プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

日本で水田稲作が始まったのは
1.気候が寒冷化したからですか?
2.あるいは、温暖化したからですか?

A 回答 (8件)

寒冷化が稲作をもたらしました。

 地球の気候は一定ではなく寒冷期と温暖期のサイクルを繰り返していますが、そのサイクルが人々の生活に大きな影響を与えて来ました。
例えば一万年以上前の「ヤンガードリアス寒冷期」では、気候の寒冷化によって狩猟・採集による生活ができなくなってしまった為、代わりに農業が始まったと考えられています。
その次の温暖期に日本で狩猟・採集や原始的な農耕が発達、そのまた次の寒冷期(紀元前1500年頃)に狩猟・採集が難しくなり農業生活に移っていきました。

水稲耕作は、秦の始皇帝の圧政や楚漢の動乱から逃れ日本列島に流入した「渡来系弥生人」によってもたらされた、という見方があります。 寒冷化が中国の動乱を生み出し、それを機会に日本に水稲耕作が伝わり、日本は縄文時代から弥生時代へと移行していったのです。

稲作が日本列島に伝わったルートは諸説ありますが、考古学や植物学などの分野では「中国・江南地方説」が有力視されています。
稲作の起源は現在の中国・雲南省とされていますが、そこから朝鮮半島は経由せずに海を渡って来たと考えられています。
また、当時の中国大陸は戦乱の真っただ中だった為、戦乱を避ける為に対馬海流に乗って海を渡ったという説もあります。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<寒冷化が稲作をもたらし>たのですね。
この寒冷化に関しては
1.動乱による中国人がきた。
2.寒冷期(ここでは時期は棚上げにしますが)のせいで狩猟・採集が難しくなり農業生活に移っていきました、ですね。

お礼日時:2024/03/29 20:55

気候関係なし。

東南アジアから、稲の種と耕作のノウハウが伝わったからでしょう。
元々、温帯地域向けの植物ですが、明治以後、品種改良の結果、北海道でも稲作が可能になりました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答がとうございます。
<気候関係なし>ですね。

お礼日時:2024/04/01 12:57

> 日本で水田稲作が始まったのは



縄文時代中期だそうです。
https://www.joumon.jp/%E3%82%86%E3%82%89%E3%81%9 …

縄文中期は温暖期とされていますが、寒冷化が始まったことが稲作を促進した可能性をいっている人もいます。
https://agrmet.jp/wp-content/uploads/2023-A-1.pdf

でも、寒冷化も、温暖化も関係がほとんどなく、大陸から移動して来た人たちが稲作を食糧確保の重要な方法にしていたことが原因で、稲作がたまたま可能だったことと、稲作が他の方法よりも確かな食糧確保の方法だったということでしょう。当時の列島の多くでは、気候が寒冷化して栗や椎、胡桃などの堅果類の生育に不向きになり堅果や漁猟、狩猟では充分に食糧が確保できなくなって、逆に、日向水を利用する水稲が好都合だったということもあるかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<気候が寒冷化して><堅果や漁猟、狩猟では充分に食糧が確保できなくなって><稲作を食糧確保の重要な方法>になったのですね。

お礼日時:2024/03/30 12:46

日本には稲作は伝わってきたものなので、気候はあまり関係ないというのが本当ではないかと思うのですが、関係あると考えるとするなら寒冷化したからとなります。


縄文海進といって縄文時代には今より海の水位が高く今より内陸まで海が入り込んでいましたが、これは世界的に温暖であったためと考えられています。

すこし時計の針を巻き戻して1万4千年前の最終氷期が終わったあたりからの話をすると、氷期が終わり間氷期となって暖かくなり狩猟採取をしていた人類も増えていったのですが、8千年前くらいに米国大陸のアメリカ大陸の氷河湖が決壊し大量の真水が海に流れ込んだため、海洋循環が止まり一部の地域がまた寒冷化したと考えられています。このとき狩猟採取していた人類にとって、今まで取れていた木の実が取れなくなった、今まで獲れていた獲物が獲れなくなった、といったことから、自分で種をつける植物を育てる、自分で肉となる動物を飼う、といったことをやり始めて、これが農耕と牧畜の始めと考えられています。

話を日本にもどして、縄文時代の終わりごろに人口が 1/5 くらいになったのですが、これが寒冷化のためだと考えられています。それまで狩猟採取で十分に養えていたものが出来なくなったので、いわば仕方なく取り入れたのが農耕、つまり稲作だったとも言えるでしょう。実際に多くの種類を食べていた縄文人のほうが、米に依存した弥生人より栄養バランスは良かったようです。それはともかく、おそらく寒冷化のために人口が激減し、背に腹は代えられぬと取り入れたのが稲作などの農耕であったようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
多くの種類を食べていが、寒冷化のせいで狩猟採取だけでは生存できなくなり、<仕方なく取り入れたのが農耕、つまり稲作だった>といえるのですね。

お礼日時:2024/03/30 12:42

色々な穀物が大陸から伝わった時、温帯ジャポニカという水稲品種が日本の気候風土に合っていたからです。



収穫パフォーマンスが良い。
まいた種の量と収穫した量を比較すると、小麦は約5倍、稲は20倍以上

こうなるのは、水稲が太陽エネルギーの変換率が非常に高い事と、毎年同じ水田で収穫出来るから。
他は、土地が痩せるから収穫パフォーマンスはどんどん下がります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速おご回答りがとうございます。
稲は南方起源ですから、<気候風土に合っていたから>とは、温暖化によるものと読み解きました。

お礼日時:2024/03/29 20:57

稲は南方起源の植物なので、寒さに弱いです。


また、稲作には水田や用水路や排水路を作る土木技術が必要です。そういうのが一体となって伝播して来ることで、はじめて稲作が可能になります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<稲は南方起源の植物>ですので、温暖化によるものと読み解きました。

お礼日時:2024/03/29 20:48

フィリッピンなどから船に乗って稲作をもって民が来たからです


300年には小畑川流域に稲作が広がりました
縄文時代にはすでに気温は安定していますしその前から人は住み始めています
    • good
    • 0
この回答へのお礼

寒冷化?温暖化?

お礼日時:2024/03/29 20:46

水があり、稲作に適した気温だから、と言う事です。


温暖化の影響は、今はその地域が北上していること、になります。

稲作は、水田ではなく、陸田でも可能です。
水が必須と言う事ではなく、気温のほうが重要、と言う事でしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速おご回答りがとうございます。
稲は南方起源ですから、<稲作に適した気温>とは、温暖化によるものと読み解きました。

お礼日時:2024/03/29 20:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A