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イスラエルとハマス
なぜ
戦争になったの?

A 回答 (11件中1~10件)

戦争なんかしていませんが?


戦争とは国対国でルールに則って行うもの。パレスチナは国ではありません。
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シオニズムという合法的な侵略が全ての原因ですね。

第二次大戦のプロ被害者で国連の悪いところが前面にでた感じですね
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ロシアがハマスの幹部に大金を渡したからです。



だからハマスの幹部はドバイの高級ホテルで支持を出していますよね
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アラブ人が住んでいたパレスチナに


ユダヤ人が押し寄せ
イスラエルという国を作って
しまいました。

住んでいたアラブ人達は
怒ります。

それで、4回も戦争をやった
のですが
米国の援助を受けたイスラエルが
全勝。

それで、戦争じゃ勝てない、という
ことでテロに走ります。

昔は、PLOという組織が頑張っていた
のですが
失敗続きで、しかも指導者が死亡したりして
力を失います。

その代わりに台頭してきたのがハマス
です。

前から、イスラエルとハマスが揉めて
いたのですが、
サウジアラビアがイスラエルと仲良くしそう
になったので
それをやめさせようと、ハマスがテロを仕掛けた
のです。

これは、スキャンダルで追い込まれていた
イスラエル首相にとって絶好のチャンスで
これを機会に、名誉回復
ハマス殲滅、ということで戦争しているわけです。
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ワルシャワゲットー蜂起と同じです。


イスラエルによる日常的な虐待虐殺略奪などの「芝刈り」に追い詰められて耐えられなくなったハマスが蜂起したのです。
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ユダヤ王国は約3000年前~2400年前まで、現在のイスラエルの地の支配者でした。


その後ユダヤ帝国はアッシリア帝国(現在のシリアからエジプトも含む)に滅ぼされますが、人民はそのままそこで暮らし続けます。
一部はエジプトなどに奴隷として連れて行かれますが・・・

パレスチナ人はパレスチナ地方に住むアラブ人でしたが、ユダヤ教を信じるパレスチナ人はユダヤ人として生きる人達もいます。

Wikipediaより、
紀元前587年 - 539年 新バビロニア王国
紀元前539年 - 332年 アケメネス朝ペルシア帝国
紀元前332年 - 305年 プトレマイオス朝エジプト
紀元前305年 - 141年 セレウコス朝シリア
紀元前141年 - 63年 ハスモン朝 ユダヤ人国家。
紀元前63年 - 37年 共和政ローマ元老院属州
紀元前37年 - 紀元44年 ヘロデ家
44年 ユダヤ属州(ローマ帝国皇帝属州)
44年 - 93年 ヘロデ家
44年 - 395年 ローマ帝国皇帝属州
395年 - 634年 東ローマ帝国
634年 - 1516年 カリフ諸王朝 途中に十字軍国家の時代を含む。
1516年 - 1917年 オスマン帝国 
1918年 - 1948年 イギリスによる国際連盟の委任統治 
1948年 -     イスラエル国(メディナット・イスラエル)成立 共和政国家の樹立、現代に至る。

ユダヤ人とパレスチナ人は、長い歴史の中では仲良く共存して生きて来ました。
しかし、世界中に散らばっていたユダヤ人を国連(特にイギリス)が建国を認めた為に、そこに住んでいたパレスチナ人達の住む所が無くなったのが、争いの元になっています。

ちなみにキリスト教もイスラム教も、元を辿ればユダヤ教です。
そしてイエス・キリストは、敬虔なユダヤ教徒です。

日本でも東本願寺と西本願寺が無残な殺し合いをしていますが、同族同士の争いは執拗で悲惨なものだと言う事です。
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ハマースがイスラエル領に侵入して、殺人、破壊、放火、誘拐といったテロ行為を行い、ガザ地区に逃げ込んだから。



現在の事実肯定ができないパレスチナは「イスラエルの生存権を認めない」が国是だったりする。過去全てのアラブはパレスチナと同じだったけど、エジプトやヨルダン、モロッコあたりは方針を転換して講和した。

攻め込んでみれば、病院や学校、難民避難所など非武装でなければならない場所の地下に基地や兵器貯蔵所を設けているという、ハマースの著しいハーグ陸戦条約違反が判明。
それを攻撃するイスラエル軍も対民間への被害が大きい場所を攻撃するというハーグ陸戦条約違反で対抗。
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宗教というのは実は言い訳。


ナチスのユダヤ人に対するホロコーストは知ってますよね?

第二次大戦後に連合国がドイツなど欧州各地からユダヤ人を移住させ、パレスチナとイスラエルの2か国を作ることを決め、ユダヤ人の国とパレスチナ人の国を作ることになった。
パレスチナの人達は元々生活していた土地を奪われ、加えてイスラエルは領土拡張のため「入植地」を拡張し、武器とブルドーザーでパレスチナ人の追い出しにかかった。
パレスチナ人たちは周辺のアラブ系諸国に支援を求め、第一次中東戦争が勃発。
パレスチナ人は難民化し、貧困と戦火の苦難を強いられることになった。
アラブ連合(エジプト・シリア)とイスラエルの間で第三次中東戦争が勃発。
イスラエルは米国の支援を受けアラブ連合に圧勝し、ゴラン高原、シナイ半島を支配。
国連安全保理事会はイスラエル軍のヨルダン川西岸、ガザ地区からの撤退を求めたが、イスラエルは拒否。

イスラエルは西岸・ガザ地区への「入植地」を次々拡張し、パレスチナ人の人権を認めず迫害と抑圧で支配した。
パレスチナ人の積年の不満から、ガザ地区の難民キャンプで投石によるイスラエルの抑圧への抵抗運動「インティファーダ」が起こった。

イスラエルが銃器を以って鎮圧を強行したが、投石に対する洗車と機関銃での無差別攻撃はあまりに人権無視であると、ノルウェーが仲介に乗り出し、 パレスチナ暫定自治を内容とする「暫定合意条約(オスロ合意)」を調印。
ガザとヨルダン川西岸でパレスチナ自治が始った。
その自治を担ったパレスチナの統治組織のひとつがハマス。

自治区間での反イスラエル運動の連携を警戒したイスラエルは自治区を細分化し、自治政府は機能的に極めて脆弱でパレスチナの経済発展を阻む要因でもあった。

パレスチナ側はイスラエルによる抑圧が続くことに不満を募らせ、武装しイスラエル入植者を追い出そうという動きが活発化し、近隣諸国から武器援助を受け、武力衝突が激しくなった。

依然としてイスラエルは軍事力ではパレスチナを遥かに凌駕していたので、地下道を巡らせてゲリラ戦でイスラエルに対抗。

米国トランプ米大統領が、イスラエル米大使館をテルアビブからエルサレムに移し、米国政府からUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)への拠出金を停止し、国連活動が制約された隙にイスラエル軍のガザ攻撃を強化。
アメリカ・トランプ政権がイスラエルのパレスチナ抑圧を支援したことで難民の生活はいっそう窮地に追われ、ハマスがそれに対抗するためにミサイル攻撃を行った。

かなり端折ってますが、そんな経緯。
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超短期の話でいえばハマスがイスラエル領土内にテロ攻撃をしたから。



もう少し長いスパンで言えば、ハマスはパレスチナ人のテロ組織でパレスチナ人は「イスラエル建国で自分達の土地を追い出された」と思っているから。

さらにその経緯を詳しく書くと、イスラエル建国は戦後の事で、戦時中ユダヤ人の協力を得ていた連合軍、特にイギリスとアメリカがユダヤ人たちに「母国を建国する協力」を約束し、戦後にイスラエル建国を実行に移したことに始まります。

その際、イスラエル人じゃない人たちは追い出されて今のパレスチナ自治区に追いやられ、その結果様々なテロ活動がずっとつづいていたのです。

そのテロ活動を主導していたのはパレスチナ解放戦線(PLO)という組織で、実は21世紀に入ることに一旦「パレスチナ自治区の自治を認める」ということで、PLO自治政府とイスラエルの間で合意ができていたのです。

しかし、PLOのやり方に納得がいかないパレスチナ人過激派がハマスというテロ組織を作ってテロ活動を継続し、このハマスを追い込むためにイスラエルもパレスチナ自治区に対して経済封鎖したり攻撃したりすることが続いていたのです。

さらに歴史レベルの時間で見ると、そもそも「なんでイスラエル人もパレスチナ人もあのあたりの土地にこだわるのか?」という問題があります。

これは2000年ぐらい前まで、イスラエルの首都エルサレムが《ユダヤ人の土地》だったことに由来します。エルサレムは3000年ぐらい昔にユダヤ人の王国があり、それが滅びた後も王国の跡地が残っていて、その周辺にはユダヤ教の重要な寺院があったので、ユダヤ人は2000年前までそこに住みユダヤ教を信じていったのです。

しかし2000年前に当時地中海全体を支配していたローマ人とユダヤ人は戦争状態になり、負けたユダヤ人は世界各地に散り散りになってしまったのです。

そこからユダヤ人はずっと「エルサレムに再度ユダヤ人の国を復興する」と思っていて、それが実現したのが2000年後だったのですが、当然2000年間の間にエルサレム周辺に住みついた人たちがいて、彼らはイスラム教の信者になっていたのです。
 そしてユダヤ教とイスラム教は同じ神を信じているので、エルサレムにはイスラム教の重要な寺院なども存在し、イスラム教徒にとっても「すごく大切な俺達の土地」になっていたのです。

ということでユダヤ人がイスラエルを建国するとイスラム教徒であるパレスチナ人は大切なエルサレムから追い出されることになり、その結果「俺たちの土地を取り戻したい」パレスチナ人と「やっと自分達の土地を取り戻したので二度と手放したくない」ユダヤ人の間でずっと戦争が続いている、のです。
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アラブ人が住んでいたパレスチナの地に、70年前にユダヤ人がやってきて旧約聖書を手に、ここは神がユダヤ人に与えた土地だ、4000年前にユダヤの国があった、と言ってイスラエルを建国したからです。



常識的に考えて、そんな理屈が通るはずがないです。
たとえば東北に、ある日突然、ここは阿部一族の土地だといって見知らぬ人がやってきたり、北海道の町にアイヌの人がきて、出ていけ、ここはアイヌの土地だと言ったら?
認めるわけにはいかないですよね。

ところがイスラエルは軍隊連れて来て、家に火をつけアラブ人を追い出したんです。
イギリスもそれを認めて手を貸した。

それがすべての発端です。
日本は西側の一員でユダヤ系マスコミが入ってるので、この歴史上の事実はあまり報道されません、誰でも知ってることなのに。

70年前、イスラエルにシベリアあたりに建国させていれば、パレスチナはこんなことになってないです。
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