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しかし日本人って…福沢諭吉の「学問のすすめ」以来の「よき伝統」なのかどうか分かりませんが、よくも悪くもプラグマティックですよね?超プラグマティックと言ってもいいくらい?
このgooの質疑応答を見てても、「哲学的な議論をとことんやってやろうじゃねえか」って人はあまりいないんじゃないですか?

生活上の、あるいは実務上の具体的な相談事であれば、色々語ってくださる方も多くいらっしゃいますし、私もそういうお世話になれば感謝しますけれど、

哲学的な議論とか抽象度の高い議論となると敬遠されがちな雰囲気を感じませんか?

日本人は抽象度の高い議論とか思考は苦手なんでしょうか?数学の得意な人も大勢いるし、必ずしもそうとも言えない気もしますが…?

これが例えばフランスのネット空間とかだったら、哲学系の議論に食い付く方が大勢いらっしゃるんじゃないでしょうか?(食い付くという表現はよくないかもしれませんが)

それが日本人の性格と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、「アメリカに負けないような世界的なグランドストラテジーを生み出してやろう!」とか「SDGsみたいな世界に通用する概念を日本発で生み出してやろう!」というときに、日本人が抽象思考が苦手だと、それが障壁になるんじゃないでしょうか?

A 回答 (3件)

哲学も実学で科学的・実証的な学問としてスタートし、その本質は現代でも同じです。

決して言葉遊びの妄想合戦ではありません。

そして、哲学とは似て非なるものですが、妄想が生んだ思想で宗教があります。ユーラシア大陸の西方で生まれた一神教、中国で生まれた中華思想と中華思想を支える儒教。それらが世界の多くの国々を支配していました。
※仏教も世俗化して宗教化しましたが、本来は心から苦を取り除くための実践的修養で哲学と云ったほうが相応しいものでした。

日本の場合は神道ということになりますが、これは単なる自然崇拝で、自然や死者を神として祀る非常に素朴な信仰で、とても「宗教」と呼べるようなレベルには達していません。

ゆえに、問題解決のベースには絶対的な基準である神は介在せず、人間たちが自分たちの基準をぶつけ合い、話し合って解決するというある種の妥協の文化が育ちました。ここでいう基準や規範とは「正義」に置き換えても良いでしょう。

だから、世界中がお互いの正義をぶつけ合って大戦争・殺戮戦を繰り返している間に、絶対的な正義がない日本は戦うこともあったが、概ね話し合いで平和を旨とした妥協を積み重ねてきた。

日本がキリスト教国とイスラム教国の間に入ることができるのは、日本には唯一絶対神がいないので、双方のどちらとも敵対しないからでしょう。

冒頭に申し上げたように、妄想のぶつけ合いで科学的な決論なんて絶対に出ない宗教論争は論外の話であり、、本来は科学的で実証的な哲学論争なら、人と人の問題ですから日本人にも全く問題ありません。
むしろ、そういう哲学論争であれば、宗教に毒されている部分が小さい日本人の方がむしろ優れている可能性さえあります。
例えば、日本ほど抽象的でありながら実践的な問答である禅問答に秀でた国はありません。高尚な抽象的思考が日本人に出来ないなんて話はあり得ないと思います。
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2023/06/23 21:14

他人の精神生活に興味のない人が多い。

つまり欧米より個人主義が進んでいるのです。それも成熟したものではなく他人は他人と割り切るよりも第一に興味がない。だから精神論を戦わすという意義を感じないのです。
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日本人は哲学的なものを理性的で難解な長文ではなく、情感的で解かりやすく短文を好みます。



例えば「人間とは何か?」というテーマに関しては「○○でもいいじゃないか人間だもの」などの表現が良いと思いますし。
SDGsの概念を長々と説明しても大抵の日本人はハア?となります。

確かに世界は西洋的な理性主義に基づいているので情感を重視する日本は不利とも言えます。
ですから日本人は馬鹿で幼稚であると思われる事もありました。

しかし頭よりも心で理解するスタイルである事は必ずしも悪い事ではありません。
西洋式は頭でっかちになりがちで作り上げた理屈に凝り固まったり心の問題を無視しがちですから。
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