なるべく簡単な質問にしたいと思いますので、要点を絞ってお答え下さい。また、質問者の無知をご了承の上でお願いします。
本題ですが、釈迦(ブッダ)の本当の教えとは根本的に何なのでしょうか?
彼の死後、たくさんの経典が作成され、日本でも幾つかの宗派が誕生しました。特に気になる物に、法華経があります。
法華経は釈迦の説いたものと一致するのでしょうか。日蓮が釈迦の教えを基に新しく作り上げた仏教といえるのでしょうか。
それ以外でも、釈迦のおっしゃったことをそのまま正しく伝えているもの(部分)は何なのでしょうか。
的を絞って、難解な言葉はなるべく避けて頂き簡潔にお答え願います。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
>釈迦(ブッダ)の本当の教えとは根本的に何なのでしょうか?
昔は大乗仏典も釈迦の教えだとされていましたが、現代の仏教学では、大乗仏典は1世紀前後の頃から新たに創られた仏教文学のようなもので、釈迦の直説とは考えられておらず、大乗仏教には本来の釈迦の教えにはない要素が多く含まれています。
したがって、釈迦の本当の教えを知るには原始仏典を読む必要がありますが、原始仏典も後代に付加された部分が多く、釈迦の本当の教えが何なのかについてはいろんな解釈があり、こうだと断定できません。結局、自分で仏典を読み、いろんな人の意見を学びながら、自分で考えるしかないと思います。
>法華経は釈迦の説いたものと一致するのでしょうか。日蓮が釈迦の教えを基に新しく作り上げた仏教といえるのでしょうか。
法華経はインドの初期大乗仏典の一つで、日蓮が作ったものではありません。
釈迦の教えと一致するかどうかは、釈迦の教えをどう捉えるかによって変ってきますので、一概に言えませんが、一致する部分もあれば、一致しない部分もあると思います。
>それ以外でも、釈迦のおっしゃったことをそのまま正しく伝えているもの(部分)は何なのでしょうか。
岩波文庫から出ている中村元訳の「ブッダのことば」「ブッダ 神々との対話」「ブッダ 悪魔との対話」などに釈迦の直説に近いものが多く含まれていると言われています。
しかし、それ以外の後代に付加された部分にも釈迦の教えの重要なものは含まれています。どの部分が後代の付加で、どの部分が本来の教えなのか、また、どのように本来の教えが改変されたか、などについては、人によって解釈が異なります。本当の釈迦の教えを知りたいなら、結局、自分で仏典を読んで、いろんな人の意見も参考にしながら、自分で考えるしかありません。
原始仏典の全訳としては、やや古い文体ですが「南伝大蔵経」(大蔵出版)があります。廉価なオンデマンド版もあります。
また、現代語訳の「パーリ仏典」(片山一良、大蔵出版)、「原始仏典」(春秋社)などが刊行中です。
詳しく説明して頂きありがとうございます。
あまり、釈迦の言葉は残っていないものなのですね。
原始仏典というのが、最も直接的ということでしょうかね。
ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
8です。
少し補足を入れます。
現代知識人から見れば、ただ信じろという法華経の世界は狂気ものですし、歴史上の釈迦の思想とも違うんですが、制作者達としては、智慧や知識では救われない、あるいは智慧や知識、自分の修行では限界があると考えて、大いなる仏陀を信じることで救われようとしたのです。
思いっきり乱暴に砕けた表現ですが、納得して悟るなどと言っていたそれまでの仏教に対して、「理屈じゃねーーーよ。信仰ってものはな!!」と叫んだという感じなんでしょうかね。原始仏教は、理性的な宗教と言われますしそうなんですけど、それでは、なかなか納得いかない場合があることは容易に想像がつきます。
No.9
- 回答日時:
8です。
少し補足を入れます。
現代知識人から見れば、ただ信じろという法華経の世界は狂気ものですし、歴史上の釈迦の思想とも違うんですが、制作者達としては、智慧や知識では救われない、あるいは智慧や知識、自分の修行では限界があると考えて、大いなる仏陀を信じることで救われようとしたのです。
思いっきり乱暴に砕けた表現ですが、納得して悟るなどと言っていたそれまでの仏教に対して、「理屈じゃねーーーよ。信仰ってものはな!!」と叫んだという感じなんでしょうかね。原始仏教は、理性的な宗教と言われますしそうなんですけど、それでは、なかなか納得いかない場合があることは容易に想像がつきます。
No.8
- 回答日時:
少し事実誤認もあるようなので、訂正を含めつつ失礼します。
まず歴史的な観点から言えば1の方の言うことが正しいのです。ただ、この問題は発言者の宗教的な立場と不可分なので、本来であれば、発言者の立場の一切分からない掲示板には不向きかもしれません。新興宗教の方が、自分の信仰を歴史的事実として無知の人に語っていることもあり、個人的にはそれはいささか苦々しく思っておりますが、それも信仰の問題の難しさです。本来であれば名乗るべきと言いたいのですが、それも強制はできません。聞く人が、これをここで聞くことへの限界として認識して置いて欲しいことです。客観公平的に論じようとすればするほど、歴史的とか文献学的とか、客観研究の上に立った思想考察になるんですが、そうなると限定的な発言にならざるを得ません。前置きが長いですが、法華経は、インドで出来た経典です。サンスクリットという古代インド語の経典も出てますし、注釈書もインドで出来ております。ただ中国に伝来してきてから、一部変わった部分と、付け加わった章がありますが、インドでできた経典であることには違いありません。
質問者さんは、経典が後からいろいろできたことは認識されていますね。法華経は、大乗仏教という仏教の経典ですが、この経典と、それができる以前の仏教の経典を比べるとまずかなり明確な違いがわかります。同じ点より、違う点がなぜ明確になりやすいのかというと、この経典は、1さんが、6で触れるように、それまでの仏教に対してあらたな思想を盛り込んでいるので、独創性を強調する方向にあるからです。新しいものは、古いものとの違いを強調することで、新しくデビューします。ただし、それを釈迦の真意とした点は、今の時代の独創性とは概念が違います。
その独創性というのはいくつかあると思いますが、まずは永遠のブッダへの信仰です。日本の新興宗教をはじめ、まぁ~、永遠の仏陀という言葉が大好きなんですけど、もともと涅槃に入った仏陀に対して、永遠の仏陀なんておかしな表現です。でも、そういった信仰を出したのです。永遠の生命とか、今言いますでしょ。そういうのは原始仏教では考えていないんです。どうでも良い問題。
次に、永遠の仏陀が、永遠に救済してくれる。救済の重視。これも原始仏教・・歴史上の釈迦の思想・・にはないですね。自分で修行すること、仏は教えても救わない。救われるか救われないかは自分で決めることです。
永遠の救済に預かるにはどうすればいいのか、仏の永遠を信じること、法華経を信じること。信仰の徹底的重視。内容を理解しなくてはいけないといいますが、法華経自身は内容を理解してなんて言いません。とにかく頭ごなしに信じる世界です。信じなさい、これも現代日本の仏教ではあたりまえですが、釈迦は言いません。少しは言うのですが、納得した上での理解というニュアンスで、激烈な信仰とは異質のものです。とにかく信じればいいとか、唱えればいいとか、写せばいいとかいいません。法華経が宇宙スペクタクルなのは、仏の永遠性と絶対性を強調したからです。これも原始仏教とは違います。
それと、救済という新しい宗教的理想像にあう、宗教人格をたくさん用意しました。菩薩です。大乗仏教以外にも菩薩という言葉はありますけど、ちょっと意味が違いますから今は置いておきます。目指すべき宗教的人格としては救済し、信者としては救済されることを理想としたということです。
法華経の制作者たちは、これを理想として、それまでの仏教へ異議申し立てをしたのです。歴史的視点から見れば、どちらが正しいとかは言えません。ただ違うだけです。しかし、今私が並べた「違う点」も、人によっては違うと判断しないので、やはり内容に踏み込むと完全に客観的なことは言えないのです。ただ、まぁ、大まかには認められると思います。
原始仏教の内容ですが、それは1で紹介された本を読んでみるのが良いです。とくにダンマパダとスッタニパータ、下記URLなどが参考になるでしょう。
だいたいは、釈迦の思想を、「根本仏教」という言い方をして仏教界共通の理解としています。四諦・八正道、で検索してみてください。だいたい分かると思います。大乗教徒も根本仏教そのものを否定したはずではないんですが、枝葉になってしまって普段は意識の外にあるといった感じなのかもしれません。仏陀の永遠性と言われた方が、現代の日本人には一般には受けが良いようです。
参考URL:http://www.j-theravada.net/sakhi/dhammapada-jp.h …
No.7
- 回答日時:
ご要望どおり極めて簡潔に釈迦の「悟り」を表現すれば「食物連鎖の発見」です。
(これは多少なりとも原始仏教に関する文献を読めば推察できます。)
今でこそ食物連鎖は小学生でも知っている常識ですが、当時の時代背景を考えれば、
科学的考察を哲学の基礎にすえるというのは極めて画期的なことだったはずです。
死後に、彼の言葉を継いだ、と称する弟子たちが各派の仏教の基礎となるわけですが、
国の興亡などの政治的事情の変化にともない、
その「教え」そのものも大衆化したり神格化したりと変化を余儀なくされていきます。
インドの小国で生まれ、そこでは廃れて中国に渡り、
その中国から輸入したのが日本ですが、
日蓮の憧れた空海が遣唐使として持ち込み直した時代は中国でも形を変えた仏教になっていました。
空海はヒンズー教の影響を受けた教えを持ち込み、
さらに国内事情(神道、山岳仏教との合理化)に合わせて創作しています。
これにより深く政治の中枢に影響を与える力を得たのですが、
時代が下った日蓮は彼に深く憧れたようです。
日蓮は当時誰も重んじなかった法華経を、唯一の正しい教えと称して表舞台に登場しました。
法華経を読んでみて感じたことですが、内容はスターウォーズです。
中国で創作された経典に違いなく、そこには釈迦の哲学は感じられません。
大衆にいかに仏陀は偉大なのか、を大げさに説いた教典ですから。
ではなにが一番釈迦の説法に近いのかといえば、
そんなものは存在しない、というのが正直なところではないかと私は考えます。
No.6
- 回答日時:
No.1で回答した者です。
私自身まだそれほど広く勉強したわけではありませんが、
何を仏教の根本と考えるかについて、いくつか例を挙げると、
「無常観」が仏教の根本だという人、「慈悲」が仏教の根本だという人、
「良いことをし、悪いことをしない」が仏教の根本だという人、
「精進」が仏教の根本だという人、「論理」が仏教の根本だという人、
「批判」が仏教の根本だという人、など、いろいろです。
「無常観」を仏教の根本と考える人が多いように思います。
また、大乗仏典が後代の創作経典であるという点については、
今でも大乗仏典が釈迦の教えだという伝統説を支持する人もいますが、学問的には否定されています。
ただ、大乗仏典が後代の創作だからといって、全然ダメだとは評価されていません。
大乗仏教を全面否定する人もいますが、大乗仏典を「偽典」と認めた上で、仏教史における大乗仏教の意義をそれなりに評価する人が多いのではないかと思います。大乗仏典を「偽典」と認めても、大乗仏教と原始仏教の教えを比べて見て、やはり、大乗の方がすぐれていると感じる人は今でもたくさんいます。
学問的見地で考える場合、釈迦を一人の人間思想家として見、必ずしも絶対的権威とは見なしませんから、釈迦の教えと食い違いがあるからといって価値がないとは言えません。釈迦が一人の思想家なら、大乗仏典の作者も思想家です。その場合、原始仏教から大乗仏教への変遷を「歪曲」としてでなく、「思想的発展過程」と捉えることも出来ます。
また、釈迦を権威としたまま、大乗仏教の意義を評価しようとする人もいるでしょう。
釈迦の「悟り」を「思想」や「哲学」と見るか、「神秘的直観」のようなものと見るかによっても評価は変わってきます。
いろんな考え方がありますが、やはり、まず自分で仏典を読まないと始まりません。
何か仏教の入門書を読んでからでもよいと思います。
岩波新書の渡辺照宏著「仏教」「お経の話」などは手ごろな入門書です。
しかし、どんな本もその著者の考え方が書いてあるだけなので、自分で仏典を読み、他のいろんな人の研究を読んだりしながら、ゆっくり自分で考えていくしかありません。
No.5
- 回答日時:
1.釈迦の教え
四苦(生・老・病・死)八苦の疑問から
三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)
-八正道-五戒・八戒-中道
簡潔にいうとこれが釈迦が説いたと言われています
2.沢山の経典
<如是我聞>・・釈迦からこう聞いたの意・・
と最初に書けば経になる。
大乗経典は釈迦とは関係ない(大乗非仏説)と精密に論証したのが江戸中期の朱子学者・富永仲基で、この説はいまも論破されていないと司馬遼太郎がいっています。
3.法華経
因みに法華経は釈迦入滅後千年以上の後に作られ たとの説が有力だそうです。(鳩摩羅什:参考)
No.4
- 回答日時:
法華経のことはちょっと解らないのですが、お釈迦さまの根本的な教えは
「この世の全ては移ろっている、移ろうものにすがるな、
それよりも「今、此処」を生きるための平常心を養いなさい、心を完成させなさい。」
・・と、いうようなことです。(だと想います)
「移ろう」ということは、つまり「生まれる」→「死ぬ」の過程を辿るということです。
「生まれる」という性質を持つもの、「死ぬ運命」にあるものは、全て一過性の現象でしかありません。
一過性の現象に振り回されて、空しく時を過ごすな、放逸に耽ってはいけないというんです。
その対象は、日夜、私たちの心の中で生まれては消えていく「感情(煩悩)」であり、この世の全ての事象です。欲望、怒り、嘆き、憎しみ、自尊心、楽しみ・・・これらの、ただ死ぬだけの運命にある一過性の感情に振り回されないようにしましょうというんです。
振り回される代わりに、そんな自分の姿を客観的に観れる心(平常心)を養いなさいというんです。
なぜならば、この世の全ては移ろっていますが「平常心」だけは移ろわないんです。
例えば、自分が怒り狂っているときに、「あ、私は今、怒っている・・」と気づける平常心だけは、移ろうことがないんです。
一生のうちに、どんなに感情が激しく入れ替わっても、それを冷静に見つめ続けることの出来る「平常心」だけは、移ろうことがないんです。つまり、生まれることも、死ぬこともないんです。だからブッダとなれば輪廻転生からも解脱できるんです。
怒りや、嘆き・・・は、過去から生まれ、未来に死んでいく心ですが、
「気が付く」という作業は、過去でも未来でもなく、常に「今、此処」なんです。
ですから、平常心は「今、此処」に常駐している永遠の心なんです。
だから自己観察、自己洞察の瞑想法(ヴィパッサナ)をして、
平常心を養うプログラムまで用意されているんです。
そうして心を成長させれば、煩悩にとらわれずに、ものごとを正しく見聞して、
判断することも出来るので「智慧」も現われてくるし、
また私利私欲をも超えてしまうので「慈悲」の心も芽生えてくるというんです。
ですから、元々の仏教は、何の体験もしないで知識・理論だけを叩き込んだのでは、全く無意味で、知識とともに、自分で自分の心を観察して格闘しないといけないものなんです。
自動車教習所で実地と学課をすると一緒です。
No.3
- 回答日時:
(1)仏陀釈尊の教え、カルマ・因縁からの解脱。
(2)法華経・ただの小説程度・薬の効能書程度時間の無駄。
一番の問題は勝手に仏弟子を使い嘘を書いていること。
根本仏教を小乗とか言って貶していること。
この仏罰は本当に恐ろしい。地獄行きの指定席。
(3)仏教やるなら、法句経・阿含経以外時間の無駄
それから仏教は実践するもの、頭で理解してもダメ。
No.2
- 回答日時:
参考に
釈尊が30代で悟りをひらかれて仏陀となりその後、80歳で入滅するまで約50年間に説かれた教えが弟子により仏典となったわけですね。釈尊は、弟子の育成にも力をいれていますが時系列的にそれぞれの段階でレベルにあった教え方をしたということです。教育者としてはたぐいまれなる才能のもち主であったといえますね。身分や性別、過去も一切問わずみんな弟子にしています、だから弟子への教えも例えば、小学校、中学、高校、大学、研究という段階で説いていますね。比喩をつかった子供にもわかる簡単な教えから育った弟子への難しい教えまで多様ですね。まだまだの方が難しい質問をすると無記といって答えていません。もう少し勉強してから質問しなさいという意味ですね。仏陀に答えられないことはないのですがそのように努力精進、利自即利他を核に教えていましたね。
約50年間の教えですから万巻の経になり、いろいろな人への入り口として108の法門になっているわけですね。だから万巻の経は全て仏陀の教えで間違いないですね。さて、法華経は釈尊晩年の教えですね。立派な弟子もたくさん出来たので、仏陀の真の姿を少し説いたということですね。そして、仏陀は弟子を前に、よく学び、よく心の修行をし、よく伝道しましたね、あなた方も必ず菩薩になれますよ、といっていますね。努力精進へのご褒美でしょうね。仏陀晩年の教えですから後年の僧たちはこれこそすごいものだとして写経してきたのですね。しかし中身は理解できないので「お題目だけ」になってきたわけですね。「南無法華経」だけではやはり菩薩にはなれませんね。仏陀の教えの中核は努力精進ですね。それはいつの時代でも同じです。
なるほど、各レベルがあるようなものですね。
108の法門があるのですか。
「南無妙法蓮華経」を唱えるだけでは駄目ということですか。やはり内容を理解しなければ、ですね。
ありがとうございました。
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