あなたにとってのゴールデンタイムはいつですか?

すごく抽象的な質問で申し訳ないのですが、具体的な言い回しが思い浮かびませんのでお許しください。

私は、世界の人々が1人でも多く平和を感じられるために何か自分にできることはないか、と考えます。
そのきっかけとしては、例えば恵まれない子供を特集したテレビのドキュメンタリーであったり、北朝鮮やイラクなどの緊張や紛争が絶えない地域のことであったり、日頃国内外で聞く犯罪のニュースであったり、いじめ問題だったり、という感じです。
そういうものを見たり聞いたりするたび、哀れんだり同情したり何かしたいと思う方は大勢いらっしゃると思います。例えば募金活動等が行動として代表的に挙げられるかと思いますが、私はもっと自分から具体的に動きたいのです。
私には得意とする分野も能力も見当たりませんが、必ず何かできると思います。私はサラリーマンですが、それと並行してできること、あるいは仕事として完全に転職すること、どんなことがあるのか、どんなことができるのか、知りたいです。

とても抽象的ですが、「こんなことがあるよ」といった気軽なご回答から、詳しい方からのご回答なども聞かせていただければと思います。よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

「平和のためにできること」と、考えることはなかなかできないことですよね。

すばらしいです。
私は、平和の究極は「教育」にあると思うんですね。「戦争は人の命を奪うこと。どんな人間も人の命を奪ってはいけない」という教育。「環境を大切に。森林伐採は自然を破壊するんだよ」という教育。
では、自分はどうすれば良いのでしょう…。この世の中、あらゆる事象は「人のため」にあると思います。たとえば、たった一本の電話がアジアの人を救うとか、100円の寄付がたくさんの治療薬に変わったとか…。
「必ずなにかできる」という、あなたの言葉は「アンテナ」のようなものです。ボランティアや、寄付、平和活動を展開している団体を調べてみるとか、できることはたくさんあるよ。きっと…
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほどと思いました。教育、改めて考えてみると、とても大きい価値のあることですね。貧しい地域に住む子供は、テレビなどでよく見るのは「学校へ行きたい。でも僕が家族のために働かなければならないんだ」と言っています。しかしその労働もその日暮らしがやっとのもので、もしかしたら教育を受け、字を読み書きできるようになったらもっといい仕事に就けるかもしれない。そういった子供が増えれば、将来的には多くの家庭が少しでも裕福になれるかもしれない。画一的だったり偏った考え方しか生まれないところに、創造性が、考えるゆとりが生まれるかもしれない。
でも、教育の機会がたくさんあるいわゆる先進国の中でも、いじめや犯罪はやはり絶えません。そういったものが全くない世の中というのはもはや不可能なのかもしれませんが、今の自分が今回のような質問を投稿する自分になれたのも教育のおかげです。
「教育」、もう一度深く考えてみたい言葉です。どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/05/15 21:07

自分の周囲を平和にすることが先決です。


自分の親族、同僚、ご近所を見渡せば、必ずそこに不和・嫉妬・僻み等々が見つかるはずです。もし、そうした状況が大きく改善されれば、必ず周りの目に留まり、自分たちもそうなりたいという人たちが、きっとそれに追随することでしょう。そうやって輪を広げていくのが結局は近道です。
組織的な活動は弾みがついてからでも遅くありません。

お金を恵んであげたり、何かをしてあげることは、非常に分かりやすいのですが、それでは何も解決しません。
平和にせよ、幸福にせよ、誰かから与えてもらうものではなく、自らの手で勝ち取る以外にはないのです。だからこそ、その動機付けを与えるには「お手本」が必要です。

この回答への補足

週末しかお礼できなかったのですが、たくさんのご回答ありがとうございました。皆さんからのご回答を参考にして、私も何かしてみたいと思います。ポイントをどなたに差し上げるか迷いますが、差し上げられなかった方、申し訳ございません。

補足日時:2005/05/29 11:11
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ございません。
「お手本」ですか。非常に責任感の必要なとても重要なポジションですね。しかしその精神こそ本当に必要なものかもしれません。自分が先頭に立って行動を起こす気持ちがないと、周囲に影響は与えられないですからね。でも、そのお手本も「いいお手本」と「悪いお手本」両方が生まれうるので、少しでも前者になる努力をしたいところです。これって今回のテーマ以外にも広く言えることですよね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/22 13:38

下の方々も仰っている通り、戦争と平和のメカニズムを知ることはとても大切なことだと思います。

僕もそう考え大学では政治や国際関係の勉強をしてきました。理論面の入門書としては『常識日本の安全保障』、本格的ですが読みやすい教科書としてはジョセフ・ナイの『国際紛争─理論と歴史』がお勧めです。

ですが理論の勉強だけでは平和に貢献することが出来ないのも事実です。募金以外にdopeheadzさんが仕事を続けながら出来る活動としてはNPO活動がいいと思います。今もたくさんのNGO・NPOがあり、ボランティアや募金を募っていますが、積極的に動きたい!ということであればNPOを立ち上げて見られてはどうでしょう?
どのような活動をするか、が一番難しいところですが、お住まいの地域の外国人を集めて交流会を開くとか、難民支援をするとか…何にしてもある程度英語が出来たほうがいいでしょうね。

あと政治活動がお嫌でないなら政治団体を作って政策提言をするなどして、政府を動かす、という道もないではないですが、実際に政府を動かすのは大変でしょうね。まずは選挙から、ですかね。

現実のところ有給のNGO・NPO職員はまだまだ少ないようです。あっても休みなし薄給は当然だと思ったほうがいいでしょう。色々な活動はお仕事を続けながらやられたほうがいいと思います。自分を犠牲にしすぎるボランティア活動などは結局長続きしないでしょうし、自分の出来る範囲でやれることを考えていかれたらいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ございません。
本までご紹介いただきありがとうございます。興味がわいたので是非読んでみたいと思います。そうそう、rn1007さんが政治や国際関係の勉強をなさっていたと聞き、私も進学を控えた当時にその方面を目指していたことを思い出しました。結局は諸事情により地元の大学のそれとは違う学部に進むこととなったのですが。これによって、「やっぱり私は以前からそういう人間なんだな」と改めて思いましたよ。話がちょっとずれてしまってすみません(^_^;)
NPOですか。大きなテーマの質問をしたくせに、お恥ずかしい限りです、全くの勉強不足でどういったものなのか知識がお粗末です。しかし、こういったことを勉強していくこと自体がまず第一歩となりますよね、きっと。他の方もおっしゃるように、まずは自分から、そしてまわりのご近所さんへ、そしてその輪を…ということが大切だと学びました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/22 13:33

平和というものは感じるものではありません。

国家、そして国民が日々、国防の努力をして、その結果、抑止が働き平和が維持できるのです。

一国民として、自らの職務を真っ当することこそが、平和につながるのです。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ございません。
端的ですが重みのあるお言葉、ありがとうございます。
ですが、「国防」という言葉、私には「対立」という言葉と同じグループの言語に思えてなりません。全く不勉強の私が言うのはとても恐縮ですが、対立がなければ国防も必要ないと思うのです。ですから、国防が真の平和のためとはなかなか思えないんですよね。難しいでしょうが、私は国家間の「壁」というものを最小限にできないかと考えたりもします。
ちょっとつっかかり過ぎたかもしれません。申し訳ございません。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/22 13:23

私が最近思うのは、戦争や犯罪の「原因」を考えることの重要性です。



異文化・異民族間の相互理解、相互尊重の精神が普及していないことが戦争の原因だと思います。
そして、それを普及させるには各国の義務教育の中でその精神を徹底させる必要があると思います。
個人として、どの程度、また、どのように、これに貢献できるかは分かりません。
国連を通してこの精神の徹底化を各国に働きかけることが出来ないかと思うのですが。
国連は調停役としての役割はあまり十分発揮出来ていないようですが、
相互尊重の精神を普及させるために国連に出来ることはまだまだあるんじゃないかという気がします。

犯罪については、教育に加えて社会環境の改善が重要だと思います。
子供のみならず大人も含めて、人間の心に何がどのような影響を及ぼすかをもう少しよく考えて環境作りをしていくべきだと思います。
言論や表現の自由ばかり尊重していても、世の中良くならないと思います。
暴力的な映像をしばしば見ることは、自分がそれと同じ行為をするためのイメージトレーニングをしているのと同じような効果があると思います。人間の行動というのは基本的には「真似る」ということですから、これだけ犯罪を助長するメディアが氾濫していれば、犯罪が増えるのは当たり前だと思います。

個人的に何が出来るかということも、それはそれで大事なことですが、
個人レベルで出来ることには限界があり、
戦争や犯罪の「原因」に目を向けていくと、
世の中全体を変えていかないとどうしようもないとつくづく感じます。
個人レベルの行動と世の中全体の改善との両方の視点が必要だと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ございません。
「異文化・異民族間の相互理解、相互尊重」、この重要性にすごく同調します。「どうして反米、反日のデモやテロが起こるのだろう?そんなにひどいことをしているだろうか?」とときどき思ったりもしますが、その根底には、それぞれの国が国民がそれぞれの価値観をもっていることがあるでしょうし、それが偶然対照的なものである場合も中にはあるでしょう。狭い日本の中でも、いや隣近所どうしでも考え方は十人十色なんですから、完璧な一致というのはもはや不可能と言えるでしょう。しかし、理解・尊重する努力というのは不可能じゃない。こういった精神の普及こそ、最も意義のあることだと私も思えました。
また、社会環境の改善ですか。これもとても大事なことですね。日本を例に挙げても、「横並び精神」の強いこの国にとって、社会環境の国民に与える影響はとても大きいと思います。それを改善しようと考えるならば、各個人の責任意識っていうのがとても大切だなと思います。まだまだ私も未熟なところばかりですが、行動1つ1つにもっと責任を持てるように成長したいと思います。そういう考えの人が増えれば、平和な心を持つ人も増えるのかもしれないですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/22 13:14

>世界の人々が1人でも多く平和を感じられるために何か自分にできることはないか



 「 平和を感じられる 」 という表現の意味はわかりませんが、世界中が平和になるというのは、世界中の人の心が平和になるということでしょう。そのために最も確実で有効な方法は、まずは自分の心を平和にすること、そして、その心で周りの人たちに接することだと思えますが、どうでしょうか。

>しかし、今は何か対外的なものを考えてみたいんですよね。

 自分の外に在る現象は眼に付き易いものですが、そのことに関係できたとしても、それによって世界が平和になる、つまり世界の人々の心が平和になるということはあり得ません。人間の心はそれほど単純ではなく、世界の成り立ちもまた同様です。
 
 「 平和 」 というのは各個人の精神の平和が集合されて実現するもので、外界の現象をどのようにいじろうと、それはこの世界の根本的な誤りを補修するだけの効果しか得られないでしょう。

 何をされるにしても、ご自分の行為が世界の人々の平和に何らかの寄与をするという考えの無いところでおやりになることをお勧めします。 ” ただ自分がやりたいからやる、それだけ。他に何も求めない ” ことがあなたを成長させてくれるのではないかと思えますが、どうでしょうか (^_^)/~。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ございません。
他の回答をいただいた方もおっしゃっていますが、いきなり対外的、世界的という大きな成果を求めるよりも、まずは個人レベルでなしえることから必要だということを認識させていただきました。

>” ただ自分がやりたいからやる、それだけ。他に何も求めない ” ことがあなたを成長させてくれるのではないかと思えますが、どうでしょうか

質問の本題とは少しずれてしまいますが、「たしかに」と思います。見返りを求めることを前提でっていうのは、結局のところ何かやはり満足感や達成感に欠けるんですよね。ひとそれぞれだとは思いますが、例え話だと、私は「賃金の向上=士気の高揚」にはあまり当てはまらないタイプです。そういう自分だからこそ、自分のために行動を起こしたい、と思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/22 12:58

具体的に、ですか?


募金は募金でも、もっと大きな、里親になると言う募金の方法があります。
月々数千~数万のお金で、難民の子どもを1人、十分に食べさせ、また学校に行かせてあげることができます。
新聞などの時々広告が載っています。
どの機関を通して里親になるかにもよりますが、写真や手紙のやり取りをすることもできるそうです。

直接現地に赴いて食べ物などを配ってあげれば、それが一番福祉を実感できるかもしれませんが、それは大変危険だと思います。
襲われたりする可能性もありますし、格好や病気対策も素人判断では難しいからです。
他の方がおっしゃっているように青年海外協力隊に入るか、しかしそれだと家庭がある場合難しいですし、
日本にいて普通の生活をしながらであれば、やはり里子がいいのではないでしょうか。
普通の募金よりも、子どもを幸せにしていると言う実感が沸くと思います。
支援される側も、そのときそのときではなくて安心できますし。
一度に何人もの子どもを支援することもできます。

調べてみました。こんな感じです。↓

参考URL:http://www.ekokoro.jp/ccwas-.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど、里親ですか。協力したという実感がなかなか得られない募金より、より具体的かもしれません。不特定多数でなく特定の少数に対しての支援ですよね。大変興味が沸きました。毎月毎月…とやっていれば、何か自分自身も成長できるのではないか、という気すらします。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/15 21:14

マザー・テレサが同じことを尋ねられたとき、こう答えたそうです。


「世界平和のためにできること?毎日あなたのお家に帰って、あなたの家族を愛して下さい。」

海外で援助活動やボランティア活動に加わることはもちろんすばらしいことです。
しかしそうした活動の根本を支えているのは、毎日普通に働いて、豊かで平和な社会を支えている普通の市民ではないかと思うのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
自分の家族を愛すること…たしかにそれがベースですよね。そういったことを続けていれば、気づかない何かをできているのかもしれません。マザー・テレサの言葉、大変いい言葉だと思います。
しかし、今は何か対外的なものを考えてみたいんですよね。でも頭の片隅にずっと置いておけば何か得られそうな言葉です。ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/15 20:57

私も心の痛むような状況をテレビなどでみるたびに何かしたいとは思います。


でも私1人では微々たる力だなーとか想像するだけで行動に移せないとかなさけない状態です。
しいてできるのは募金に協力するくらいなもので。

実際に行動しようという質問者さんはすばらしいです。

それでどんなことがあるのかということですが、今はサラリーマンですが「青年海外協力隊」にはいるというのはどうでしょう?
ボランティア活動の集まりみたいですけど、収入がなくなっても大丈夫でしょうか?
生活費は国が補償してくれるみたいですが、儲けはないです。入隊するにはけっこう厳しい審査があるようですが、いかがでしょう。

あとは仕事休みの土日を使って日本のどこかのボランティアをするのでもいいのではないでしょうか。
近所のお年よりを助けることだって立派に平和につながると思いますよ^^

私も見習ってできることはやりたいですね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
「青年海外協力隊」、私も高校生くらいのときから興味を持っていました。もともと海外に強い興味を持っていましたし、しかも人の役に立てる、ということで。まだ本格的に考えたことはありませんが、隊員として活躍するには何か1つスキルが必要だと思うのです。経済、土木建築、農業、医療などなど。そう考えたとき尻込みしてしまうんですよね。今からでも自分の努力で身につけられる可能性は当然あるとは思うのですが…。
まずは自分の精神を鍛えるところから始めなければいけないのかも…ですね。ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/15 20:47

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