるかでしょう。
 ことばのひとつひとつの引き比べや理解を勤める場面が想定される前に、バルバロイとして押しのけられる可能性のほうが大きいでしょう。
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「ある程度は」意思の疎通ができると思います。



問題は、来日した宣教師が作った当時の話し言葉を伝える貴重な資料である「日葡辞書」などの例外はあるものの、戦国時代の「話し言葉」の実態がわかる資料があまり存在しないことだと考えます。残された史料からは、現代語と比較して日常使われる基本的な語彙の多くは大きくは違わないが、例えばハ行の発音が現代と異なっていたことや個々の単語の発音や意味も一部違うことなどがわかります。ですから、「手が痛い」「桜が咲いた」など戦国時代も今も変わらない日常的なことを平易な言葉で簡潔に話せば、当時の人も「ある程度は」理解できるのではないかと思います。「ある程度」というのは例えば発音の問題などの障害があるからです。

ただし「方言」や「地域的な発音の違い」、さらに「昔の言葉がどれだけ残っているか」ということによる伝わり方への影響は、判断するのが困難です。例えば戦国時代には日本の多くの地域で「セ(ゼ)」の音を「シェ(ジェ)」と発音していて、現代とは違っていた。と書かれていますが、私が九州の小学生だった昭和30年代には、教師を含む年配の人の中にはまだ戦国時代と同じ発音(?)の人も多く「シェンシェイはジェンジェンしりませんでした」が「先生は全然知りませんでした」のことでした。

また本居宣長の「玉勝間」の中に肥後(熊本)から訪ねてきた客が、当時すでに「見える」「聞こえる」と話していた言葉を「見ゆる」「聞こゆる」と話すのを聞いて、「熊本では一般にそうした昔の雅な言い方をするのか」と聞いたら「熊本でも田舎の方のものは皆そうだが、少しでも改まってものを言うような人の多くは「聞こえる」「見える」と話している」という答えが帰ってきたという一節があります。逆に言えばこの時代の熊本で「見える」「聞こえる」と話しかけた場合、城下の役人や商人には通じても、田舎の貧しい農民には通じなかったかもしれないということです。

付け加えれば現代の熊本でも「聞こゆる」「見ゆる」という言い方は年配の人を中心に根強く残っていて、玉勝間が書かれた時代から少なくとも200年以上も動詞の活用形の変化(というか古語から現代語への変化あるいは共通語化)が継続中であるともいえると思います。

ですから、現代の標準語(共通語)を話す人より、現在でも昔ながらの方言を使えるお年寄りが、戦国時代のその地方に行った方が言葉が通じやすいのではないかと考えます。
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この回答へのお礼

なるほど。
確かに現代の若者の標準語より、田舎のお年寄りの方が通じるでしょうね。
昔から何一つ変わらず残っている言葉もあるでしょうし。
ご回答ありがとうございます!!

お礼日時:2011/10/06 09:00

 100年以上前の日常会話を録音した物を聞くと、現代のおばさん・おばあさんが話しているのさほど変らない喋りかたをしています。


   http://nekomeshi.com/archives/51568971.html

 方言などの地方差を乗り越えるのは大変ですが、一応識字率が極端に高い事が売りの日本人ですから文語体を混ぜつつ会話すればかなりいける様な気がします。
 (文語体ならある程度全国共通。江戸時代なら農民でもかなりの割合で読書きが出来る。庄屋・名主クラスなら、戦国時代でも読書きは楽勝。)

 極論ですが、日本人って一応義務教育や高校などで有る程度古文をやってますから、古事記などの千年以上前の文書を直接読めなくても(漢字ばっかで専門家でも無いと中々読めませんが…。)、耳で聞けば何となく意味が理解できてしまいます。

 江戸時代に、漁師が漂流して米国やロシアに救助され、必死に努力した後にちゃんと会話が成立するようになった事(ジョン万次郎とか)を考えれば、我々現代人がタイムスリップして、過去の日本人と会話する事の方がよっぽど楽では無いでしょうか?
 (そもそも、本当にタイムスリップしたら生きていく為に絶対必要ですから、出来る出来ないの問題以前だと思いますが…。)

 語彙や発音・発声に差が有る平安以前(古文でも苦労し始める年代)は厳しいかも知れませんが、戦国時代なら本人のやる気次第だと思います。
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この回答へのお礼

おお、百年くらい前だと、まだ全然いけそうですね!!
なんか落語みたいな話し方だから、身振り手振りで落語みたいにすると通じるかも?(笑)


面白いソースをありがとうございます!!

お礼日時:2011/10/06 09:08

通じません。

戦国時代には方言しかありません。「~です」にしても江戸時代の「~でございます」や「~でござんす」が「~です」と簡略的に統一された言葉なのです。江戸時代は街道が整備され、参勤交代などの制度などのせいで言葉の共通化が進みましたが、それでも武士や町民や百姓や男と女でもかなり言葉が違っていました。共通化が進んだといってもテレビもラジオもありません。庶民は村を出る機会さえ滅多なことではない。お伊勢参りだって皆で旅費を積み立てて、籤に当たった者だけが代表して、旅に出るのです。方言は言葉が違うだけでなく、アクセントやイントネーションも違います。戦国時代にワープしてしまったら、怪しい奴だと引っ立てられてどこから何しに来た?と拷問で責められることでしょう。
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この回答へのお礼

確かに言葉の前に服装とかでお前誰や!ってなりますよね。
自分だと「マジで怪しい者じゃねーんだって!この扱いハンパねぇ」とか言ってしまいそうです。(笑)
どうやら、他の方もおっしゃる通り無理みたいですね↓


ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2011/10/06 09:11

相手によると思います。



相手が商人などの行動範囲の広い人だったら、現代人の言葉を聞きなれない方言と考えて、根気強く相手してくれるかも。
一方、農民など、生まれた土地から出たことのない人なら絶望的かと。
私は47歳で愛知県で生まれ育ちましたが、中学生のころ、父の出身地の大分県の曽祖母の話は全く聞き取れませんでした。発音も単語も違うからです。はっきり言って、初めての時は日本語に聞こえなかったし、慣れてきても古文を早口で聞いている感覚でした。

漢字を旧字体にして筆談すれば、案外通じるのかも‥
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この回答へのお礼

よく思えば相手の身分でも変わってくるんですよね。
僕も鹿児島の山奥に住まわれる農家の九十歳くらいのおばあちゃんとお話しましたが、本当に何を言っているのか全く分かりませんでした。


もしタイムスリップした際は、筆談で頑張っみます(笑)
ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2011/10/06 09:15

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