好きなおでんの具材ドラフト会議しましょう

「お客様は神様」という考えを持ってない人。
以前、主人は大家さんとケンカになりました。
大家さんは「お客様は神様」という考えがなく、「むしろ家を貸してやってるんだ!有り難く思え!」というような態度でした。
で、結局、主人はそれが気に入らず、引っ越すことになりました。
引っ越してから、何年もそこに新しい入居者が入ってないのは、近所だから主人と見てわかっています。
結局、大家さんは「お客様は神様」という考えがないことで、大損をしたわけです。何百万も損をしたはずです。

本日、私が整体師さんに向かって「あなたのところに通って半年だけど全然良くなった実感がないんですけど???」と言ったら、整体師さんがブチ切れて「良くなるのに年単位かかるって何度も言ってるのにわからないんですか?」と怒り出しました。続けて整体師さんは「お客様は神様だなんて思わないですもん!」と突然言いました。
(ちなみに、私から「お客様は神様だろ?」と言ったわけではありません)
結局、今日でその整体は辞めることにしました。他のクリニックに行くことに決めました!

そこでふと思ったのですが。
「お客様は神様」という考えがない人って、結局「売り上げは低くなる」。
結局、「お客様は神様」という考えがある人のほうが「売り上げは上がる」のかな?って。

質問者からの補足コメント

  • 私は「お客様は神様」だとは言ってない!

      補足日時:2024/06/07 21:14

A 回答 (30件中1~10件)

そりゃそうでしょ、誰だって良くされたら嫌な気分はしない。


むしろ好意を持ってしまう。

客あっての商売だから、冷やかしでも嫌な客でも来てくれるだけで有り難いと思わなければ上手くいかない。
下手な鉄砲数撃ちゃ当たる精神が商売の鉄則。
    • good
    • 6

商売人も、お客側も、驕り高ぶりは良くありません。



商売人は三方良し、または四方良しの精神で。

三方良しは、売る側(商売人)も、買う側(お客様)も、世間も安心して喜べる商売をすることが理想。

四方良しは、それプラス、天から眺めている神様もそれをうんうんと喜んでくれるような商売をすると言うこと。

そして、お客さま側は、お客様側で、金さえ払えば「買ってやってるんだから」と、威張り、ふんぞり返っていて良いと言う訳ではなく、自分では到底作れないもの。なし得ない物。一から作る訳にはいかない便利なものを適切な価格で売って貰えていることに感謝しながら、買うのがよろしいのだと。
    • good
    • 6

お疲れ様です。

とても良い質問だと思いました。他の方の回答にもある通り「お客様は神様です」と言う言葉は昭和時代に流行したもので「ある歌い手」がファンに向けて述べた感謝の言葉です。流行語の一種であって言い伝えでも格言でも諺でもありません。

以下は長いので興味があればお読みください。

商売に限りません。基本的には、

「誰にも自由選択が許される環境で『どんな性質を持つ人』を
 集めてしまうのか? 集めるべきなのか?」

と言うテーマに集約されます。

闇雲に数を集めようとするのは良く無いとされています。例えば「モテたい」という気持ちは宜しくないという事です。「集まった人たちの性質」によっては「集めた人」や「集まった人同士で不幸が起きる」からです。人を集める以上は「自分が制御できない集団」に成らない様に最初から設計して置かないと行けないという事です。

「全ての人が良い人とは限らない。誰もが良い人と接したい
 と思うはず。つまり限られた良い人を奪い合う競争である
 と認知しないと行けない」

暗黙の了解なのですが、言葉にしてハッキリと自覚している人はいないかもしれません。また「生まれた時から良い人」と言うのはいません。赤ん坊の状態のまま大人に成れば自分でトイレも出来ません。そういう人を良い人と言うことは無いでしょう。つまり「成長によって」良い人に成っていくわけです。しかし「途中で成長を止める」「悪い方向に成長してしまう」と言う場合もあります。

大別すると、

・成長しようと常に心掛けている人
・成長しようと心がけていないが何となく成長する人
・他人に求めるばかりで成長を止めた人
・他人から得られないと怒り、八つ当たりをする人
・他人は道具や餌のようなものと考える異常な人

と分類できます。皆さんもこれらのどれかに当てはまるはずです。一番最後の人を集めてしまうと大変な事になりますね。

では皆さんがいう「良い人」とは上の大別のうちどれに当たるのでしょうか?

言葉で書いてしまうと一番上の人の事だと誰もが分かります。そして「自分の周囲の人はそう見えない?」と思うはずです。そして自分の位置づけは2番目くらいだと思っているでしょう。

「自分の位置づけをどれだと思ってもいい。しかし自分
 より上位の人が集まってくることは無いのだ」

結局は「一番目の人同士が集まって高め合う状況」以外は地獄に成ります。そういう集まり(二番目以降の人達が集まる)は最初はイイ感じで始まります。互いに気を使い良い関係が出来上がります。しかし段々とギスギスとしてきて誰かから愚痴が出て来るものなんです。ここまでの経過時間は意外と長く「普通にやれていた」と思ってしまうはずです。しかし実際は出会った瞬間から詰んでいたのです。

「成長しようと心がけていない人は他人に譲る事に抵抗
 感を覚えてストレスをためる。そういう人がストレス
 を発散させる瞬間に傷つけあうからだ」

ライトノヴェルの優柔不断な主人公であっても2番目の設定何です。その人が何となく成長するストーリーなので人気があります。しかし実際はそうならないので「ご都合主義」と批判されるわけです。と言う事は「成長しようと常に心掛けている人」以外は必ず不幸になるという事です。

そして自分を不幸にするのは自分が選んだ人であり自分を選んだ人なのです。同じ選び選ばれるのならば「成長を心掛けている人」が対象でないと意味がなく、その他は遠ざけたほうが良いわけです。

「要約すると常に成長を心掛けている人だけを対象とし、
 そういう人だけを集めるように戦略を練ることが幸福
 になる基本メタなのだ」

基本(常に成長を心掛けている人だけを集める)がわかったとして次に何に気を付けるべきか考えましょう。

ここでは「自分の成長を趣味としている」「自分の成長をとやかく言われるのが凄く嫌だと感じている」という相反する二種類の人が居ると想定します。そして互いに「自分の感覚の方が正義」と思っているはずです。

「つまり、誰もが重要視しない他人の言動や行動の中に
 ヒントが含まれており、関係を深める前に詰み筋か否
 か分かるはずなのだ」

成長を重要視していない人の性質は明らかです。

・他人の是非を簡単に述べてしまう
・人は変われないという感覚を持っている
・自分が選ぶ側でしか精神を健全に保てない
・善悪や正しさ等に拘って論法を作る
・自分の感じ方に強い自信を持っている
・上記部分を指摘されると激しい怒りを感じて敵視する

成長が前提にないのですから「変われない自分」について常に悩んでいるはずです。自分の性格も含めて運が悪いと思っているはずです。そして「その(自分の)悪さ加減」を指摘されれば「差別発言」と思えるわけです。一方で「今は仕方ない」として「成長すれば良い」と思っている人にとっては敵視するほどの内容では無いんです。

そして皆さんが本当に腹を立てるときを考えてみます。

「長い目で見て損をする事が分かって居るのに今の感情を
 優先してすべてを台無しにする人」

に出会った時ではないでしょうか。
質問者さんが腹を立てている内容もこれに当たります。

「つまり要約すると成長を心掛けておらず、今の自分の
 快楽を優先する人に出会った時や目撃した時だ」

では曖昧な言葉である「成長」とは何か? いったい何に気を付ければ良いのかとなります。成長して何が良いのよ? と思えたらヤラナイ方が良いわけです。苦労をして得るものが何なのか? を知って置くのは重要です。

2,000年以上前に一つの提案がされました。

「道徳では『他人が抵抗できな強力な魅力(人間の本能)』
 について解析し、その成分を5つ抽出(五常)している。
 太古の王が使用したものであり、臣下は命がけで従った。
 魔法のような魅力を発揮する要素が5つあり、これを使
 えば誰であっても強力な魅了の技を使える」

と言う事です。

漠然と「成長」と言ってしまえば曖昧過ぎます。そこで「目的は他人が自分に抵抗できないくらい自分に魅力を感じる状態を目指す」とします。これを成長の目的としませんか?というのが「道徳」です。なので他の人に好かれたり尊敬されていない人は「道徳」を活用していないとも言えます。

人が本能的に抵抗できない要素として「思いやり(仁)」「公平性(義)」「他者の尊重と感謝の姿勢(礼)」「博識や快活など能力の高さ(智)」「裏切らない人・付き合いの良さ(信)」があります。

一般に友人に求めるものは仁と信でしょう。これだけ(2つの要素)で一生の友なんです。5つも優れて居たらカリスマになって当然です。

では大家さんと大企業(例えば家電メーカーとかの対応)で比較してみましょう。5つの要素で大家さんが勝つ部分はあるのでしょうか? 道徳は企業規模にまで影響するのです。商売繁盛の秘訣はモラルが第一にあるという事でしょう。

成長を「自分の五常強化」という言葉に置き換えてみましょう。

「『常に自分の五常を強化』しようと心がけていない人と
 出会って関係を含めても詰み筋である。五常強化を意識
 的にやっている人を奪い合う競争なのだ」

となります。

ではどういう方法が有効なのでしょうか?

出会いは限られています。なので無限にリセマラできません。当たりの確率が高いところで出会いを求めるしかありません。そういう人が集まる場所を探すか作るかして飛び込むのが良いはずです。その逆は意味がないのです。

「自ら他人を集める場合」も「自らが飛び込む場合」も五常強化を意識してアピールする事が大事です。大事だと自覚している人は必ず気づきます。そして珍しいと言って大事にしてくれるはずです。

人を集める場合は、

「相手の事情をしりましょう。相手の立場で仕方ないと思
 える部分を探しましょう。その他の部分が法やルールに
 沿っていない場合は助言しましょう。同じ人間として出
 会いに感謝しましょう。対等な関係で知識を交換して助
 言しあいましょう。少しくらい損をすると思っても一緒
 に過ごしましょう。リセマラ時間でも年を取るからです」

と言う告知を前面に出し、

・他人の是非をコメントしない
・人が成長する事を前提として今をどうこう言わない
・自分も他の人に見られていると意識し緊張に慣れる
・善悪や正しさより成り行きや結果(未来)を重んじる
・自分の感じ方を観察して固定化されていないか確認する
・上記部分での悪さを指摘されたら「自分の成長を願っている人」
 か否かを識別する。そうじゃない人は無視をして、そうである
 人を大事にする。

と言うスタイルで他人と接する事です。

「お客様は神様である」という発想は自分への戒めとして使えますが、成長を嫌う客を集めてしまう場合もあるでしょう(カスハラに結び付く)。人を集めるときには「五常重視」をアナウンスし「(それに対して)居心地が悪い」と思う人を先に追い払う事が必要なのです。

そして自分の感じ方を優先しすぎると「当たり濃厚のグループ」から追い払われている事にも気が付けないものです。そういう時は「他人に求めすぎていなかったか?」と一旦頭をリセットしましょう。

同じ大人として相手に甘えていた部分があれば反省しましょう。好い気になっている自分は格好悪いでしょ。「お客様は神様です」という言葉は「お客の方が使った時」(その客が)人の道を外れてしまいます。そのため道徳が重宝されていた当時であっても「扱い辛い考え方」とされていました。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 6

そういう人もいればそうでない人もいます。


お客様以前に人間は神にでも悪魔にもなります。
ただそれだけのことです。
    • good
    • 6

回答を見てると


首をかしげたくなり
投稿しました
お客様も他人様にも
頭も腰も低くですね
    • good
    • 6

>「お客様は神様」という考えがある人のほうが「売り上げは上がる」のかな?って。


誠に浅はか・・・?。
「豚もおだてりゃ木に登る」対人関係を含むお金儲けに限定すれば、あなたの考え方になるんでしょう。
「お客様は神様」ではなく、豚もおだてりゃ・・のごとく、神様扱いして、おだてあげてやれば・・・、ということにすぎません。
もうずいぶん昔の話ですが。
通常の風邪でもすぐ抗生物質を使い倒してよい評判をえていた医者
いたそうえす。
その医者に限れば儲かったでしょうね。
大半の医者が同様に真似をした結果、どうなった?。
多薬剤耐性菌の出現、抗生物質で効果が出ない病原菌を生み出しました。
そんな考え方では、お金を手に入れる、だけなら詐欺師のほうが高い評価ができるんですね。
「〇〇してやっているんだ、ありがたく思え」と「神様と考える」では全く次元が異なる話なんです。
商い→買ってくれて、ありがとう、売ってくれてありがとう、どちらも、ありがとう、だから、商い(飽きない)とも言われます。
それが理解できていないだけです、神様なんかは無関係です。
>私が整体師さんに向かって「あなたのところに通って半年だけど全然良くなった実感がないんですけど???」と言ったら、
もう一押しすれば、いわれるところのカスハラなんですけど。
成功する人、そうでない人、何が分かれ目か、そのチャンスに気づくか。気づかないか。
その整体師がいうように、他人の責任としてしか考えられない人はチャンスに気づきません。
で、他のクリニックで改善したの?。
    • good
    • 6

上がると思います。


客は神様という考えよりも、
謙虚な考え、謙虚さ、繊細さが必要です。接客するスタッフの人間性によります。
    • good
    • 6

コストコに行って下さい。



コストコの従業員はなぜかカウンターに肘を置き

アメリカ人のように無愛想で客とは対等な対応をしておりますが

それがコストコでは許されるのですよね。

これからの時代はカスハラなど「お客様は神様」という思い込みが減り

対等な商ビジネスが始まると思いますよ
    • good
    • 6

私は。

お客様を神様と思った事はありません
上も下もない、同等だと思っています
 神様のような態度を取る客には、それ相応の態度を取ります
時には、「貴方にはお売りしたくありません、お帰り下さい」
と言う事も何回も、いや、数えきれない程あります。

すいませんすいませんすいませんペコペコオペコペコペコ
みっともないからです

旅館などでも、従業員が一列に並び、一斉に「いらっしゃいませ」
と言う光景は異常です。私は恥ずかしくなります。
 道路で、お客が見えなくなるまで頭を下げている従業員をよく見ますが
誇りもプライドも捨てた、滑稽なサルに見えます。哀れにみえます。
絶対にやりたくないし、やらせたくありません。

異常な「おもてなし」など必要ありません
私の店では、品質と技術で勝負しています
「いやなら来るな」と言う事です。

おかげさまで創業50年を超えました
    • good
    • 6

>私は「お客様は神様」だとは言ってない!



あなたがそう願っているのは、質問内容から十分察せられます。
    • good
    • 6

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A