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よく目にする文言に独学は良いが、自己流はダメみたいなのがあります。
変な癖がつくという文言もよく目にします。

私自身もこれまでに散々批判を受けてきた訳ですがぁ

私也に不思議に思うのですが、特定のジャンルの「教育の中」でそれがイケナイのだとするのは教育者(とその生徒)の自由、身に付ける手法として誰もが知るところのオーソドックスな手法で行うか、独自の手法で行うかは個人の自由ですし、どちらかというと身につくのが早いのは当然「独自の手法」=自己流によるものです。  

一流奏者には必ず「変な弾き方」のクセがあるので真似るのは教育上良くないとされるそうです。
またコンクール等でダントツトップを獲得できる人は皆「自己流の手法」で身に付け結果を出しているそうですが

求める成果や結果が出せられるのなら「自己流」「変な癖」とされるものでOKではありませんかぁ?
というより自己流や変な癖とされる手法でないとその人が求める結果が出せないのが現実なのですが

教育の中で自己流がダメだとするのはあくまで教育の中での話しであって

本来「自己流がダメ」なのではなく
何故そうするのか?をきちんと理解していない事が✖なのではないでしょうか?
( ;∀;)?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    運動のためのトレーニングについてはわかりかねますが☜思い出しました
    「高校の時に陸上部に入り専門のトレーニングを受けましたが、その結果どんどん競技の成績が落ちていきました」肉体が厳しいトレーニングについていかなかったのです☜半年で退部し
    自分也にトレーニングを積みクラスで2位、校内でも割と上位の成績を残しました。(←自己流)です

    ↑上記 何を言いたいか?というと その道の専門者のトレーニングというのは厳しいモノが大半で
    それについていけないモノは結果が出ないんです。では方法論は無いか?というと自分のレベルにあった事を地道に継続し時間を掛げれば「ある程度の結果」は出るんです。

    本来資質の無い者は専門のトレーニングを受けても目指す結果は出せません

    自己流で自分なりの方法論でマイペースにやったから、それなりの結果が出せたワケで
    同じような方はわんさかいると思います

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/12/09 08:49

A 回答 (5件)

自己流自体がダメということではないと思いますが、


自己流で楽器を学んだ人の多くがダメな状態になっています。

音楽はは外国語の習得に似ています。

英語に例えていえば、
文章として書かれている内容を理解したり、
自分の伝えたいことを伝える英語力が必要です。

楽器で言えば、聞いた音が弾ける、
頭の中に思い浮かんだ音が弾ける、
という状態ですね。

その状態になるためには、
ソルフェージュという練習が必要です。

なぜか自己流で音楽を始める人は、
教室で習う人とは違い、ソルフェージュをやらない人ばかりです。

これでは音楽が自分のものになりません。
スポーツで言えば、ボールを使う練習だけして、
走り込みを一切していない状態と同じです。

まれに最初から基礎体力いる人もいますが、
そうでない人も走り込みをすれば体力がつくのに、
それがわかっていないんですね。
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この回答へのお礼

解決しました

ご回答ありがとうございます。

>自己流で楽器を学んだ人の多くがダメな状態になっています
@多分現実問題としてそうでしょうね

>なぜか自己流で音楽を始める人は、
教室で習う人とは違い、ソルフェージュをやらない人ばかりです。
@さあそうなんでしょうかぁ・・・音を無視して楽譜通りを連呼している人は
よく見かけますね

音楽的素養がまるっきりない人が自己流なんていってもまともな形になりそうにないのでは?とは私も思います。


要するに世間一般論なのかも知れません。

お礼日時:2023/12/18 13:46

目を閉じて聴いて「やるなぁコイツ」と思わせられるのであれば、どんな奏法だろうと文句は言えない。

問題があるとすればそれは作法上の問題。
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この回答へのお礼

ありがとう

ご回答ありがとうございます。

>問題があるとすればそれは「作法上の問題」
@なかなかよくおわかりで

>「やるなぁコイツ」と思わせられる
@そこへ至る過程というものも存在します

どうもピアノ講師自身が自分が学んだ方法論以外は無知で無理解であることが
多くの問題を残す原因となっているように思います。

お礼日時:2023/12/10 20:27

基本ができてないのに自己流=自分に都合の良い事やるから、では


求めるレベルまで基本が出来上がってて、その上で更なる高みを目指すのが個性として評価されるんじゃないですかね
独学はまた話しが違うと思います
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この回答へのお礼

ありがとう

ご回答ありがとうございます。

ご回答もよく言われる話しですが、同じ鍵盤楽器とはいっても各々の楽器、
ジャンルによっても基本がまるで異なります。

独学の場合はそもそも評価を求めていないでしょうし、それで評価を求めようというのに無理があると思います。

独学=過去の自分より上 が目指すところですから 評価を得る事や
他人対比ではありません!!

お礼日時:2023/12/09 08:24

おはようございます。



んー。現実論、自己流がダメ、ではなく、スタンダード(基準)
を知らないのがダメ、だと思うんです。

スタンダードを知っていて、でもよりよいと判断して自己流を
取り入れるなんて人は沢山いるでしょうし、それは賢い、と思
うのです。

スタンダードを知らないのが何故ダメなのか、というとスタン
ダードが考えの基準だから、だと思います。スタンダードを知
らない自己流にありがちな良いことだけを評価しているわけで
はなく、色々な事をふまえたものが基準となっている、と考え
るべきだと思うのです。

芸術やスポーツの話においての話であれば、「自己流がスタン
ダードを超えているなら、それがスタンダードの一種になる
(たとえそれがテクニカルであっても)」だと思うんですよ。
スタンダードを超えていないならその時点で残念扱いされるの
はお約束でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

ご回答ありがとうございます。

>スタンダード(基準)
を知らないのがダメ、
@↑この件も教育者がよく語られる部分ですが、確かにまるで知らないのは
よくないとは思うのですが、そのクオリティーをどこまで追求するのか?と
尋ねたところトンデモナイハイレベルが求められる訳で多くの方はそこに到達できず挫折するという流れ。。。ならばそんなクオリティーを求めずに自分の方法論でやっていけばいい、継続するなかふと気づけば全体のクオリティーもUPしていたとなるわけで。。。私の経験からするとクオリティーを求めてしまうとそれを達成するに値するレベルにあるヒトとそうでない人に完全にわかれてしまい、できない人が増産されてしまうのです。(その道での落ちこぼれ)

であるならば遥か長期的視野で趣味と実益を兼ね地道に継続するなか
気づいたころにはその基準を超えていたという話しでもいいのではないでしょうか? 要するに知識としてある程度しっておけばいいといった発想で
自己流でやる☜実際私の周りには何人かいます・・・

何倍も時間が掛かるでしょうし、そもそも生涯でその基準に達するかどうかすらわからない方もいますが。。。当人は楽しんでいるワケで。。。それはそれでいいのではないかとぉ・・・!

結果を求めずに自分なりに「楽しい時間」を過ごしているという現実があるだけの話しですから

敢えて誰もそんなモノを良い悪いを評価する必要もないのではないでしょうか!!

お礼日時:2023/12/09 08:20

元々基本や一般的な方法があって、それを自分に合うようアレンジをするならいいですが、そうしたことを無視して自分で考えてやる方法は、いけないと言うよりも危険です。


最悪、勝手な方法によってけがや状態悪化などのリスクを負います。

質問の内容を見るに、ピアノの練習方法についての質問かと思いますが、指、手、手首を動かすのに最小限で動かせる方法というのが基本的な弾き方であり、その上で自分の感覚に合うものを求めて、基本をアレンジして弾き方を決めるというのが一般的でしょう。

しかし基本を無視して自分の思うような弾き方を続けていると、特定の鍵盤に指が届かない、速く弾けない、強弱が安定しないなどの問題が残ってしまい、改善が難しい可能性もあります。

それ以外の話で言えば、何かしらの勉強や学習、運動のためのトレーニング、病気やけが、障害の治療においては自己流はアウトです。
理論や効果についての実証効果などのないものを続けても、よくならないどころか却って悪化することがあります。
それらについても基本をベースにしないといけません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとう

ご回答ありがとうございます。

回答文は一般的には納得のゆく内容だと感じるワケですが、
実際問題私に当て嵌めると全てが正反対でした(笑)

運動のためのトレーニングについてはわかりかねますが、
>病気やけが、障害の治療においては自己流はアウト
@↑ここらは私は全て自己流でこれまでに治らないとされてきた病を治癒する方向に向け成果を上げています。(医師の治療法の完全な盲点がわかるからです)

>いけないと言うよりも危険です。
最悪、勝手な方法によってけがや状態悪化などのリスクを負います。
@↑勿論そうです、実際に状態悪化というのはありましたが、
それも自分で考え克服しています。(私の場合は頭で考えるより先に既に行動してしまっているので、その結果をもって手法の改善という順序になります)

>しかし基本を無視して自分の思うような弾き方を続けていると
@↑この件もそもそも基本通りだと私はまるで弾けないので苦肉の策としてまず「弾ける」ようになること。
>改善が難しい可能性
@↑これはよく言われる事ですが、方法論、方向性として長期的視野でとりくめばいいと考えていますので方向性がまるで異なるのです、長期的に考えればそれによるメリットのほうが遥かに大きいのです。

まぁ、私に関して言えば、幼少の頃に学んだ鍵盤の基礎はあるのですが、
再開後基本「我流」で独学ですらありませんが、それでも知人の先生が手も足も出ない事もさっさと実践できていますから、一先ず求める成果は手にできています。

ご回答内容についてはよく理解できるものの、いざ「独学」という話しになると、方向性や方法論が既存の学習者の枠の範囲とは限りません。
そのメリットを活かし求める結果を手にする方法となると・・・確かにまあリスクを自分で負う必要性はあるのではないかと私は考えます♪

お礼日時:2023/12/09 08:09

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