
「二重否定(表現)」について以前から興味をもっていたので、下記のやり取り(前問と呼びます)を興味深く読んでいました。
【「二重否定は肯定」なものの、ニュアンスが異なる理由は】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13631093.html
一般には「二重否定」は「強い肯定」などと言われます。
文章読本の類いでは「二重否定は避ける」という心得も目にします。
しかし、実際にはそうでない場合もあると思います。
当方の考えは「前問」のNo.6です。
さて、前問では質問者はNo.7のコメントをBAにしました。
このコメントが、何回読んでも理解できません。
どなたか二重否定について解説していただけませんか。
前問のNo.7の解説でも、別の考え方でもかまいません。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
> 「しない人はいない」=「みんなする」のような二重否定は「強い肯定」でしょう。
そうとは限らないのが、会話での表現だと、書いたつもりです。
もちろん、「しない人はいない」⇒「みんなするよ」というつもりで発話する人もいるのでしょう。 でも、「だれでもするよ」「みんなするよ」と相手に伝えたい場合に、「しない人はいない」と発話するケースは1/3もないでしょう。
特殊詐欺で投資に誘うときでも、「だれでもするよ」「みんなするよ」と言うでしょう。実際にはしない人が多くても、「だれでもするよ」「みんなするよ」と言うようなことは多いです。 通学する、通勤する、診察を受ける、結婚するなどでも、「しない人はいない」と発話するケースは少ないでしょう。
相手が何か失敗などで落胆しているのではないか、ネガティブになっているのではないか、あるいは何かに盲信してとんでもないことをしでかしそうだとか心配して、声掛けするときには、相手のやったことと想像することを主題のようにして「~~~しない人はいない」と言う人が多数出現するように思います。 ミスしない人はいない、落ち込まない人などいない、怪我しない人はいない、歳をとって弱くならない人などいない、能力・知力・記憶力・視力・聴力・体力が落ちない人などいない、などは「誰だって、みんな」と強調・誇張表現にする手法で、二重否定と呼ばれることが多い「しない人はいない」話法を利用しているだけですが、発話の目的は強い肯定をしたいのではなくて、相手の心情や思考、不安などを慮って、彼(彼ら・彼女ら)の気を奮い立たせたり、思考や心情に何らかの働きかけをするための糸口を探ったり、作ったりする手法なのだと、私は思います。
> 二重否定は2つに分けて考えるべきでは。
文章の一部の論理構造で理解していくものと、人が彼彼女らに働き掛けるための発話の趣旨やその効果という面で理解していくものと、2つに分けて考えるべきだと思うし、会話の中で使用されるケースの大部分は後者で理解すべきです。 パンフレット、書籍などで使われている場合でも、読み手の心情に寄り添う手法として理解すべきモノが多いのだと思います。
記号論理、文法的解析では、いわゆる二重否定は解読を誤ると思います。
そうか。
話し言葉の場合はちょっとかわってきますね。
「しない人はいない」=「みんなする」の類いは書き言葉限定の修辞法なのかもしれません。そもそも修辞法全般が書き言葉用?
話し言葉だと、「失敗しない人なんていないんだから」は「誰だって失敗する」と言いたいのではなく、「(誰だって失敗するんだから)気にすることはないよ」ぐらいの意味ですかね。
>通学する、通勤する、診察を受ける、結婚するなどでも、「しない人はいない」と発話するケースは少ないでしょう
やはり、用例は書き言葉が多そうです。
そうなると……。
書き言葉と話し言葉
強い肯定と「婉曲」(曖昧)
と(最低でも)4つに分けて考えるべきですかね……。
No.10
- 回答日時:
>「しない人はいない」=「みんなする」のような二重否定は「強い肯定」でしょう
これ、二重否定なの、前「ない」は「する」を否定、あとの「ない」は(そういう選択する)人の存在を否定、否定の対象が異なります。
「したくないわけではない」は、意味的には肯定になるかもしれませんが、
「する」を否定、し、さらにその否定を否定。まさに二重否定?。
例 しない、は、ない→する、ではありません、「しない」の選択の自由はない。
言い換えれば、「問答無用」もあり得ます。
??
当方は一般的な「二重否定」の考えに従っているつもりです。
https://www.google.com/search?q=%E4%BA%8C%E9%87% …
No.7
- 回答日時:
No.5へのお礼文の一部について
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
⑦-3などの数字は前問のコメントNo.と段落数ですかね。
>「ぼくはしたいです」「ぼくはしなくないです」という表現には置き換えられない心情を表現している
そのとおりでしょう。
それをなぜあんなふうに意味不明の書き方をするのかさっぱりわかりません。
〈「したくないわけ」という想像を「で」と肯定判断したあと〉ってなんですかね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
------- ⑦-3の該当部分 -------
No.7 回答者: アスナロウ 回答日時:2023/10/21 15:12
形式論理的に「したい」か「したくない」の二者択一ではなく、現実にはどちらとも言えない気分、情態があり、そのニュアンスを表すために「したくないわけ」という想像の世界を設定するという認識上の屈折が、ストレートな「したい」「したくない」という単純な希望、否定ではない気持ちが、表現の相違となっています。
--------------------------------------
私も、この上の一節をわかりやすい文章とは感じませんが、会話などではこうした程度の発言は多く、私も頻繁にするし、文章に書く場合でさえも、気がつくとやっている場合は多いです。推敲して書いた文書や書いた後で見直した文章ならば、もっとすっきりするものだと、私は思っています。
こんなことを書くのは、「言葉は、リアルタイムで相手と次々交わすものと、書面等に記してから提示するはずのものと、違うのではないか」と感じているからです。 「」を私は多用します。 そうすると、シリーズに書き流しても、文章の構造が視覚からわかりやすくなるからです。読点でも、漢字表記でも、これらがない書き物の文章など意味を理解するのが困難です。漢文でも、白文で続いたら読めないです。 経文・読経がわからないのと同様です。
---------- ------------- ---------- -------------
https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/5 …
古代ローマにおいても聴衆を前にしての朗読は行われたし,読書は仲間との語らいの時でもあった。キリスト教の普及とともに新しい読者が登場し,貴族階級の読書と結びついていた巻子本に代わって,冊子本の普及が起こった。冊子本は小さな声での集中的な読書を促したとされる。
黙読習慣がヨーロッパ世界に広がり始めたのは,アイスランドの写字生が開始したとされる単語の分かち書きが普及していった10世紀以降だと,書誌学者のサンガーは主張している。声に出さなくてもテキストを読み下すことが容易になったからだ。
---------- ------------- ---------- -------------
⑦-3も、「~~という単純な希望、否定では」のあたりを書いているときに、前の書き始めでどう書いたのかを失念していたから、変な文になっているだけで、リアルに発声を聴いていたらさほど奇妙には思わずに、理解したのだろうと思ってます。
また、話が戻ります。(実は横道を覗きます)
語呂合わせというのがあります。 なれ1番の律令国家に、良い国作れ鎌倉幕府、意欲に燃えるコロンブス、恐れ入谷の鬼子母神、すべってころんで大分県、女が脚を痛めて・女が立てないのは当たり前、下ネタも縁起担ぎも、音を重視してます。英語でも語呂合わせ表現はあるようなのですが、https://note.com/spotspot111/n/n48c50f3e9f84 表記と読みが多様で音節というより一音づつバラバラに組み合わせる方式の言語の方が、言葉遊びには向いていると思います。「こうした特徴を持つ言語を使用する言語文化圏で」&「周囲で接触するのは単一文化の人ばかりで、意思や事物の指示伝達に言語が単純簡明であることを重要としなくなる社会状況が長期に続く」が重なると、言葉に求める機能・重要な要件が、{「異言語使用者が地域に多い」「国家や宗教、伝統、習俗がせめぎ合うことが時々あるため誤解を生む危険なことは避けるべきだという考えがある」ような社会で言葉に求める機能・重要な要件}とは違ってくる可能性があると思います。 日本の色の名前、月の名前、気候天気に関わる表現って、伝統的なのは複雑多様で、私にはわからないことが多々あります。 私には実用性を著しく欠く言語文化を発展させたとしか感じられないです。 なぜこうした方向に向かったのでしょう。(横道から戻ります)
安定した人間関係が続く社会であれば、もう即物的な情報交換手段であることを言語の重要な条件とはしなくなって、人心の機微・情・感性への影響が言葉の選択使用にとって大切な要件に上昇したのだと思います。そのことと、たまたま音が分離できる言葉・単語で同じ語を複数の音でも使用している言語であったことが相乗効果になって、西洋以上に、花言葉、季節の様相の言葉で事象や事物・物品・心情などまで代位(?)させる言語文化・修辞法()も発展させたのだろうと、想像します。 もう日本語文化では、メタファー・隠喩、メトニミー・換喩、シネクドキ・提喩、シミリ―直喩などと言い出すほどもない、当たり前の日常用語として定着していたのでしょう。
(本題に戻ります)
二重否定についての質問に対する回答で、何人かの人が、「二重否定の文章はよくない」というようなことを書いています。何人かの人が、「発話と応答の状況での、二重否定のようなスタイルの解釈」を書いています。
多分、書いた文章は単独で残り配布あるいは配達されるので、リアルタイムの面談で微妙な言い交わしを自在に変えることはできないだけでなく、そもそも客観性・一意明瞭性が重要な要件になるのです。
二人きりの会話で、うん、そうなの、でも、じゃあ、ね、はい にさえも多様な意味を持たせるような状況は、《自分だけでなく、相手の状況、自分に対するスタンス、いまの状況が、なんだか伝わる》ということを大前提になされることを示しているのだと、私は思います。 「そうなの」を単純な同意・承認の記号とだけ理解して「発話者の心情や事情にまで思いを馳せることのない人なのだ」と相手を読んでいる場合には、そのような言葉を発しないことが普通でしょう。 この親密な二人に似た状況が、日本の地域社会、職業集団、特定階層身分の集団の多数にあったのだと、私は思います。
京都の方の言葉をそのままに理解してはいけないという伝説がありますが、身振りだけでなく、定型的なフレーズであっても、米国や仏国と日本とで、言語翻訳したのでは意味を取り違えることはあるようです。
チキンは鶏のこと、お元気で・またお会いしましょうはただの挨拶、元気な人や・しっかりしてはるはその言葉の通りと思うけれど、違う言語文化の人もいるのです。
問題は、集団内で定型化した表現や解釈のことではなくて、その時々の状況で微妙に態度・表情・話しを変更したいというときに(つまり、状況に応じて度のようにでも対応を変えようという場合に)、どのように発話するのが妥当かということです。 話し出す前から方針が不変であって、相手の理解度に合わせて言葉や言い回しを変えるというような細目的な方法選択ではなくて、《相手の状況や事情、気持ちに合わせて、こちらの基本行動・方針選択も変更したいようなことが、この相手、この人たちとの間では、ある・それこそが大事だ》というようなことが頻発しやすい社会では、それに向いた・適合している・都合が良い表現法が開発され、多くの人に使われるようになるでしょう。
その一つが、二重否定と呼ばれる発話手法なのだと思います。
{「否定の否定だから肯定」それが二重否定}のように理解することが、そもそも違っていると、私は思います。
会話の手法なのです。単独で理解するべきメッセージではない。
「~しないわけにはいかなかったよね」は、相手の反応を探り、その状況で自分の次の対応を決めていくための会話の手法です。「だって、しょうがないじゃない」と返ってきたとき、「でも、++しなきゃいけなかったんだ」と返ってきたとき、「だって、***だったんだもの」と返ってきたとき、その返しや声の調子、表情を判断して、自分の次を決めるという、人としての生き方・人への接し方の知恵なのだと、私は思います。
言葉の問題は、単純ではないです。 この10年間でも、十代、二十代、四十代、七十代、高収入者、貧困者、集団活動の多い者・個人として生き他人とのつながりがとても細い者、いろいろの区分でみても、同じ日本語文化とは言っても大分違いがある状態になっていると思います。 流行語やカタカナ語でなく、ごく普通の日常会話の言葉や用法でも、違いは広がっていると思います。
二重否定を、論理的にしか理解しないような人もとても多くなってると思います。
推敲もしていない難解な文章を人に読ませているとすると……それはどうかと思います。
当方もほとんど推敲はしていないので偉そうなことは言えませんが。
横道が多いので、本題に絞ります(個人的には横道や寄り道は大好きですが……)。
>{「否定の否定だから肯定」それが二重否定}のように理解することが、そもそも違っていると、私は思います。
繰り返しになりますが、二重否定は2つに分けて考えるべきでは。
「しない人はいない」=「みんなする」のような二重否定は「強い肯定」でしょう。
「したくないわけではない」は、意味的には肯定になるかもしれませんが、いろいろな含みがあると思います。
No.6
- 回答日時:
「したくない、わけではない」
誰かに言われるままで、したいとは思わない(したくない)
でも、内容としては、興味はある、何等かの方法でやるでしょうね。
NO7は倫理のための倫理を展開する自前の土俵の中だけで通用します。
言葉にはすべて意味があります、と言っていました。
例、品詞で「助詞」文字通り助ける言葉、助詞自身は明確な意味を持ちません。
いったん自分の土俵の外では、根拠も示さず相手を貶めることしかできません。
むしろNO6のほうが理解は可能です、んが多少癖があります。
否定、すれば肯定、この取らえ方がどうなのか?と思います。
例、敵の裏をかいて・・・・・・。
考えること皆一緒、だからさらにその裏をかいて・・・・。
なんのことはない、無策のままでの正面突破と同じですね。
現代では、プロパガンダによる情報合戦、その他方法は多岐にわたりま
す。
白黒スキャナではなく中間の灰色も含めて、さらには天然色での表現も・・。
そう考えるとき、目は口ほどにものを言い、ではないが言葉による表現のみではなく、その時の状況によっても発言者の言いたいこと、本心を察する必要があるということです。
言葉、文字のみによる二重否定は敵の裏の裏のさらに今一つ裏をかいて・・・。
下手な考え休むに似たりですね。
法律の文章は何時、だれが読んでも、全く、同じ意味で理解される必要があるらしいです。
ロッキード裁判、「よしや、よしや、と言って・・・・」何を言っているのか理解できませんでした。
なんのことはない、被告の口癖「よしゃ、よしゃ」のことだったんですね。
結論、否定は単に否定するだけ、それ以外だから対象は多岐にわたります。
否定だから肯定、と反対の意味ととらえるからややこしくなります。
例、「あなたのことは嫌いではない」と言われてあきらめる必要ありません。
しめた、ならば、まず嫌いと意識してもらおう・・・もありなんです。
コメントありがとうございます。
>自前の土俵の中だけで通用します
それは「他者には通じない」という意味でしょうか。
ヒトサマのコメントを批判する場ではないので、パスします。
>否定だから肯定、と反対の意味ととらえるからややこしくなります。
>例、「あなたのことは嫌いではない」と言われてあきらめる必要ありません。
>しめた、ならば、まず嫌いと意識してもらおう・・・もありなんです。
どういう意味でしょうか。
No.5
- 回答日時:
二重否定に限らず、言語表現は、部分だけを切り出して意味を限定しようとすると、元のコミュニケーションの発信者の意図、その発信を受信し理解する側の理解と、別物になってしまう危険が高いです。
「結構です」のような文でも、了解の場合も、拒絶の場合も、承認判定の場合もあるのです。
二重否定の使用を控えるのであれば、発信者の意図を受信者が誤解する危険が高い"場合がある"という認識に立っているのでしょう。
例えば、A:買えないこともない
これを発信する人は、政治的?交渉をしているつもりで、追加条件の提示をするようにと相手に誘いをかけているのかもしれないです。
単に買うか、買わないか、買う気があるかないかという点で読み取ろうとするというのは、言語というものの重要な役目を忘れているのです。
Aを二重否定の状況を止めて、肯定文に変換してしまったら、話にならないことになります。 あけすけな要求提示とか、単純な受諾や単純な拒否をしないために二重否定のような手法があるのです。
単純な推奨、賞賛、だめだし、欠点をあげつらうような文であっても、コミュニケーションでは、受信側は正確に意図を解することが多く、文章面で解するのは子供かコミュニケーション障害の傾向があるような人物です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
⑦-3 形式論理的に「したい」か「したくない」の二者択一ではなく、現実にはどちらとも言えない気分、情態があり、そのニュアンスを表すために「したくないわけ」という想像の世界を設定するという認識上の屈折が、ストレートな「したい」「したくない」という単純な希望、否定ではない気持ちが、表現の相違となっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ぼくがしたくないわけないじゃないか」のような返事は、「ぼくはしたいです」「ぼくはしなくないです」という表現には置き換えられない心情を表現しているのです。 この彼氏の返事の背景にある事情を思い浮かべることができないようであれば、二重否定どころか、微妙で複雑な心情や事情を理解させようという試みそのものを止めざるを得なくなります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
⑦-4 二重否定は形式論理的な展開の文脈に現実の複雑、立体的なあり方の認識を持ち込み混乱を招くことになります。
⑦-6 単なる修辞の問題ではなく
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
比喩・換喩など修辞・レトリックも、ただの記号論理で明らかに単純化させる方法をとらないことで、「了解性を高める」方法です。 言語使用の文化が異なる人との間では、直裁で簡潔明瞭な方法をとることが多くなりますが、それでは人間同士のコミュニケーションとして非常に不都合になると感じる人が多いから、修辞法が発達してきているのだと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
⑥-6 二重否定の働きには「強い肯定」と「婉曲」があるようだ。
⑥……論理的には 「したくないわけではない」=「したい」 かもしれませんが、「したい」にもいろいろな段階があります。 そのあたりを表現するのが〈●「婉曲」を表わす二重否定 〉なのでは。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
段階があるのを婉曲に示すという理解もあるのでしょうが、程度・段階・強弱を示すためということよりも、単純化ですべきではないという多くの要素・事情・志向性・感覚・感情・しがらみなどがあることを相手に積極的に気付かせるために、二重否定が扱われることも結構あると思います。
婉曲というと、無碍・直裁表現を和らげるという印象が強いですが、「複雑性・多視点・諸般の事情の総合」に気付かせることが重要とみているときの表現法だと思います。
コメントありがとうございます。
>「結構です」のような文でも、了解の場合も、拒絶の場合も、承認判定の場合もあるのです。
そのとおりですね。
現在下記の質問が出ています。
【「結構です」や「大丈夫です」はどうして反対の意味を持ち合わせているのですか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13681608.html
⑦-3などの数字は前問のコメントNo.と段落数ですかね。
>「ぼくはしたいです」「ぼくはしなくないです」という表現には置き換えられない心情を表現している
そのとおりでしょう。
それをなぜあんなふうに意味不明の書き方をするのかさっぱりわかりません。
〈「したくないわけ」という想像を「で」と肯定判断したあと〉ってなんですかね。
フツーは、したくない+わけではない、と考えるものだと多います。
それならば下記を見れば済むことでしょう。
https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/17323/meaning …
⑦-4/⑦-6も書き方が難解すぎて。
>単純化ですべきではないという多くの要素・事情・志向性・感覚・感情・しがらみなどがあることを相手に積極的に気付かせるため
「婉曲」とか「曖昧」と書きましたが、「単純化ですべきではない」が適切かもしれません。
まあそういうことです。
そちらの二重否定は許容されてもいいような。
No.2
- 回答日時:
> 「したくないわけではない」と書くと、「したい」と言う意味ですが、
理系の私としてはこれは間違いで、
「したくないわけではない」は「したいわけではない」が「したくないわけでもない」という意味です。
つまり、「したい」と「したくない」の二つの集合 以外にもう一つ(あるいは二つ以上の)別の集合があってそれを表しているということです。
コメントありがとうございます。
>> 「したくないわけではない」と書くと、「したい」と言う意味ですが、
>理系の私としてはこれは間違いで、
当方もそれは違うと思います。
一般に二重否定は、
「こうしない者はいない」〈=みんなこうする(に決まっている)〉
みたいな形で、強い肯定形でしょう。
「したくないわけではない」は
「婉曲」や「曖昧」を表わす二重否定で、積極的に「したい」わけではないでしょう。
詳しくは「前問」のNo.6をご参照ください。
【「二重否定は肯定」なものの、ニュアンスが異なる理由は】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13631093.html
No.1
- 回答日時:
10/21 に質問された方は 理系の学生さんですよね。
従って NO7を BA にしたのでは。
他の複数の方も 質問者が 理系であることを 意識していると思われます。
NO6 の方の回答は 文系の視線ですよね。
その人の 考える視点で 変わってくるのは 自然なことでは。
個人的には 理系的な考え方を 支持しますが。
コメントありがとうございます。
>従って NO7を BA にしたのでは。
理系の方はあれがフツーに理解できるのですね。スゴいですね。
当方はチンプンカンプンです。
書いてあること自体はそんなにむずかしい内容ではなさそうですが。
>個人的には 理系的な考え方を 支持しますが。
具体的にはどういうことでしょうか。
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