電子書籍の厳選無料作品が豊富!

太平洋戦争に最終的なゴーサインを出したのは誰ですか?
東条英機でもなく、山本56でもなく、昭和天皇ではないのですか?
もしも昭和天皇が戦争はやるなと命令していたら太平洋戦争は回避できたのではありませんか?
日本は負け戦をせずに済んだのではありませんか?

  • 画像を添付する (ファイルサイズ:10MB以内、ファイル形式:JPG/GIF/PNG)
  • 今の自分の気分スタンプを選ぼう!
あと4000文字

A 回答 (20件中1~10件)

はい、おっしゃる通り負けずに済んだでしょう。



その代わり日本は植民地同様となり、人々の生活はしたげられ
少量とはいえ日本にある資源や財産は持っていかれ
て惨憺たる国になっていたはずです。

戦争を回避するということは
当時のアメリカや連合国の言い分をそっくり飲むということですから
戦わずして降伏と同じです。
当然植民地同様の扱いを受けることになります。

他国の要求を飲む、ということはさらなる要求を突き付けられる
ということなんです。
要求は必ずエスカレートするんです。

満州をあきらめろ、だったものがそれを飲むと次は北海道をよこせ、
沖縄をよこせ、九州をよこせ、になるんですよ。

そのときになって逆らってももう遅い、逆らう手段がなくなっているんです。
そのときには資源はすっかり取り上げられ、
軍事力もそがれてしまっているんです。
当然士気もそがれてますからもう立ち上がる気力などなくなっているんです。

負けても戦うだけの武器や燃料が残っているうちに
日本はお前らの要求は飲まない!
という姿勢を見せるほかなかったのです。

アメリカの要求を飲み屈していれば日本は亡国となり
二度と立ち上がることはなかったでしょう。
あそこで負けを覚悟で戦ったからこそ今の日本があるんです。
先達たちが他国に屈せずやることはすべてやった、という気概が
この戦争を味わった世代にあり、この日本に燦輝をもたらしたのです。

アメリカの言いなりになっていればもはや日本の誇りも意地もなく
このような経済発展をもたらしてはいないです。

さらにあの戦争がなければヨーロッパ列強の植民地だった東南アジア諸国の独立もなく、あい変わらず白人の植民地支配が続いていたことでしょう。

貴殿はイギリスに行ったことありますか?
スペインは?
さして資源もないイギリスにあれだけの建物や物品(ウィンザー城をはじめ
ウェストミンスター寺院、ロンドン塔、バッキンガム宮殿他歴史的
な高価な建物がうんざりするほどあります。ウィンザー城の中に飾られる刀剣類から食器まで超高級装飾物や絵画、調度品、すべて植民地から奪い取った資源や財産で賄ったものです。
でなければあの程度の国があれほどのものは建てられないし持てないはずです)

あの戦争までは白人はそういう気質を持っていたのです。
今でこそ国際社会が差別や平和を大事にするというコンセンサスがあり
民度も上がったので正義を重んじますが
当時はまだまだアジア人など家畜同様に見ていたのです。

ヨーロッパではドイツ・イタリア相手にイギリス、フランス、アメリカもこれに参戦、太平洋では日本相手にアメリカが。。。
この戦争で列強はへとへとになりました。

イタリアもドイツも日本も負けましたが連合国側も大損害は
受けてます。

これが東南アジア諸国の独立を助けたのです。

またこの戦争で勝ちはしたものの大損害を受けた連合国側も
戦争は何一つ得はない、ということになり国際連合を作り
平和を重んじるようになったのです。

アメリカの要求をのみアメリカに対峙しなかったら
まだまだ白人の残虐なまでの横暴は続いていことでしょう。

数百年前からの残酷で横暴(植民地を増やし、奴隷として他国の人間に鎖をつけてつれてくるなど)だった白人に弓を引いたのは
後にも先にも日本だけです。

中国なんぞアジアの仲間のはずなのに白人に与し、同じアジア人に向かって鉄砲撃ってきたんです。
白人の手先となったのは中国だけです。


というわけで、
あの戦争はなかった方がいいに決まってますが
しかし、
当時の日本はあーするしか日本が生き延びる方法はなかったのです。

もちろん戦争した方が良かったなどというつもりは毛頭ありません。
しないに越したことはありませんが
同じ「しない」でもその後の展開で日本がむしろ不幸になるなら
やるしかないのです。

ちなみにゴーサインを出した、
というか踏み切るきっかけを作ったのは、、、、
御前会議において永野修身参謀長の言葉でした。

戦わざれば亡国
戦うも亡国であれば
戦わずしての亡国は民族永遠の亡国である

戦って死中に活を見い出し
護国の精神に徹するなら
たとえ戦い勝たずとも
護国に徹した日本精神さえ残せば
我らの子孫は
必ずや再起し、燦輝するであろう。


日本は戦後20年でこの言葉通りになりましたね。。。
    • good
    • 0

No.17phjさんの回答がズバリです。



戦争開始は、国会の合意=国民の総意によって決まりました。
天皇は国会の決定に対して、回避する術がないと説明を受けて理解した。

国民の総意は、当時の新聞(特に朝日)らの扇動する報道によるものです。
蒋介石による工作の疑いが現在も有る。
日米が戦争になれば、中華民国にとって都合が良かった。
一旦放棄した満州を取り戻す事が可能との戦略です。

太平洋戦争は、大東和戦争で敗北した中華民国が仕組んだものと。

日本は情報戦で失敗した結果です。
    • good
    • 0

戦前の天皇は実権を持っていません。


御前会議の決定を承認するだけです。
御前会議の結論は事前に調整済で、いわば茶番。

これは江戸時代のシステムの踏襲です。
老中が相談して決めて将軍が承認する。
失敗したときは老中が腹を切ってオワリ。
将軍に責任を負わせないためのシステムでもあるのです。

明治天皇政府もそのシステムを踏襲しました。
当時、明治天皇は10歳位の少年です。
実際に倒幕し維新を実現したのは、各藩の武士たち。
10歳の少年天皇に何を決定できるでしょう。
ご養育係や側近のいいなりです。

その3代目の昭和天皇も立場は同じです。

実際戦争反対だったので、内輪では言っています。
でも、もし公式にそういう発言をしようとしたら、病気という名目で退位させ、ひそかに毒殺されたでしょう。
敗戦後、軍部や閣僚は口々に「本心は反対だったが、当時は反対といえる空気ではなかった」と言い訳しました。
天皇の似たようなことを言っています。
天皇とて命は惜しかったのでしょう。

日本の天皇は、明治からずっと「統合の象徴」です。
実権者ではないです。
    • good
    • 1

>太平洋戦争に最終的なゴーサインを出したのは誰ですか?


御前会議で方針が決定され、国会で承認されています。つまり最終的なゴーサインをだしたのは国会です。

1941年12月8日、帝国議会は臨時招集され、開戦に関する議案を発議、即時賛成多数で可決成立、即日執行しています。

>東条英機でもなく、山本56でもなく、昭和天皇ではないのですか?
違います。国会です。

>もしも昭和天皇が戦争はやるなと命令していたら太平洋戦争は回避できたのではありませんか?
終戦のご聖断を見れば、12月8日の時点では回避できたことは間違いないでしょう。

ただし、その後も戦争をせずに済んだかどうかは未知数です。IFが多すぎて推論が非常に難しいです。

>日本は負け戦をせずに済んだのではありませんか?
戦争をしないということはハルノートを受け容れるということですから《戦争をしないで、敗戦と同じ結果を受け容れる》ことになったといえます。

日本国民や国会、軍部がそれを受け容れて我慢したかどうかは未知数で、そうなると昭和天皇を降ろして新しい天皇が勅許した可能性もあります。

それぐらい軍部の力は強く、それは515事件226事件のような形で暴発したことからも分かります。


>軍部が実権を握っていたとしても最終的な決定権は昭和天皇にあったはずです。

ないです。これは当時の憲法議論でも「天皇機関説」として有力な学説とされています。また明治天皇から昭和天皇までこの説に従っていました。

>当時昭和天皇は神だったのですから、軍部の誰であれ昭和天皇には逆らうことはできなかったはずです。

ここにも誤解があります。天皇は当時も「神」ではありません。少なくともGHQが誤解したキリスト教的Godではまったくありません。
 じゃあなんなのか?といえばネットでいう「ネ申」と同じ《非常にすぐれた何かをもつ人間》です。

一神教の宗教テロリストのように「神(天皇)のために死ぬ」と考えている日本国民はほとんどいなかったです(全くゼロとはいいませんが、少なくともエリート層には居なかったです)

>太平洋戦争の末期1944年の御前会議で日本の軍部が昭和天皇に対しもはや勝ち目は無いので早期の終戦案を申し出たところ、昭和天皇は降伏するにしてもできるだけ良い条件が整うまで戦い続けなさいと命令したそうである。

軍部の側から「勝ち目がないので早期の終戦案を出す」ということはしていません。事実そのような記録は全くありません。

御前会議の内容は、議事録自体は断片的にしか残っていませんが、木戸幸一の日記・鈴木貫太郎の回想録をはじめ、戦後のインタビューで少なくとも「どのような方向性で話し合われたのか?」は分かっています。

もし質問者様が「軍部が早期終戦案を出した」というならソースの提示をお願いします。

上記のことと、立憲君主制を理解していた昭和天皇が、御前会議で質問はしても意見を述べ、その方針に従わせるようなことはしていません。例外は「終戦のご聖断」だけです。

これが「ご聖断」と呼ばれるのは、慣例を破って昭和天皇が指示したからです。質問者様の認識ではそれまでも普通に天皇が指示していたことになるので、ご聖断とは呼ばれないはずです。

また軍部が昭和天皇の指示に常にしたがい、しかも自分達は「講和したい」と願い出ていたなら、終戦の詔のレコードを奪取するというテロ計画も存在していないはずです。
    • good
    • 1

いや、避けよと提言していたが、軍部を始め、国が


戦争する方向で決めていて、
天皇は諦めたらしいですよ。

でも今思えば、負けてよかったという気はしますね。

だから、こんな平和な世の中が来た。
勝ったらこんな時代は来なかったと思うことあります。
犠牲は多かったけれどね。
でも領土で帰ってこないもの結構あるね。
北方領土・竹島などね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

>でも今思えば、負けてよかったという気はしますね。

本当に負けてよかったと思っていますか?
戦争に負けたから平和な時代が来たと思っていますか?
戦争に勝っていたら悲惨な時代になっていたと思っていますか?
本当にそう思っているのですか?

お礼日時:2024/07/18 07:35

江戸時代の日本には「主君押し込め」という美しい文化がありました。

御家の存続を危うくする主君は強制的に隠居させられて新しい主君が迎えられるのです。名君の誉高い上杉鷹山も危うく主君押し込めに合いそうになっています。歴代天皇でも権力者と馬が合わずに譲位に追い込まれた天皇もいます。
昭和天皇があまりにも頑張りすぎれば、強制的に譲位ということもあったかもしれません。
    • good
    • 2

軍令部の若造が支持したんですよ



そして朝日新聞が国民を煽りまくり、その結果・・

嫌がる東条を国民が騒ぎ立て総理に仕立て戦争が起こりましたよ
    • good
    • 2

軍部が総力を上げて天皇の説得したでしょう



昭和天皇もまだ若かったし
侍従長も加われば天皇も承諾するでしょう

戦争をしないと言うことは
満州や大東亜共栄圏を放棄することになります

それはできないと思います
    • good
    • 2
この回答へのお礼

太平洋戦争の末期1944年の御前会議で日本の軍部が昭和天皇に対しもはや勝ち目は無いので早期の終戦案を申し出たところ、昭和天皇は降伏するにしてもできるだけ良い条件が整うまで戦い続けなさいと命令したそうである。
その結果日本は1945年8月まで戦い続けることになり、東京は空爆で焼け野が原になり、広島長崎に原爆が投下され死なずに済んだ数多くの人命が失われてしまったということです。
つまり昭和天皇は軍に対し戦うことを命じたということです。
天皇の戦争責任が一番大きかったのです。

お礼日時:2024/07/17 21:35

> もしも昭和天皇が戦争はやるなと命令していたら



「歴史にIFはない」だけど。

日本が防衛戦争に巻き込まれる形で、別の太平洋戦争が勃発した可能性が高いでしょうなぁ。
簡単に言えば、当時の日本は、連合国側にとって「出る杭」であり、いずれにせよ「打たれる」運命にあったわけ。

あるいは、最悪のケースを想定すれば・・。
戦争しないと言う判断は、自ら「打たれた杭」になることを選択する様なものであり、その先、日本は英米あたりの植民地になった可能性とか。
朝鮮戦争やベトナム戦争の様な事態が、米ソにより日本で発生したり?

結局のところ、天皇の戦争責任論を展開する連中は、その場合でも「昭和天皇が戦争はやるなと言った責任!」とか言いそう。

でもまあ一つ確実に言えることは、東京裁判において、「天皇は訴追対象になっていない」が歴史的事実で。
その歴史や事実は、永久に覆りませんわなぁ。

そもそも、裁判官でもない人間が、「お前が悪い!」「いやお前が悪い」などと言い合ったところで、個人的意見に過ぎないし、無意味で不毛な水掛け論。
更に、判決が確定した後に、まだ敗訴側が「不当判決」だの「それでもお前が悪い!」なんて言ったところで、「たわごと」の部類です。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

太平洋戦争の末期1944年の御前会議で日本の軍部が昭和天皇に対しもはや勝ち目は無いので早期の終戦案を申し出たところ、昭和天皇は降伏するにしてもできるだけ良い条件が整うまで戦い続けなさいと命令したそうである。
その結果日本は1945年8月まで戦い続けることになり、東京は空爆で焼け野が原になり、広島長崎に原爆が投下され死なずに済んだ数多くの人命が失われてしまったということです。
つまり昭和天皇は軍に対し戦うことを命じたということです。
天皇の戦争責任が一番大きかったのです。

お礼日時:2024/07/17 21:35

最終的には勅命が必要ですから、昭和天皇陛下が絶対に許さなかったら、真珠湾攻撃はなかったでしょう。


勅命を破れば、破った人間が、司令官なり参謀なり、その地位を狙う者に、勅命破りという、絶対的な大義名分で地位を追い落とされます。
部下や同期に地位を奪われるのです。
だから、天皇自身に実態権力があったか、どうかの議論は、意味はありません。
陛下本人が戦争を回避するだけの意思があったかどうかはわかりません。
負けた時の自分の地位の心配は、しきりにしていたとの記録はあります。
あの時代の天皇に、神様として育った者が、国民を戦禍からだけは、何としても守ろうとかの意識、アメリカの軍事力や経済力の知識とかは無かったと考えるのが自然です。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

太平洋戦争の末期1944年の御前会議で日本の軍部が昭和天皇に対しもはや勝ち目は無いので早期の終戦案を申し出たところ、昭和天皇は降伏するにしてもできるだけ良い条件が整うまで戦い続けなさいと命令したそうである。
その結果日本は1945年8月まで戦い続けることになり、東京は空爆で焼け野が原になり、広島長崎に原爆が投下され死なずに済んだ数多くの人命が失われてしまったということです。
つまり昭和天皇は軍に対し戦うことを命じたということです。

お礼日時:2024/07/17 21:33

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!