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明治維新の西郷隆盛の征韓論を選択しなかったことによって、日本は第二次世界大戦の敗北に突き進むのですが、今回の日本が進む未来の選択は間違わないで欲しいと思うばかりです。

ところで、征韓論のウソはなんだと思いますか?

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A 回答 (4件)

>当時は李氏朝鮮なのだから「征朝論」というべきなのに、「征韓論」が突然降って湧いたのがウソそのものです。



違います。
「韓」という呼称自体が半島の南部を中心にした呼称であり、3世紀頃までは馬韓、辰韓、弁韓という国がありました。
それによって韓半島という呼び名も古くからあります。
もっと勉強しましょう。
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ウソなんかないだろ。


単に「当時の日本の国力ではできなかった」というだけだ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

当時は李氏朝鮮なのだから、征朝論が正しいのでは?

お礼日時:2024/09/16 13:50

ちゃんと歴史を調べればわかる話ですが、実際に日本は西郷が下野した後に朝鮮へ派兵し、日朝修好条規という日本に有利な条約を締結し朝鮮半島の一部を領有するに至っています。



さらに日清戦争、日露戦争をきっかけに東アジアへの進出を始めています。
最終的に朝鮮半島は1910年に併合して日本領になりましたし、台湾も日本領となり、満州国も日本の傀儡国家です。

なお、明治6年の政変においては、征韓論者と言われた西郷隆盛は最初から朝鮮への侵攻を打ち出すことはなく、自らが使節となって交渉することを提言していることです。
しかし、当時の参議(現在の内閣に相当)の中には、交渉を失敗させて戦争に持っていくのではと警戒するものも居たことで、彼の提案を却下しました。
それに不服の西郷は参議を辞して政治の表舞台から退きました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
征韓論を却下しておいて、舌の根も乾かぬうちに朝鮮に派兵したことについて、西郷隆盛が激怒していたのをご存知ですか?

ところで、当時は李氏朝鮮なのだから「征朝論」というべきなのに、「征韓論」が突然降って湧いたのがウソそのものです。
なんとか皇后の三韓征伐にちなんで「征韓論」って、岩倉などが思いつきそうなウソだと思います。

三韓征伐が神話の類と同じでウソ八百というのはご存知ですよね。

お礼日時:2024/09/16 13:49

征韓論てのは、島津斉彬の世界戦略


に基づくものです。

日本一国では、西洋列強に対抗出来ない
ので、朝鮮や中国と一緒になって
対抗しよう。

そういう戦略の一環です。




征韓論のウソはなんだと思いますか?
 ↑
死に場所を求めた西郷のエゴ?

日本による、大義名分のない
一方的な侵略?
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この回答へのお礼

征韓論は島津斉彬の世界戦略というのは初耳です。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/09/16 13:45

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