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No.4
- 回答日時:
奥羽の大名は政略結婚で縁戚関係になって居るので、戦になって
不利になった方が和睦を求めるのと、有利な方も相手を潰すまでは、
しなかったのです。
それを打ち破ったのが伊達政宗ですが、戦国末期で豊臣秀吉が天下人
になっていました、奥羽の暴れ龍も豊臣秀吉に屈服せざるを得ない
情況でした。
関ケ原合戦の折に、徳川家康と領地100万石へ加増の密約をして
いますが、欲を出して関ケ原合戦の最中に南部を攻めた事が家康に
バレて、密約が反故になりました。
No.2
- 回答日時:
奥羽の大名家はお互いに婚姻関係を結んで複雑な親戚関係にありました。
また、統一の核となるはずであった南部と伊達で家督相続問題で家中どころか周辺の諸大名も二分する血で血を洗う抗争が発生して一時衰退したことが大きいでしょう。
No.1
- 回答日時:
個人的な感覚ですが、
伊達は政宗登場が遅く、他は大名本人のみ一級人材の家が多い(最上・安東・津軽・南部・相馬など)。結果、際立って強い大名があまりいない一方、あっさり負けるほど弱い大名もいないからじゃないでしょうか。
特に、主力が攻めに出ているときに守城を任せられる武将がいるかどうかは大きいです。
安東愛季が津軽を攻めている間に最上義光本人が攻めて来たら、さすがに戻らざるを得ない、みたいな。
島津は四兄弟全員強いし、大友は立花道雪・宗茂・高橋紹運がいるし、
毛利は元就の他に吉川・小早川がいますし。
長宗我部は大名のみ一級の家ですが、四国は他が弱すぎるので元親一人いれば無双できます。
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