
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
男性の場合、明治の末期には稀にチョンマゲを結って生活する人が存在したようです。
ただし、相当に奇矯な人とみなされたようです。童話作家の石井桃子(1907年<明治40年>3月10日 - 2008年4月2日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95% …
は、現在のさいたま市浦和区で生まれ育ちました。
この人が幼年期のことを回想した
「幼ものがたり」 (福音館文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4834018229
という本がありますが、その中に
「ちょんまげと自動車」(上記の版で301ページ)
と題して、
『私は、たった一人だが、チョンマゲを結って実際に歩いている老人を見て育った』
と書いています。浦和の街中の人ではなく、周辺の農村部から時折浦和に出てくる人だったらしいとのことです。
明治40年生まれで、浦和という小都市で育った石井さんが見た「チョンマゲを結って生活していた人」は、後にも先にもただ一人であったようです。
石井さんは
「大人になってから、『断髪令』が出たのが明治4年であると知って本当に驚いた。明治4年には自分が見たチョンマゲの老人は20歳くらいだったはずなのに、あの人はどういう信念を持って40年間もチョンマゲを結い続けてきたのだろう?と不思議でたまらなかった」
と書いています。
なお、女性の場合ですと、既婚女性が日本髪=髷を結うのは戦前ならごく普通でした。
下記の質問をご参照ください。
「日本女性が日本髪(髷)を結わなくなったのはいつ頃?」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4055266.html

No.3
- 回答日時:
明治33年、古河財閥の古河市兵衛が9月28日に懇意の人を招き断髪式を行ったという記録があり、この市兵衛自体、髷に拘りがあった方ですから、大体この時期でも髷の男性は珍しかったと思います。
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